さぼてん
「はぁ~あ、人生ってあまくねーなーぁ。」
男はどっかとベンチに座り、手に持っていたサボテンの鉢を横に置いた。
背もたれにもたれかかり、上を見上げると木々の間から太陽の光が降り注いでいた。秋の太陽。空気が冷たくなってきているからら、今までより清らかな物を感じる。
その中にいても男の心は晴れない。
話は1年前にさかのぼる。
男には友達がいた。名前はエリカ。一重まぶたのくせに、やたらと目が大きく、初めて会ったときには違和感を感じたほどだ。
お互い社会人に成り立ての夏、独り暮らしの寂しさも手伝い、職場が一緒だった二人はお互いの部屋に行き来し、酒を呑むのが週末の過ごし方だった。
お互い一人暮らし、なんの遠慮もなく、ただだらだらと職場のグチを言い合いながら酒を呑む。そんな日々が続いた。
でも、身体の関係は一度もなかった。そこに進むと後には戻れなくなる気がしていた。だから、お互いそこは暗黙の了解で、色っぽい話が上がることもなかった。
そんなエリカがある日小さなサボテンの鉢を買ってきた。
「ねぇねぇ知ってる?サボテンって悪い電磁波を吸い込んでくれるらしいよ。」
「へぇ~、サボテンって砂漠にいるだけあるな。水だけじゃなくていろんな物吸い込むんだ。」
「そう!だからこれをテレビに置いておくと部屋がクリーンになるのよ。いろんなものを吸って、きれいな花を咲かすの!」
「んで、それを俺にくれるんだ。いいところあるね~」
「違うわ、私が入る部屋だからクリーンであって欲しいのよ。」
「でも、電磁波を吸い込んだ花は汚そうだな…」
「それもそうね。」
それ以来、サボテンの鉢は男の部屋のテレビの上、ちょこんとあった。
ビールが旨い夏から、日本酒が染みる秋になりかけた頃。
エリカが辞めた。
「社会の歯車に組み込まれるのに耐えられなくなったのよ。」と言っていたが、本当の事はわからない。
職場の女の子達の間では、「上司と不倫してばれて辞めた」とか、「セクハラに耐えられなくなった」とか、きな臭い噂が飛び交っていた。元々群れる女ではなかったので、いいターゲットにされたんだろう。
最終日、机の整理をテキパキと終え、定時になるまでの10分、エリカはイスに座ってぼんやりしていた。
男は書類の整理に追われながらも、エリカの横顔をそっと盗み見た。哀しい感じでもなく、寂しい感じでもなく、怒っている感じでもなく、昨日までと同じ顔をしているエリカの顔があった。
書類の文字がにじんだ。
自分でもわからないけど、泣いてしまったようだ。こんな所は見せられないので、男はトイレに走った。
トイレに入っても涙は止まらない。溢れてくる涙の訳は一つしかない。なんてことはない会話、なんてことはない顔、そうした物に気付くことなく引かれていたんだ。無くしそうになってから気付くことがこの世にはいっぱいある。
そう思ったらいてもたってもいられなくなった。トイレから飛び出て、机に戻る。
時間は5時8分。エリカは帰っていた。
男は自分の机にあるメモに気付いた。
「サボテンの花、見たかったな。」
エリカの家は知っていた。でも、すぐに行くのは気が引けた。
サボテンの花が咲いたら行こう。その想いをムネに、男はサボテンに水をやり続けた。
1年後、花が咲いた。
毎朝見るめざましテレビの占いの最中に気付いた。
男のみずがめ座は1位だった。
男は、職場に電話をした。ずる休みは生まれて初めてだったが、後ろめたさはなかった。晴れ晴れした気分だった。
エリカの家は知っている。大きな公園の側のアパートの2階。
はやる気持ちは扉の前で砕け散った。
ドアの前には表札があった。
「エリカ★シュンスケ」
男はもう一度大きなため息をついた。
俺は何をやっているんだろう。会社を休んで、思いつきでここまで来てしまうなんて。恋は盲目とは言った物だ。
遊歩道にあるベンチには光が降り注いでいる。
けど、ドラマなんかでは、ここで散歩連れのエリカにあったりすんだよな。
なんてことを考えていると、後ろから
「きれいなサボテンの花ですね。」
驚いて振り向いたそこには、シャワーキャップをしたまま犬の散歩に来ているおばさんが立っていた。笑顔で。
「パジャマで外を歩くなよ…」
心の中でつぶやき、もう一度大きなため息をついた。
そのため息は、サボテンの花が吸い込んだ気がした。
作者が生まれて初めて書いた短編です。
これより、少しずつ他の媒体で書いた小説を載せていきます。
少しずつ、でも着実にうまくなっていきますので、気になったらまたぜひ見てください。