10 うさぎのしっぽ亭
フラムジンジャーの報酬を受け取り、ルーくんの依頼の処理と素材の買い取りをしてもらうと、わたしたちは冒険者ギルドをあとにした。
外にでると、街はすっかり茜色に染まっていた。
赤く染まった空に目を奪われていると、どこからかカラーン、カラーンと澄んだ音が響き渡る。
鐘の音だろうか。高さが違うふたつの音が混ざり合っていて、華やかさのある音色だ。
「きれいな音だね」
「夜の鐘だな」
ルーくんによると、フェンデルの中央広場には大きな時計塔があって、高音の朝の鐘、中音の昼の鐘、低音の夜の鐘という3つの音色の鐘がつるされているそうだ。
その音色の組み合わせと鐘の鳴る回数で、街中に時間を知らせてくれるらしい。
朝の6時と昼の12時、夕方の6時はそれぞれの鐘の音が入れ替わる時間で、その時だけは交代を告げるように2つの鐘が同時に鳴らされる。
それ以外はひとつの鐘の鳴る回数で時間を知らせてくれるらしい。
今は昼の鐘と夜の鐘を同時に鳴らして、夕方の6時を告げているようだ。
ちなみに3つの鐘が同時に鳴るのは、大きな慶事があるときだけで、ふだんは3つ同時に鳴ることはないそうだ。
時計塔なんてあるんだ。
今日は遅くなっちゃったから無理だけど、今度見にいってみよう!
「そうだ。ルーくん、さっきはお金を貸してくれてありがとう!」
頭を下げて、冒険者ギルドでオリヴィアさんからもらった報酬を差しだす。
ルーくんは3枚ある銀色の硬貨から1枚だけを取ってカバンに入れると、
「ほら」
とわたしの手のひらになにかを置いた。
「えっと……?」
見ると、手の中にはたくさんの鈍色の硬貨が乗せられていた。
首を傾げるわたしを不思議そうな顔で見返すルーくん。
「俺が貸したのは100メルだろ?」
「うん、そうだね……?」
硬貨の価値も種類もわからないから、曖昧な答え方になってしまう。
鈍色の硬貨はすべて同じデザインで、数えると9枚乗せられていた。
「ねぇ、ルーくん。この硬貨が100メルで、こっちの銀色のが1,000メルでいいんだよね?」
「まさかおまえ、硬貨の種類もわからない、なんて言わないよな?」
「あはは、うん、まあ……」
「まったく。今までどうやって生活してたんだよ……」
ルーくんは呆れ顔になりながらも、硬貨について詳しく教えてくれた。
銀色の硬貨が1,000メルで小銀貨、鈍色の硬貨が100メルで大銅貨らしい。
今わたしの手の中には小銀貨2枚と大銅貨9枚がある。つまり2,900メルがわたしの所持金ということだ。
ちなみにと大銅貨より小さいのが小銅貨で10メル、その下に1メルの鉄貨があるのだと、実際に見せて教えてくれた。
ルーくんってなんだかんだ言いながらも、しっかり教えてくれるんだよね。
少しぶっきらぼうだけど、優しくて面倒見がよくて、ちょっとお兄ちゃんと似てる気がするなぁ。
だから話しやすいのかも。
ルーくんにお礼を言ってポシェットにお金をしまっていると、どこからかおいしそうな匂いが漂ってきた。
わぁ、いい匂い!
夕食かなぁ? なんのお料理だろう?
匂いに刺激されて、空腹だったことを思い出す。
「おなか空いたね……」
「それじゃあ、約束どおり宿に案内するか」
「うん、ありがとう! そういえばその宿屋さんは食事もできるって言ってたよね?」
「あぁ。宿の中に食堂があって、たしか宿泊客は通常より安く食事ができるはずだ」
「ほんと?! よーし、いこう、早くいこう!」
この世界での夕食ってどんなお料理がでるんだろう?
冒険者ギルドで見たようなおっきい焼き鳥もあるのかなぁ?
おっきくって柔らかくって、旨味がギュギュッと凝縮された肉汁が口いっぱいに広がって……!
あーもう、想像したらますますおなかが空いてきたよー!
いても立ってもいられなくて、匂いのする方へぐいぐいとルーくんの背中を押して急かす。
「うわっ! 押すなって! それにこっちじゃない!」
「えっ?!」
ルーくんが慌てた声を上げる。
最後の一言にわたしの動きもぴたりと止まった。
肩越しにルーくんが振り返ったので、その顔を見上げる。
「……宿はこっちだ」
真逆の方向を示されて、背中からパッと手を離した。
「あ、あはは……ごめんなさい」
* * *
街の中のあれこれを教えてもらいながら歩いていると、角を曲がって少し歩いたところでルーくんの足が止まった。
「あそこだ。ほら、看板が見えるだろ?」
ルーくんが指差す方に目を向けると、通りの中ほどにある建物の前に、黒いなにかが描かれた看板が立てられている。
目を凝らすと、お尻を向けたうさぎのシルエットが描かれているのだとわかった。
「『うさぎのしっぽ亭』っていうんだ」
「うさぎのしっぽ……」
看板の絵そのままのかわいい名前の宿屋さんだ。
赤茶色のレンガ造りの建物で、窓辺に飾られている色とりどりの花や若緑の植物が映える。
新しい建物ではないけど、素朴で温かみのある雰囲気で、ひと目で気に入った。
「すてきな宿屋さんだね!」
「気に入ったみたいだな。ここからならひとりで大丈夫か?」
「……え?」
驚いて隣に立つルーくんの顔を見上げる。
知り合いの宿屋さんって話だったから、てっきり中まで一緒にきてくれるんだって思い込んでた……。
ひとりになると思うと急に心細い気持ちになる。
一緒にいると楽しかったし心強かったから、いつの間にか甘えてしまっていたようだ。
いっぱいお世話になったんだから、あとは自分で頑張らなくちゃ。
「うん! 大丈夫だよ。ルーくん、今日はたくさん助けてくれた上に、遅くまで付き合ってくれてありがとう!」
わたしがそう言うと、ルーくんは安堵したような表情になる。
「気にするな。じゃあな」
「うん、またね!」
手を振るわたしに小さく手を上げて応えると、ルーくんは今まで歩いてきた道を戻っていった。
この街に住んでいて同じ冒険者なんだから、またすぐに会えるよね。
わたしはルーくんの背中が見えなくなるまで手を振り続けた。
* * *
宿屋さんの扉を開けると、チリンチリンとドアベルが軽やかな音をたてた。
「いらっしゃいませ。『うさぎのしっぽ亭』にようこそ!」
受付カウンターのそばに立つ、栗色の髪をポニーテールにした女の子が笑顔で迎えてくれた。
同い年くらいだろうか。
「あの、こちらに泊まりたいんですけど……」
「ありがとうございます! 一泊500メルになります。前払いとなりますが、何泊されますか?」
「えっと……」
どうしよう?
なににお金が必要になるかわからないから、ある程度のお金は手元に残しておきたいなぁ。
でも1泊だと明日の朝にはもう出ていかないといけなくなるよね……。
生活の拠点になる場所は、ちゃんと押さえておいた方がいいような気がする。
「とりあえず、3日でお願いします」
「かしこまりました。延泊される場合は前日までにお申し出くださいね。それでは、3泊で1,500メルになります」
わたしはポシェットの中から小銀貨1枚と大銅貨5枚を取りだして、女の子に手渡した。
さっきルーくんに硬貨のことを教えてもらってよかった。
これで手持ちのお金は1,400メル。
宿代を払ったらだいぶお金が減ってしまった。
明日から冒険者ギルドで頑張らなくちゃ。
「では、こちらにお名前をお願いします」
女の子が宿帳らしきものをわたしの前に置いた。
……どうしよう、書けない。
冒険者ギルドでオリヴィアさんに書いてもらったときに、自分の名前だけでも覚えておけばよかった……。
「ごめんなさい。わたし、読み書きができなくて」
「あ、そうなんですね。こちらこそすみませんでした。こちらで書くので教えていただいてもいいですか?」
女の子に尋ねられて、名前を告げる。
読み書きも勉強しなくちゃ。
話せるからなんとかなっているけど、やっぱり不便なことが多そうだ。
こうしてだれかに面倒をかけることになるもんね……。
まずはお金を稼いで、新しい生活に慣れることが最優先だけど、余裕がでてきたら絶対に身につけよう。
宿帳への記入が終わると、女の子はお部屋の鍵を手渡してくれた。
わたしの部屋は2階になるそうだ。
「私はエイミーです。なにかありましたら、気軽にお尋ねくださいね」
「はい、ありがとうございます」
エイミーちゃんの明るい笑顔につられて、わたしも笑顔になる。
明るくていい子だなぁ。
歳も近そうだし、仲良くなれたらいいな。
「今ちょうど夕食の時間ですが、食事はどうしますか?」
宿には食堂があって、宿泊客はいくつか用意されている指定のメニューに限り、通常100メルのところを1食80メルで食べることができるそうだ。
すっかりおなかがペコペコだったので、わたしは迷わず宿で夕食をとることにした。