終
『本当に、大丈夫?』
朔月の問いかけに、桜月はふわりと笑った。
『大丈夫だって。本当に具合が悪かったら、“力”を使うもん。ちょっと怠いだけだから。朔夜はちゃんと学校に行って』
『…分かった。すぐ帰るから』
本当は残りたい…そう強く思った朔夜だったが、彼女は言い出したら聞かない。仕方なくそう言い残し、家を出た。
…とあるマンションの一室。
朔夜と桜月は、そこを借りて二人で暮らしていた。
学園までは、歩いて十数分。ギリギリまで家にいたため、少し急がないと遅刻しそうだ。
街路樹が等間隔で植えられた道を、彼は早足で駆ける。二百年ぐらい前に地球温暖化という現象が騒がれた為に、植えられたらしい木々。その地球温暖化という危機も遠い昔に去ったが、街の景観という観点から残されたままだそうだ。
学園に行く途中、トラックがやけに行き交う事が気になって、目線で追う。…そういえば、最近この辺りは区画整理の為とかで工事中だっけ…と、頭の片隅に残った記憶を引っ張り出して納得した。
その区画整理で、今までの街並みから一変、近代的で災害に強いという建物にどんどん変わっていた。一昔前までは複雑に入り組んだ道も、火災時の危機という観点から徐々に無くなり、京都の碁盤目とまでは言わないが、大分整然とされている。
学園に着くと、朔夜はそのまま駆け足で教室に入った。学園のシステムは基本、昔から変わらない。クラス分けをされて、そのクラスで授業を受ける。一時期IT分野の成長から自宅学習が推奨されていたらしいけれど、やはり同世代の人と勉強した方が、より自分のレベルが実感できるということ、かつ、コミュニケーション能力を養うという面でも有用なため、昔のシステムが復活したという経緯。
席に着くと、机の端末を立ち上げた。一人につき一台支給されるもので、かつての教科書とノートがこれに当たる。
『おはよう、朔夜』
朔夜の後ろの席に座りつつ、慧が声をかけた。身長が高く鋭い目つきを持つ彼は、無言で立っていれば威圧感を人に与える。本人もそれを自覚しているのか、殊更親しみやすい口調で常に笑みを心がけているようだ。
『おはよう、慧』
『あれ、桜月はどうしたんだ?』
『それが、具合が悪いとかで休んでるんだ』
『………具合が悪い?』
慧は眉を顰める。彼女の“能力”を知っている慧からすれば、やっぱり具合が悪くて休むというのはイメージしづらいのだろう。
『なんか…怠いだけだから“治さなくても良い”んだってさ。あの力は使えば使うほど酷い倦怠感を感じるらしいし』
『そうか。…お大事に、と伝えておいてくれ』
『うん』
いつも通りの、光景。ある者は気怠げに、またある者は楽しそうにクラスメイトと話しながら始業のチャイムを待つ。
…けれども鳴り響いたのは、始業のチャイムではなかった。
『生徒の皆さん、席について下さい…!落ち着いて、教師の指示に従ってください』
切羽詰まった、職員のアナウンス。平和で平穏な空間に、それは異様だった。
始め、生徒は突然のその放送に、“何があったんだ?”“授業なくなるかな”なんて軽口を叩き合っていた。けれどもその緩い空気を断ち切るかのように、突然、1人の生徒が叫んだ。
『おい、これ見てみろよ!』
その男子生徒が持つ端末から、立体映像でニュースが流れる。左端には“緊急生放送”というテロップがあり、真ん中には青白い顔をした人が街中で暴れ回っている風景。
否、暴れ回っているという表現では、生易しい。その光景は、蹂躙。彼らの内の1人が、手を前に出しただけでビルが破壊される。自衛隊らしき軍隊が撃った銃弾は、彼らの前でドロドロに溶ける。逃げ惑う人々は、蠢く闇が捉えその場から消されていっていた。
『何だよ、コレ…』
『特撮とかじゃないの?』
それを見た生徒達は、騒めく。けれども、大半はその映像は偽物だという結論に至っていた。
『……これ、場所どこ?』
そんな最中、朔夜が強引に彼の持つ端末を奪う。その表情はどこか真剣で切羽詰まった様子だった。
『あ、おい……!』
持ち主が抗議の声を挙げていたが、そんなことは気にならない。
……マズイ。その3文字が、朔夜の頭の中を占めていて。
映像で映っているのは、彼の住む場所からすぐ近くだった。そして彼の家には、桜月が具合が悪くて眠っているのだ。これが、特撮やら所謂ドッキリ映像というものであれば良い。けれども、現実に起きている事であれば?…いつ、彼女もこの嘘みたいな光景に巻き込まれるのか。
彼はその端末を放ると、すぐに窓の方へと向かう。正直、玄関まで階段を降りる時間すら勿体無い。
そして、迷うことなくそこから飛び降りた。さっきまでいた場所は、7階。彼の背中から、同じ教室にいた生徒達の悲鳴が聞こえてきたが、今はそんな事知ったことではなかった。
危うげなく地面に降り立つと、彼はそのまま“能力”を使用して全速力で駆けていく。
常人には出せないような、スピードで。
“能力”……それは俗に言う超能力だとかESPと呼ばれるモノだ。
かつて、朔夜はその能力を研究する施設に被験者として所属していた。何の為に研究施設があったのか、誰がその研究施設を設立させたのか…彼は知らない。知る権利が、なかった。何故ならそこでは、彼は単なるモルモットと同じ存在だったのだから。
施設での生活は、最悪だった。何かしらの手術を施されたかと思えば、訳の分からない器具を取り付けられて能力のテスト。そして、能力を取り扱う訓練を受けされられて。
訓練場から一歩も外に出して貰えず、見ることができたのは鉄格子の隙間から見える空だけ。手術もテストも訓練も、死んだ方がマシだと思えるような苦痛が伴う最悪なものだった。
そんな拷問のような毎日から逃げ出せなかったのは、足につけられていた装置のせいだった。少しでもおかしな動きを見せれば、即高圧電流が流れる仕組み。そもそも施設の大人達に協力する能力者が結界を張っていたせいで、訓練場以外では思うように能力を使うこともできなかったのも大きい。
…何とか発狂せず耐えることができたのは、その施設で家族のように共に暮らしていた皆のおかげだった。慧や沙羅そして桜月と後2人。皆がいたから、あそこでの暮らしを耐えられたといっても過言ではない。
けれどもその繰り返される苦痛に、精神的にも肉体的にも限界は近づいていた。このままでは遅かれ早かれ精神が病むか、肉体が限界を迎えるか。
そんなある日、遂に彼らは施設を逃げ出す事に成功した。…あの日の光景は、今でも朔夜は忘れられない。
慧が結界を張っていた能力者を倒して自由になると、沙羅を筆頭に彼らは施設にいた人間を皆殺しにしたのだ。
視界全てが赤に染まって、手も身体も真っ赤。けれども、これであの地獄から解放されるのだと思ったら、その赤が愛おしく感じて仕方なかった。
その後も色々あったけれども、何とか人に紛れて暮らし、漸く平穏というものを噛みしめることができたというのに。
なのに、一体これはどういうことなんだ…!
あの映像は、合成ではない。それが、彼の見解…というより、直感で感じた事だった。映像を見た瞬間には、根拠も何もなかったが…こうして実際街を走っていると、その直感が確信に変わる。
通り過ぎる光景が、まさにあの映像にあった通りだったのだ。
破壊され、見るも無残な光景。こんな事、冗談でするには事が大き過ぎる。
彼は走るスピードを速め、そうして目的地に辿り着いた。
既にマンションは、正体不明の能力者達によって破壊された後だった。気配を探ったが、桜月の気配は見つからない。次に、テレパスで彼女に語りかけた。
《桜月、応えてくれ!今、どこにいるんだ…!》
けれども、桜月からの応答はない。
『何だ?お前は……』
代わりに、テレビに映っていた男が1人現れた。
『桜月を何処にやった?』
ぎらりと彼の目が鋭く輝く。…普段温和な印象を与える彼のこの姿を見たら、クラスメイト達は衝撃を覚えるだろう。
『桜月…?誰だ、それは。そんなことより、お前は何だ?』
『答えろ』
『だから知らぬ』
にべもなく否定される。瞬間、朔夜は能力を使用して圧縮した空気で弾丸を作り出し、撃ち出した。
彼の能力は“空縮”。空気を操り、圧をかけることで攻撃にも防御にも使用できる。
『その力……だが、お前のような輩は知らぬ。人間か……?』
男はそれを余裕をもって避けた。二撃三撃と、追撃するものの、その全てを躱される。
『はは…さっきの女と言い、摩訶不思議な力を持つ者がおるようだな』
その言葉に、一瞬朔夜の思考は止まった。
『…その人をどうした?』
『もしや、その女が桜月という奴か?』
『質問に答えろ!』
『お前こそ、先ほどから我の質問には答えておらぬではないか。…まあ、良い。その女ならば我らが丁重に迎えている』
その言葉を聞いて、ドクリ、と心の奥底が脈打つ。焼け付く想いが、彼の中の修羅を起こした。
『…彼女を返せ』
残ったのは、敵に対する暴力的な衝動。まとわりつくのは、重苦しい殺気。
『何故、我が貴様の言う事を聞かなければならぬ?』
鼻で笑われたその言葉が、決定打だった。能力を全開にし、敵に放つ。追い詰めるために、何度も何度も。
『貴様、なかなかやりおるな!』
相手に反撃をする暇を与えない。同時展開、多方向から攻撃し、防戦一方に追い込んだ。
『……くっ』
…かかった。攻撃で誘導し、予め用意していた空気の檻に捉える事に成功する。
『…答えろ。桜月を、何処にやった?』
時が経つ毎に、檻の中の空間を狭める。けれども、男は沈黙のまま。
『…お答えできかねますね』
その場の誰でもない第3者の声がしたかと思えば、朔夜が捉えていた男は檻から抜け出していた。どうやら、後から現れた女が彼を救出したらしい。彼女に引き摺られている彼は、少し気まずそうに彼女から目を逸らしていた。
『一体、何やっているんですか。まだ力が確りと安定していないんですよ』
彼女が語りかけている間に、朔夜は再び檻を生成する。スピード重視で、さっきよりも小さいものを。
けれども女は、トプンと男と共に影の中に入り込み、その檻から逃げた。そして、ヌッと少し離れたところで顔だけ影から出す。
『申し訳ございませんが、私たちはこれで失礼します』
『待て!』
空気の弾丸を撃つも、既に逃げられてしまっている。朔夜の撃った攻撃は、ただビルにぶつかり、元々崩れかけていたところを完璧に崩壊させただけ。
『くそっ……!くそぉぉ!』
朔夜の叫びが、虚しくその場に響いた。幾重も悲鳴が重なるその場で、けれども朔夜の慟哭はその場でも一際大きなものだった。
内容を刷新しています。今まで読んで下さった方、申し訳ありません。