夢
声が、聞こえる。
「……目を覚まして」
……“君”の声。何て最高な日なんだ、そんな事を思いつつ、僕は起き上がって彼女を抱き寄せる。
「キャッ…!どうしたの、いきなり」
僕の突然の行動に始めは抗うような素振りをしていたが、やがて諦めたのか力を抜いて僕に身を任せてくれた。
「……何でもない」
「変なの。ホラ、朝ごはん冷めちゃうよ」
彼女はスルリと僕の腕の中から抜け出すと、キッチンの方へと歩いて行った。もう少し、彼女の温もりを感じていたかったのに…と残念に思いつつ、ふと窓の方へと視線をやった。柔らかな太陽の光。雑多なビル群。その隙間を縫うように、沢山の人や乗り物が行き交う。何十回とこの光景を見ているが、こうした何気ない風景が好きで飽きない。
「どうしたのー?」
「ああ、ごめんごめん」
彼女の言葉に我に返って、僕はキッチンに向かった。テーブルの上には、ご飯と味噌汁と焼き魚という何とも昔ながらの朝食が置かれている。
それを2人で食べて、僕は支度をする。…本当は“この空間”から出たくないのだが、僕の身体はまるでプログラミングされたようにこの行動を止めることができない。
「……じゃあ、行ってきます」
そう言って扉の前に立った僕の服の端を、彼女はギュッと掴む。
「もう少しだけ……」
そして、彼女はスルリと僕の腕の中に入ってきた。何十回と“繰り返してきた”場面だが、こんな風に彼女から抱きしめてくれたのは初めての事だ。驚いて少し硬直してしまったが、僕もそれに応えるように、彼女の細い身体を抱きしめる。
このまま時が止まればどんなに良いか。このまま、彼女を“ここ”から連れ去ってしまえれば、どれだけ幸せなのだろうか。
けれども、口を動かそうとしたその瞬間、僕の身体は勝手に動き出して扉の外に出てしまった。
……“覚めてしまう”。そう思った時には遅かった。ガラガラと、自分の目の前の光景が崩れ落ち、徐々に闇に染まっていく。彼女と過ごしたあの場所も、彼女も。どんどん闇に侵食され、消えてしまう。
「桜月…!」
彼女の名前を叫ぶが、届かない。そして、僕の意識も闇の中に沈んでいった。
次に目を覚ました時には、無機質な天井が視界に写った。戻って来たか…そんな事を思いつつ、重い体を起こす。
「……何だ、起きたのか」
いつからいたのか、扉にはよく見知った男が立っていた。薄茶の髪に、均整のとれた身体。左右対称と言えるぐらい整った顔立ち。
「慧……」
「気分はどうだ?」
ニヤリと笑う顔に、苛つく。とはいえ、本気で腹立たしく思わないのは、コイツがそれなりに僕のことを心配してくれているからだろう。
「……最高で最低なもんだよ」
「そうか」
ぽん、と男が何かを投げてきた。受け取ってみれば、よく分からない固形物。
「……ホラ、それを食え。食ったら、出るぞ」
「うん…」
一応食べられるらしいそれを、僕は口にしてから部屋を出た。階段を一歩一歩と登っていく。登る度、ボロボロの階段が少し崩れて、欠片が落ちていった。
登り切ると、天井のない部屋。元々天井がないのではなく、この建物自体が真ん中から上が崩れて無いせいだ。
上を見上げれば、空は闇に覆われている。1つも星が見当たらない。そういえば、いつ以来星を見ていないんだっけ。
下を見れば、あちらこちらに瓦礫が転がっていて、まさしく廃墟という言葉がピッタリだった。部屋の中央には、大きな1人掛け用のソファーが1つ。そこに、慧が腰かけていた。彼に寄り添うように、もう1人女がソファーに張り付いている。
「おはよう、朔夜」
僕に気がついた彼女…沙羅は、柔らかな笑みを浮かべて僕の方に振り返った。さらりと黒くて艶やかな長い髪が舞う。切れ長で涼やかな瞳が特徴の綺麗な顔立ちだ。
「“おはよう”なのか?」
「良いじゃない。もう少しで、夜明けよ」
僕はその言葉に応えず、代わりに部屋の隅に置いてあった水を飲む。
「……さて。皆が待ってる。そろそろ行くぞ」
音もなく、慧が立ち上がった。その横で、沙羅も立つ。そして、慧を先頭に僕たちは外へとそこから飛び降りた。そのまま、着地をすると走る。
かつては舗装され、整えられていた筈の道。それが今じゃ、ボロボロと崩れて地面が剥き出しになっている。建物もまた、僕らがさっきまでいたビルと同じようにボロボロと崩れて見るも無残な姿になっていた。
かつて隆盛を誇った人類文明の、なれ果て。それが今のこの光景だ。
…西暦2250年。人類社会は、一度滅んだ。