第九十六話 暴走
国崎の胸を貫手で貫いた光一は、腕を振って国崎の体を腕から乱暴に外す。国崎は光一に振り飛ばされ、近くの木に激突してようやく止まった。その、自身の大切な人をまるで手の水汚れを払うような扱いをされて、正気で居られるほど天川の堪忍袋の緒は強靭ではなかった。
「てっ、めぇぇぇぇぇぇ!!!!!!」
その光景を見た直後、先程まで力を使い果たしてボロボロであった天川の体の奥底から力が溢れてくる。
(な、なんだ、この力。さっきまでふらふらだったのに……)
その、自身の体から湧いてくる莫大な力に、天川に一瞬ためらいの気持ちが生まれたが、
(別に何だっていい、今目の前の相手を倒せるなら!)
直ぐにその湧いてくる力へのためらいは消えた。その瞬間、天川が纏っていた黄金の鎧は黒く黒く塗り潰されていく。目映い光を纏っていた剣もいつの間にか消え、天川の全身は全てを飲み込むような黒へと変わる。
既に天川の思考は冷静さを失い、あるのは『目の前の敵を一刻も早く倒す』という事のみ。剣は消えたものの、代わりに鉤爪のように鋭く尖った刃が天川の手の甲側から生えていた。それを武器として天川は一気に駆け出す。
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「まさかここで彼が動くなんてね」
「あの一ノ瀬を破るという展開の後にこんな事が起こるとは、あいつも容赦がないな」
ここは学園の保健室。笹山と葉波の二人は設置されているモニターで、クラス対抗の様子を見ながらそんな会話をする。今は、ちょうど国崎が光一に倒された直後。二人は上位に残ると予想していた生徒が残ったこともあり、多少のズレはともかくそこまで驚いた様子はない。
「しかし、一ノ瀬君も凄かったですね。あの能力であれほどのドラゴンを作り出すとは」
「確かに、普通の能力使用からあそこまで応用するのは凄まじい。だが、あの天川も流石だな。"想いを力に変える"シンプルだが強い」
二人でそう会話していると、光一が国崎を引き剥がした瞬間、天川の鎧が叫び声と共に黒く塗り潰されていく。鎧が真っ黒になると、天川は姿勢を落とし一気に駆け出す。それはまるで黒い弾丸のようで、今までの天川よりも速いスピードで光一に向かう。
「! これは……」
「……"想いを力に変える"能力。ならああいう負の感情が爆発しても強化させれるとは考えていたが、あれほどとは……」
天川が駆け出す為に蹴った地面は窪み、もはやあの国崎のスキル『音速の戦乙女』すら並び、凌駕しかねないスピードを天川にもたらしていた。
(終わっちゃったかな……多少後味は悪いかも知れないけど、あれだけの強化、恐らく速度だけでなく力も上がっている筈)
葉波は凄まじい強化を見せた天川を見て、そんな考えを浮かべた。今の天川は速度は最速、攻撃に至っても今までとは比べ物にならないほど強化されている。流石にそこまでされれば、光一側に勝利はないだろう。そう思いながらモニターを見つめていると
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天川は最短に最速で最大の一撃を見舞おうと、常人では捉えるにすら難儀する速度をもって、光一に向かって突撃した。
その一撃は、光一の胸に吸い込まれるように向かい
「!?」
寸前で回避された。しかも、まるで攻撃が分かっているかのようにギリギリで。さらに光一は体を天川の横に滑らして避けたと思えば、突き出していた天川の腕を掴むと、
「ッ! ガッ! ァァァ!!!!」
膝を天川の肘へと突き立てる。天川はその激痛から、肘を抑えて力任せに光一の拘束から逃れる。しかし、そこで天川は逃げ腰にはならず、近距離での接近戦を選ぶ。
天川は、新たに生成されていた手の甲側から伸びる刃を武器に、一刻も早く光一を倒そうとそれを振るう。が、その攻撃は全て避けられるか、光一の右腕で防がれる。さらに、光一の攻撃を天川は上昇した速度で無茶をしてでも回避しようとするが、
「グ……ッ!」
有るときは足を踏まれ、また有るときはカウンターとこれもまた天川の動きが分かっているかのような動きで、少しずつ被弾が増えていってしまう。
「どうした? 主人公。お前の力はこんなものか?」
何回目かのカウンターで、天川は大きく吹き飛ばされ、近くの木の幹に激突して泊まる。天川は光一の言う事が、全て理解は出来なかったが、挑発している事だけは理解できた。それに対する怒りからか、また少し湧いてきた力に身を任せ天川が立ち上がろうとしたその瞬間。
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「…………」
保健室のモニター前で、葉波は呆然としていた。未だ半分以上残っており、そろそろぬるくなり始めてしまっているコーヒーに
手をつけることすら忘れて。
(……彼の力を完全に測り間違えていた。まさか、あれだけの強化がなされた天川君が全く歯が立たないなんて)
パワーにスピードといった基本的な能力では、間違いなくトップの天川を手玉にとる光景を見て、葉波は信じられないといった表情を浮かべる。すると、
「恵香、光一があそこまで天川を手玉にとれる理由が分かるか」
隣にいた笹山がそんな質問をする。葉波は"そんなの、天川以上に光一のスペックが上なのではないだろうか"と思ったが、
「それは、天川が"仇を討つため最速で光一を倒そうとしているからだよ"」
「? ……まさか」
葉波は笹山の言う事が一瞬理解できなかったが、少し時間をおくとある事に気づく。天川は今、最速で光一を倒そうと闘っている。それはつまり、
「最短で最速に相手に攻撃する手段は一つだけ……」
「そう、その通りだ恵香」
攻撃の筋道を簡単に予測されるということだ。現状天川の攻撃手段は接近戦に限られる。なら、どんな道筋で攻撃すれば最も速く光一の元にたどり着き、攻撃を仕掛けられるかという方法は限られる。
それでも普通の人ならば問題はなかった。しかし、今天川の敵となっている人物は異常谷中光一だ。既に達人の域に達する程の武術経験に、意図的にスポーツでいうところのゾーンに入ることができる光一なら、天川の次の行動を読むことなど容易い。しかもそれが怒りや憎しみで頭に血が上っている状態なら尚更だ。
二人は少しずつ光一に傾いて来ている闘いの結末を見るために、モニターへと視線を戻す。
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"あーあ、だらしないわね。だからアンタらしくないって言ったじゃない"
天川が立ち上がろうとしたその瞬間、微かな、しかし確実にその声を天川は聞いた。声がした自身の隣を見ると、
「なに? その黒い鎧。似合わないわよ」
もう既に胸の辺りまで光の粒子となっていた国崎の姿があった。その姿を見て、天川の動きは完全に止まる。
「あ……り、凛。脱落したんじゃなかったのか」
「もう脱落は決定事項よ。今はギリギリ存在してるだけ。ほら、もう右腕もなくなっちゃった」
国崎の体は既に左腕と胸から上を除いて消滅しており、残りの体も薄く、後ろの景色が見えるほどとなっていた。
「そろそろ私は消えるわ、だけどその前に言わせて」
国崎はもう掠れかけの声で言葉を繋げる。天川はそれに言い返す事もなく、静かに耳を傾ける。
「"アンタの憧れたヒーローはそんな物に呑まれるような存在だったかしら"」
その言葉を受けて、天川ははっとした動作を見せる。国崎はそれに構わず言葉を続ける。
「きっとそうじゃなかったわよね。確か、智也の好だったヒーローって諦めない心と一降りの剣で、どんな敵にも向かっていくような勇気溢れるヒーローだったわね」
「剣ぐらいなら貸してあげるからさ、もう少し頑張ってみなさいよ。大丈夫、私の目にはそんなヒーローが目の前にいるからさ」
そこまで言ったところで、国崎は天川に自身の剣を渡すと完全に消滅する。渡された剣も国崎のスキルで生成されていた物である以上、あと数秒で消えてしまうものであるが、天川にとってそれはとてつもなく頼りなる武器にであった。
国崎が消滅した後、天川の黒い鎧に亀裂が走る。それは全身に走り、
「凛、ありがとう。もう大丈夫だ」
立ち上がると同時に黒き鎧は砕け落ちる。その下には今までよりも強く光輝く鎧があった。