12 市場通り
……ん。
なあに、なんの音……?
鳥のさえずるような声に、少しずつ意識が浮上していく。
ゆっくりとまぶたを開けると、見慣れない天井が目に入った。
あれ……ここは?
視線を巡らせると、窓にかかったカーテンを通して、朝の柔らかな光が降り注いでいる。
枕元にはころんとしたピンク色のポシェットがあって、机の上には桶が置かれていた。
そっか。わたし、昨日……。
この部屋に泊まったんだった。
ベッドから抜けだそうと体を起こすと、ひんやりとした空気にぶるりと体が震える。
寒い!
空気が冷たい。
寒さのあまり両腕を抱きしめようとして、自分が下着姿同然の薄着なことに気がつく。
……そうだった。
パジャマがないからワンピースだけ脱いでベッドに入ったんだ。寒いわけだよね。
「クシュンッ!」
このままじゃ風邪を引いちゃう。
急いで着替えよう。
ポシェットから昨日着ていたワンピースを取りだして、手早く着替える。
苦戦しながらも手櫛で髪をツインテールにまとめ、簡単に身支度を整えた。
ワンピースは洗いたてのような肌触りだった。
昨日あれだけ森の中を歩きまわったのに少しの汚れもなく、サラッとした着心地のよさに思わず頰が緩む。
神様、ありがとうございます……!
服に洗浄と補修の効果を付与してくれた神様に心から感謝した。
窓辺に近寄るとカーテンを開け、窓を開け放つ。ひんやりとした空気が室内に入り込んできた。
うーん! いいお天気!
そしてやっぱり寒い!
格好のせいだけでなく、やっぱり気温も低い気がする。
もしかしたら気候も違うのかもしれない。
寒さのおかげで残っていた眠気も、あっという間にどこかに吹き飛んでしまった。
ぐっと両腕を上げて伸びをする。
窓からは抜けるような青空と元気に飛びまわる鳥たちの姿が見えた。
「ユウナさん、おはようございます!」
え?
窓の外から声が聞こえ、下をのぞき込むと、宿の玄関前にエイミーちゃんの姿があった。
「エイミーちゃん! おはよう!」
「食堂はもう開いてますよー。よかったらどうぞ」
「ありがとう! これから食べにいくね」
よーし、今日は生活用品を買いにいかないといけないもんね。
まず、しっかり朝ごはんを食べなくちゃ!
階下に降りて顔を洗ってから食堂に向かう。
残念ながら朝食のパンも昨夜と同じで、硬くて黒いパンだった。
パンのほかには、キノコと荒く砕かれた木の実が入ったオムレツとソーセージ、お肉と野菜が煮込まれたスープという内容だった。
朝食をいただきながら、ハンナさんやエイミーちゃんにタオルや石けんなどの生活用品をそろえたいと相談すると、エイミーちゃんがおすすめのお店をいくつか教えてくれた。
教えてくれたお店のほとんどは、北門近くの市場通りにあるらしい。
北門ってたしか、フェンデルで一番大きな門なんだよね。
昨日、街を歩きながらルーくんが教えてくれたことを思いだす。
西側は森、南から東にかけては山に囲まれているフェンデルでは、よそから訪れる人々のほとんどが大きな街道に面している北門からやってくる。
人やものの出入りが集中する北門付近と、北門からまっすぐに街を貫く中央通り沿いが最もにぎやかで、商業的にも栄えているそうだ。
市場通りかぁ。
どんなお店があるのかな?
とっても楽しみ!
朝食を終えると、わたしはすぐに市場通りに向かうことにした。
* * *
天気は快晴。
頭上には澄んだ青空が広がっていて、それだけで心が浮き立ってくる。
昨日は夕暮れどきに街に着いたから、明るい街中を歩くのははじめてだ。
道に迷わないか少し不安だったけど、エイミーちゃんに言われたとおり、道行く人が多く足を向ける方についていくと、簡単に市場通りに着くことができた。
フェンデルの玄関口──北門のほど近く、商業の中心である市場通りは、喧騒と言ってもいいほどの活気であふれていた。
商品がところ狭しと並ぶ店先では、楽しそうな笑い声や商品を値切る声が飛び交っている。
うわぁ! すごい人通り!
にぎやかで楽しそう。
あ、おいしそうな食べものがいっぱい売ってる!
朝は食べずにきてもよかったかも。
市場通りの入口付近では、食べものを扱うお店がひしめき合っていた。
あちこちからいい匂いが漂ってきて、見たことのない食べものに目が引き寄せられる。
さっき朝食を食べたばかりなのに、もうおなかが空いてきてしまいそうだ。
いくつかのお店を通りすぎたところで、ひときわ芳ばしいお肉の焼けた匂いが鼻をくすぐる。
吸い寄せられるように匂いをたどっていくと、1軒の露店に行き着いた。
店先にはよく焼かれたお肉が串に刺さって並んでいて、近づくほどに強くなる芳ばしい香りが鼻孔を刺激してくる。
わぁ、焼き鳥だ……!
お肉が火にあぶられて、赤みを帯びたものからどんどんと色が変わっていき、お店の人の手で串が次々にひっくり返されていく。
傾いたお肉からツヤツヤとした脂が滴り落ちる。
焼き上がりに近づいたお肉に、お店の人がタレのようなものをサッとひと刷毛、照りのある焦げ茶色に仕上げていく。
ジュージューとタレがあぶられる音とより芳しさを増した匂いに、わたしはすっかり魅入って動けなくなった。
昨日冒険者ギルドで見たのより小ぶりだけど、こっちもすごくおいしそう……。
お店の前を通る人たちもその音と香りに誘われるのか、焼きたてのお肉が次から次へと買われていく。
1本1本のお肉の行方を見守っていると、突然目の前にお肉の串が現れた。
「1本どうだい?」
お肉がしゃべった?!
驚きのあまり顔を上げると、さっきまでお肉を焼いていたおじさんがわたしのことを見下ろしていた。
その手には焼きたてのお肉の串が握られている。
お肉じゃなくてお店の人だった。びっくりした……。
「どうした、嬢ちゃん? 大丈夫かい?」
その声にはっとわれに返ったわたしは、慌てて首を縦に振った。
「あ、はい! 大丈夫です。おいしそうなお肉だったので、つい見とれてました」
「肉に見とれてた? ははは、おもしろい嬢ちゃんだな。どうだい、1本40メルだが、買ってくかい?」
「はい! じゃあ──」
……ってダメダメ!
朝ごはんを食べたばかりだし、今日は生活用品を買わなくちゃいけないんだから!
今はお金に余裕なんてない。大事に使わないと。
「……すみません。やっぱり今日はやめておきます。でも今度必ず買いにきます! 絶対です!」
「お、おぅ……。待ってるぜ、嬢ちゃん」
「はい、待っててください!」
なぜか怯んだように身を引く焼き鳥屋のおじさんに頭を下げると、目を引き剥がすようにして焼き鳥屋さんの前から立ち去った。
……うぅ。あの焼き鳥、おいしそうだったなぁ……。
でも我慢しなくちゃ。
よーし。気を取り直して、エイミーちゃんおすすめのお店を探そう!
* * *
食べ物のお店は極力視界に入れないよう注意して市場通りを歩く。
建物から張りだされた天幕が通りを形成し、その隙間を埋めるように露店が軒を連ねている。
にぎやかで活気あふれる様子は見ているだけで楽しい。
あちこちのお店をのぞきながら、時折道行く人にお店の場所を尋ねていくと、やがて目的のお店を見つけることができた。
エイミーちゃんに教わった『マインズ雑貨店』は、多種多様な品物を取り扱うお店だった。
棚の上から下まで商品がうず高く積み上げられ、ほかのお店よりもずっと雑多な印象を受ける。
「こんにちはー……」
外からはお店の人の姿が見当たらなかったので、店の中にそっと足を踏み入れた。
店内はすき間なく商品であふれ返っていて、陽の光が入ってくる入口付近から数歩奥に進むだけでずいぶんと薄暗い。
「すみませーん」
しんと静まり返る店内。呼びかけに答える声はない。
お店の人、いないのかなぁ?
どうしよう。先に探しててもいいかな?
目当てのものがないか手近な商品棚に目を向ける。
底が抜けたおたまのようなもの、かごいっぱいのアメ玉みたいにカラフルな石──表面が滑らかでとってもおいしそう、口のないつぼ、などなど。
なにに使うのかよくわからないものや、見たこともないようなものばかりが目につく。
すごい商品の数……。
こんなにあったら、お店の人でもどこになにがあるかわからないんじゃないかなぁ。
……ん? あれって……。
わたしの背より高い位置にある棚板の奥に置物らしきものがある。
ほかの商品に遮られて全体がよく見えないけど、なんとなくわたしが知っているものに似ている気がする。
あの見事なくびれボディは……ドグウ?
背伸びをすれば届きそうだけど、下手に触ると絶妙なバランスで積み上がっている商品が崩れてしまいそうだ。
……でも、気になる。
好奇心を抑えられず、ほかの商品には触れないよう慎重に手を伸ばしていくと、
「あの~……」
背中から突然、声が聞こえてきた。
「え……ひゃあっ?!」
振り返ると、今にも崩れそうな商品棚の後ろに黒い人影が見えた。
思わず叫び声を上げてしまう。
「いらっしゃいませ〜。お客さまですよね?」
「……もしかして、お店の方ですか?」
「えぇ、そうです〜。店主のマインズと申します」
間延びした口調で、人好きのする笑顔を浮かべるマインズさん。
「すみません! 変な声を出したりして。驚いてしまって……」
「いえいえ〜、こちらこそ驚かせてしまったようで。ところで、そちらがお気に召しましたか?」
マインズさんの視線をたどると、棚の奥のドグウに行き着く。
手に取ろうとしていたのをばっちり見られていたらしい。
恥ずかしさに顔が熱くなる。
そんなわたしの反応をどう受けとったのか、マインズさんがドグウがある棚の前まで移動して手を伸ばした。
その動きを見て、慌ててマインズさんを止める。
「いえ! ちょっと気になっただけなので、取って頂かなくて大丈夫です!」
「え〜、そうですか?」
マインズさんはなぜか残念そうな顔だけど、置物を買う余裕はないし、けっして気に入ったわけでもない。……気にはなるけど。
「それよりわたし、ほかにほしいものがあるんです」
「あぁ、そうだったんですね~。なにをお探しですか?」
「いろいろあるんですけど、タオルとか石けんなんかの生活用品をひと通り。それと、冒険者に必要なものってこちらで取り扱っていますか?」
わたしの言葉にマインズさんは鼻にかかった眼鏡を直しながら、こてりと首を傾げる。
「はて? お客さん、冒険者なんですか?」
「はい。昨日登録したばかりなんです」
「なるほど、なるほど。そうだったんですね~。ちなみに予算はいかほどで?」
予算? そっか、お金が足りるかちょっと不安だったけど、予算内で探してもらえばいいんだ!
今持ってるのは1,200メルと少し。
宿代は今日と明日の分まで払ってあるけど、昼食を食べるお金も必要だ。それにもしもに備えて少しは手元に残しておきたい。となると──
「できれば、1,000メル以内でなんとかなりませんか……?」
「ふ〜む。わかりました」
こくこくと頷くと、マインズさんは近くの商品棚の中をごそごそと漁りはじめた。
あまりに品物が多すぎて探しても見つからないように思えたけど、マインズさんの手にかかると不思議なくらいあっさりと見つかっていく。
なんの決まりごともなく置かれてるようにしか見えなかったけど、実は規則性があったのだろうか……?
あっという間にひと通り探し終えて、そろえてもらった品物を確認する。
まずは日用品から。
タオルが3枚と、洗濯用と体用の石けんがひとつずつ、それに歯ブラシと髪を梳かすブラシ。
タオルはひと目でわかるくらいガサガサしていて、石けんは鼻を寄せなくても油臭さを感じる。
歯ブラシも髪用のブラシも、正直どれもあまり品質がいいとは言えなかった。
もっと品質がいいものもあったし、ほかにほしいものもあったけど、予算の問題で今は手がでそうにない。
次に冒険者用のアイテムに目を向ける。
小さなナイフ、水筒、採取に使うらしいスコップやビンなどの容器類。
このほかに火をおこすための道具や毛布、明かりになるカンテラなども必需品らしいけど、やはりこちらもすべてそろえるにはお金が足りない。
わたしの場合、銃の弾が切れる前に街に戻ることになるから、早い時間に森にいけば、暗くなるまでいることはないと思う。
当面必要のなさそうなものは除いて、まずは最低限のものだけを選ばせてもらった。
ちょっとずつ足りないものをそろえていって、品質がいいものに変えていこう。
お金を貯める目標にもなっていいよね。
予算からほんの少し足がでてしまったけど、マインズさんが全部で1,000メルにおまけしてくれた。
申し訳なく思いながらも、必要なものがひと通りそろったことにほっとする。
生活するって本当にお金がかかることなんだなぁ……。
そんなことをしみじみと思った。




