真実
気持ち悪い。
目下に広がるおぞましい景色を前にして、
始めに感じた純粋で他意の介在しない気持ちだ。
<おかしい。おかしい。おかしい。
こんなの、こんなのって…。>
信じがたい光景の前にテムは言葉を失っていた。
光景、というのとは少し違うのかもしれない。
見た目だけで判断するなら、
この状態は人込みにも等しいほど超至近距離で組まれた隊列なのだ。
しかし、大きな問題はそれ以外のところにある。
『鎧を着た兵士が互いの体を密着させるような』隊列でありながら、
物音が一切しない点である。
あの状態であれば誰か一人が身動き一つとれば、
鎧と鎧が擦れ音をたてるのは必然。
それにも関わらず完全な静寂を保っているということは、
敷き詰められた何万もの兵士が誰一人として動いていない証拠である。
しかも短時間でなせるような隊列と人数ではないことから、
自然と『最初からこの状態を維持していた』という考えに至ってしまう。
控えめに言っても、ありえない。
つまり、これは魔女のしたことなのだろう。
テムはまるで等身大の人形をぎゅうぎゅう詰めに押し込んであるような
この光景に唖然とし、そしてひどく動揺した。
<馬鹿げてる。魔女を救うだって?こんなことをしておきながら?
こんな酷いことをする魔女をどう救えと…。>
救いようがない。
そう表現をする他、言葉は見つかりそうになかった。
テムは急いで階段を下り、手前にいた兵士に話しかけたが全くの無反応だった。
彼の肩を揺すると、彼が身に着けている鎧が隣の兵士の鎧ににぶつかりガチャッと
音をたて、またその横にいる兵士にぶつかるとドミノ倒し的に
金属音が波及し、響いた。
それでも何か他と違った行動を起こしてくれた者はおらず、
皆が棒立ちを続けていた。
その様子はまるで魂を抜き取られているようだった。
激しい動揺に身を揺らしながらも辛うじて
次の思考に移ることができた。
テムはもう一つ大事なことを思い出したのだ。
「子供たちはどこだっ。」
そういうとテムはシルウィを置き去りに城に向かって走り出した。
見たところあの隊列の中に小さい子どもがいるとは思えなかったのだ。
テムは消えたはずの少年少女を探すため、
城の中の大きめの部屋をしらみつぶしに見て周った。
客観的に見れば、このとき一人で行動することはかなり
危険な行為だったのかもしれないが、そんなことを考えられるような
冷静さは、先ほどの闘技場に忘れてきてしまった。
激しく音をたてながらいろんな部屋を見て回るうちに、
ふとテムとシルウィをここまで連れてきた少女と別れた場所を
思い出し、無言で働き続ける人たちを横目に駈けた。
呼吸するたびにぎゅっと誰かに肺を掴まれるような感覚と、
脇腹に鋭い何かが突き刺さっているような痛みを感じながら
そしてある大きな扉の前までたどりついた。
激しい運動によるものなのか、自分の悪い予感が当たっているか
確認する前の緊張のためなのかわからないが動悸が激しくなっている。
ドアノブに手をかけ、確認すべきという使命感と見たくないという
防衛本能がせめぎあうなか、ゆっくりと扉を押し出してゆく。
「…。」
もう、テムは言葉を発することはできなかった。
部屋の中にはうつろな目で地面を見つめ続ける多くの子どもの姿があった。
こちらもまるで魂が抜けたように皆がへたり込んでいる。
テムは一番手前に座っている子の両肩に手を置き軽く揺する。
「君、大丈夫?」
その子はゆっくりと顔をあげ、その虚ろな目でテムの顔を見つめた。
首に力が入っておらず、首を傾げたようになる。
その瞳にはまるで光が宿っていなかった。
「ここから逃げよう。」
そう話しかけても全く立ち上がろうとせず茫然としている。
一度その子を諦めて近くにいるどの子どもに話しかけても、
初めの子と同じ反応しか見せてはくれなかった。
しかし、不思議なことにあの少女だけはこの部屋の中で
見つけることができなかった。
再び下層から誰かを連れてくるよう命じられたのだと思われた。
少しずつこの異常な状態に心が慣れつつあるころ、
シルウィを置いてきてしまったことに気付き、
一人にしては危険だと、再び焦りで心臓が忙しなく動き始める。
「シルウィっ。」
彼女の姿を求めて口からこぼれる。
「大丈夫。ちゃんといるわ。」
突然、予想外の返事が返ってきて驚いたが、
振り返ると既に後ろにはシルウィが立っていた。
どうやら普通に後を追いかけてくれていたらしい。
「良かった…。」
テムは心の底からそう思った。
こんな動揺続きの中、
一時の安堵を得たテムは次第に冷静さを取り戻していった。
「これ、やっぱり魔女の仕業だよね。」
これはもう疑う余地はない。
魔女の仕業でなければ誰にこんなことができようか。
テムの中では魔女隠しの犯人は文字通り魔女であると結論付けられた。
それでも、まだわからないことが多い。
最大の謎は魔女の正体と魔女隠しの目的だ。
今日一日、天層中を探して回ったがそれらしき人物には出逢っていない。
最も怪しい者といえば夜は出迎え、朝食の席をともにしたあの女性だ。
一方、傀儡の魔女はテムとシルウィがこの城に来ていることを
知っているはず。それどころかもてなしを受けたことから、
おそらくは魔女の命により連れてこられたと考えた方が妥当である。
なぜ連れてこられたのかという点においても疑問は残るが。
そして魔女隠しの目的。
大勢の大人や子どもを攫っておいて何をさせているかと思えば、
特にどうということはなく放置である。
目的が全く見えてこないではないか。
しかも魔女隠しの証拠を目にしたテムとシルウィに危害を
加えてくる気配もない。今のところ。
もしかしたら今すぐにでもこの場を離れ、
逃げた方がいいのではないかとも思われたが、
それではなんの解決にもならないことがわかっていたため
踏みとどまるという苦渋の決断を下した。
わからないことが多すぎて、
また意図がまるで読めないことに対して恐怖すら湧いてきていた。
さらにここに『魔女を救う』という当初の目的に対する不信感まで
加わり、何をしたらいいのかわからず混乱を極めた。
「ねえ、シルウィ。
こんなことをする魔女をどうして救えなんて言えるの?」
少々皮肉を込めた言葉になる。
正直に言ってしまうと、これは八つ当たりだ。
シルウィが悪いわけではない。
そんなことはわかっていても直面している現実を受け止めきれないのだ。
「もっともだと思うわ。正直私も戸惑っているの。」
シルウィはそう言うと困った顔をして目を下に向けしまう。
戸惑っている、という言葉に違和感を覚え、疑念を抱いた。
明らかに何かを知っていて黙っている彼女の様子に、
さすがのテムにも苛立ちが見え始めていた。
「君はいったい何を考えてるの?一人で考え込まないでよ。」
吐き捨てるように言葉に出してしまう。
しばらくシルウィは何も言わず口を真一文字に結び、
そのあと目をつむるとゆっくり息を吸い覚悟を決めたように目を開いた。
「テム。あなたも実は魔女の正体に気づき始めてるんじゃないの。」
こういうときに相手の考えがわかるというのはずるいと
痛感させられる。
「誰?わからないよ。出迎えてくれた女性?それともあの老紳士?
ああ、そうか。まだどこかに隠れているのか。」
<違う。そんなことは考えていない。>
特定の一人をはじめから選択肢に入れないように考えている自覚はある。
でも、まさか本当にそうだとは思っていなかった。
いや、思いたくないの間違いだろう。
「魔女は…。」
シルウィは続きを言いかけて、一瞬ためらってしまう。
おそらくは答えを聞きたくないというテムの心の声を知ってのことだろう。
それでももう一度息を吸って、言った。
「あの女の子よ。」