逃
琵琶法師の言葉に、そういえば…と最近行われていた区画整理を思い出す。確かにあの辺りには、古くからの神社があった気がする…と。とはいえ、管理する者がいなくなり、随分と寂れたモノであったが。
『それで?あんたらの目的は何だ?』
一応話に筋は通っていると結論付けつつ、慧は漸く本題に話を移した。
『私に目的なんぞあらしまへんよ。ただただ、自由に面白おかしく琵琶を奏でられれば良いですよって。けれども、そやなあ。私の仲間の中では、そりゃ封印された恨みを持つ者もおりますからね。今じゃあ、世界中の闇の者たちが暴れているんですわ。この国だけじゃなく、どこでもねえ。何せ、大和の国は要石ですから』
『…….。別に、俺たちは人間がどうなろうが世界がどうなろうが知ったこっちゃないけどな』
これは、慧の本音だった。施設にいた時は、散々人という存在に自身を弄られ、苦痛を強いられてきたのだ。彼の中で仲間以外の他者というのは、その辺りに転がる石と同じ。…否、それ以上に自分たちを害する者…つまり敵という認識だった。
一方慧の返答に、一瞬キョトンとしていた琵琶法師だったが、やがて楽しそうに笑う。
『やっぱり面白いですわ。気配は人間のそれなのに、その摩訶不思議な力も、今の言葉も寧ろ私らと同じく人のそれじゃあない』
全くだ…と内心同意しつつ、そろそろ殺ろうか…と思ったその時だった。
強烈な“思念”を、仲間の1人である彩羽より慧は受け取った。脳に直接叩き込まれたような…あまりに強烈過ぎて、一瞬僅かに慧は顔を顰める。
『……なあ。あんたら、人を集めてるんだろ?』
頭痛に耐えつつ、目の前の敵に問いかける。
『へえ』
突然の話題転換に、琵琶法師は興味深そうに眼を細めつつ答えた。
『でさ、その中の桜月という子…返して貰えねえか?』
『これは意外ですなあ。あんさん、さっき人などどうでも良いと言わはったばかりやろ』
『家族は別だろ。で、どうなんだ?』
『無理に決まってますよって。折角得た糧を、誰が“はいそうですか”と譲ります?』
『……そうか』
瞬間、慧は動いた。琵琶法師の視界から、彼の姿が消える。ゾクリ、と心無い筈の自分が恐怖を感じた気がして、僅かに身体を逸らした。気が付いた時には、先ほどまで自分の頭があった位置に慧の拳がある。
…間一髪だった。そして、ただの打撃だと言うのに、あれには触れてはならないという気持ちが琵琶法師の中に確証としてあった。
琵琶法師は態勢を整えつつ、琵琶を奏でる。ビイインと澄んだ音色と共に、衝撃波が慧に向かって放たれた。
けれども、慧は避ける素振りを見せない。そのまま、直撃したのか砂埃が再び巻き上がっていた。
そしてその砂埃が収まる前に慧は動き、琵琶法師のすぐ後ろに立っていた。…無傷だった。確かに直撃していた筈なのに。一体、目の前にいるのは“何”か。それを、声を大にして問いたいが、そんな隙を与えてはくれない。
…一方沙羅と狂骨の戦いも、変化を見せていた。先ほどまで防戦一方だった沙羅が、何時の間にか攻撃に転じている。
それは、目的が変わったからだ。先ほどまでは慧を守るため、慧と琵琶法師との会話を邪魔させない為の攻防。けれども、慧と琵琶法師の会話も終わった。ならば、遠慮はいらない。
沙羅は、浮遊させていた水の玉を巧みに操り、狂骨の四肢の自由を奪う。捕らえられた狂骨は、もがき逃れようとするものの、想像以上に水の檻の拘束力は高い。
そうこうしている内に、沙羅は空中に残っていた玉を纏め、そこからビームのような綺麗な線状の水を狂骨に向けて幾つも放った。
超高圧水切断…“ウォーターカッター”。四肢の自由を奪われ、動けない狂骨の体を、それは貫く。
「……グッ……」
くぐもった、小さな悲鳴。…それが、狂骨の発した最後の声だった。
幾本もの水流に貫かれた狂骨は、その貫かれたところからサラサラと灰になっていく。そして、その場から消えていった。
その様を視界の端に捕らえていた琵琶法師は、方々に衝撃波を飛ばし視界を遮らせる。
『……ちっ……』
2人の視界が晴れた頃には、琵琶法師は消えていた。
“えろう、すんまへん。私1人じゃ、あんさんら2人のお相手するのは無理やわ。ここらで、私は失礼しますよって、またどこかで会ったらよろしゅう”
そんな声が、その場で響いた。まるでエコーがかったようで、その発信源を2人は掴めない。
「……沙羅、行くぞ」
舌打ちをしつつ、慧は言った。校舎から歓声が聞こえてくるが、慧の顔は険しい。…当然だ。彼らの目的は、ここを守ることではなかったのだから。
「ええ」
沙羅も慧も、背後の校舎に一瞥もくれずその場から離れて行った。