第2話 俺、MT免許を取りに行く
日曜日の夜、俺は父親に免許を取ったら車を貸してくれないかと交渉してみた。
「車を貸すって、免許取立てのお前にあのスポーツカーは乗りこなせないよ」
「大丈夫、頑張るから。頼むよ」
「お前そもそもマニュアルで免許取るつもりなのか?」
「マニュアル?」
俺の問いかけに、父親は深くため息を吐いた。
「いいか、車にはマニュアルとオートマの二種類があってだな」
「それなら知ってる」
「俺の車はマニュアル車なんだよ。だからお前が乗るためには最低でもマニュアル免許を取る必要がある」
「そうなんだ」
「だがお前の年齢で今からマニュアル免許は正直厳しい。マニュアル免許は若いうちに取るべきもんだ」
「そんなのやってみなくちゃわからないだろ」
「やらなくてもわかる。お前がクラッチ操作すらおぼつかず、エンストを繰り返す絵が浮かぶよ」
「失礼だな。俺だってやればできるんだ。そのマニュアル免許を取ったら車を貸してくれるか?」
俺の再びの頼みに父親は腕を組み、考えた後に
「お前がマニュアル免許を取って俺を乗せて問題なければ貸してやってもいい」
との言葉を得た。
「だが安くてもいいからマイカーを買うことも検討しろよ。貸すのは一回きりだからな」
「わかった」
「そもそもなんでそんなに急に車の免許なんて取りたいと思ったんだ?」
父親の質問に、俺は自分に彼女が出来たことを正直に話した。
「なんだと。じゃあその彼女をドライブに連れて行くために免許を取るつもりなのか?」
「ああ、そうだ」
「お前その娘に相当入れあげてるな。後で裏切られても知らないぞ」
「親なら素直に応援してくれよ」
「応援したいけど、どうせ俺の息子が結婚なんて出来るわけ無いからな」
「失礼なこと言うな」
俺と父親の口論に気がついた母親が、その場をいさめるよう進言した。俺は
「絶対取ってやるからな」
と捨て台詞を吐いて二階の自分の部屋に向かった。
大変なことになった。33歳で難しいと言われるマニュアル免許を取らないといけない。果たして俺にできるのか? マニュアル免許はそんなに難しいのか、俺は東矢にLINEで相談してみることにした。
手毬「マニュアル免許を取ろうと思ってるけどむずかしいかな?」
東矢「ばっ止めとけよ、死ぬ気か? おとなしくオートマにしておけ」
手毬「父親との話の成り行きでマニュアル免許を取ることになったんだ」
東矢「ひえーーご愁傷様」
手毬「ご愁傷様って、そんなに難しいのか」
東矢「俺も挑んだけど、丁字路付近であきらめてATにしたぐらい難しい」
手毬「お前の知り合いにマニュアル免許持ってる人いないの? 話聞きたいんだけど」
東矢「そういえば18歳でマニュアル免許を取った女の子なら後輩にいる」
東矢の驚きのLINEに俺は食らいついた。ぜひ話を聞きたいので会わせてくれないか、とお願いすると、東矢は快く承諾してくれた。18歳でマニュアル免許を取った女の子か、一体どんな子なんだろう。想像が膨らむな。
今日会う彼女が未成年のため、俺達はファミレスで会うことになった。彼女には奢るから何でも好きなものを頼んでいいと東矢を通して言ってある。しかしAT免許を取る女性が多い中でマニュアル免許を取るなんて中々にロックな女の子だな。もしかしてゴリラみたいな子だったりして。
俺達は品川駅前で待ち合わせをした。するとこの世のものとは思えないほどのショートカットの美少女が俺に向かって歩いてきた。やや赤毛の髪に髑髏のバレッタを身に付けた彼女の名前は
「段手毬さんですか? 東矢さんから聞きました牧野玉藻です、18歳です。」
というらしい。俺の彼女よりも可愛い。いや、でも俺は濡木莉来が好きなんだ。浮気なんて出来ない。
彼女と話をする前に、東矢がやってきたため、俺達三人はファミレスへと向かうことにした。
夕食時のファミレスは混雑していて少し並ぶことになった。その間を利用して、俺は牧野さんに話しかけた。
「キミはどこ出身なの?」
「秋田の能代です。ご存知ですか? バスケットの街なんですよ」
「へえそうなんだ。そいつはしらなかった。それにしてもどうして東京に上京してきたの?」
「それはちょっと事情がありまして、秘密です」
彼女は可愛らしくウィンクをしながら俺の質問を巧みにかわした。この子、できる。
「牧野さんは秋田でMT免許を取ったんだよな」
東矢が彼女に話を振る。
「はい。けっこう大変でしたよ」
そのけっこう大変の部分は席に座って食事をしながら尋ねることにした。
十分ほど待ったところで俺達は店員に呼ばれて禁煙席に腰掛けた。東矢も俺もタバコは吸わない。東矢は昔は吸っていたが、禁煙に挑み成功したらしい。相当大変だったらしく、禁煙外来に通い詰めて何とかタバコという悪魔の棒から抜け出すことができたと喜んでいた。
「今日は俺のおごりだから、何でも食べたいものを食べていいよ」
「本当ですか? ありがとうございます。ごちになります」
「いやあ、段ちゃん悪いね、気を使ってもらっちゃって」
「いいんだ。こっちも情報収集できて助かるよ」
確かにこの出費は俺にとっては必要な物だ。MT免許取得がどれだけ大変か尋ねるのにこれ以上の存在はいない。東矢はAT限定だから参考にならないのだ。
「それじゃあさっそくだけど質問してもいいかな」
俺はニコニコしている牧野さんに話を聞くことにした。
「女性はAT限定が多いのに、なんでMT免許を取ったの?」
「私の地元はまだまだMT車が主流なんですよ。ドが付くほどの田舎なんで。だから私も自然とMT車という選択肢になったんです」
確かに秋田は田舎だし、地方は車社会だろうからMT車もまだまだ現役なのかもしれない。
「牧野さんはまだ若いけど根性あるからな。自力でMT免許を取得したわけよ」
「そんなことないですよ。最近は秋田では女の子もAT限定を取る子が増えてきてますよ。私は家の車がMTということもあったので。」
彼女の家の車はMT車らしい。俺と同じだ。
「段さんはどうしてMT車の免許を取ろうと思ったんですか?」
牧野さんの質問に、俺は丁寧に答えることにした。
「俺の家も親父がMT車のスポーツカーに乗ってるんだよ、車好きでね。それで車を貸してもらうためにMT車の免許を取ろうと決めたんだ。」
「そうだったんですか。じゃあ私と少し境遇が似てますね」
そう言って、彼女が見せる笑顔は極上の一品を越えていた。やばい、この娘可愛いすぎるだろう。東矢が羨ましい。
「ところで話がちょっと変わるけど、二人は職場の先輩と後輩という関係なのか?」
俺は東矢に話題を振った。
「ああ、まあ営業部といっても広いからな。牧野さんは営業事務の若きエースだ。しかも彼女は俺の向かいの社宅の住人なんだよ。一人で住んでるんだ。それでしょっちゅうつるんでるってわけ」
「へえ、そうなのか」
東矢の奴、羨ましいな。俺とは一回りも年下なのに別世界を生きている人間だよ。
「それじゃあ話を戻すけど、牧野さん。実際MT免許取得はどうだった? 大変だった」
俺は彼女にもっとも聞きたかったことを尋ねた。
「そうですね。人によるのかもしれませんが、私はそんなに苦痛には感じられませんでした。最初の関門を乗り越えたら後はこんなものかなって感じでした」
「その最初の関門ってなんなの」
「発進です。クラッチ操作が難しくて、私ここで1回で受からなくて、再講習受けたんですよ」
クラッチ操作。親父が軽々と行っている動作が難しいらしい。
MT車のことは一通り聞いたので、次に教習所での体験を尋ねることにした。
「ありがとう、とても参考になったよ。それで教習所のことなんだけど」
「はい」
「実際変な教習員とかいた?」
俺の質問に、牧野さんの眉毛が曲がった。きっと嫌な思い出があるのに違いない。
「いました。もう自分は神様かってぐらい威張り散らす教習員が」
「やっぱりいたんだ」
「私の行った教習所は教習員を選べなかったのでその教習員に当たると大変でしたよ。当たって欲しくないときに限って当たるんですよね」
「教習員を選ぶ? そんなこと出来ないでしょう」
「教習所によっては出来るみたいですよ。自分専属の教習員を選んで快適に免許を取ることも出来るみたいです」
彼女の意外な発言に、俺は驚いた。
「そういう教習所があるなら、ぜひ通いたいね」
「実際そういうところは人気だから数は少ないみたいですけどね」
「ありがとう、とても参考になったよ」
「いいえ、とんでもないです。他にも何か質問はありますか?」
牧野さんが魅惑の笑顔でそう聞いてきたので、俺は質問を搾り出した。
「MT免許を取るまでにどれぐらい時間かかった?」
「私は一気に行ったので3週間ぐらいですね。MT車は一気に取らないと、操作忘れちゃいそうになりますよ」
なるほど、一気に取得か。
「あとどこの教習所でも行うと思うんですけど、運転適正テストみたいなものをやるんですよ。そこで五段階で点数が低いと教習所の人に呼ばれます」
「運転適正テスト? そんなのもあるのか」
「ああそれ、俺っちは四だった」
「私は五でした」
「まあ普通の人間なら四か五で問題ないみたいだし、その辺は心配ないんじゃね」
「ああ、そうだな」
運転適正テスト。嫌な響きだな。俺を激しく不安にさせる。
頼んだ料理が運ばれてきたので、俺達は一旦質問を中断し、食事を取ることにした。牧野さんは小食らしく和風ハンバーグのライス少な目を一生懸命時間をかけて食べていた。
「どうだい手毬ちゃん。参考になったかい」
東矢の問いかけに、俺はガッツポーズしてみせた。
「ああ、とても参考になったよ。MT車取得が難しいってことがね」
「難しいのは最初の発進とクランクだけですよ。そこさえ乗り越えればあとはATと変わりません。ただ私は秋田で免許を取ったからあんまり交通量の多いところを走らなかったんですよ。東京は交通量が秋田と全然違うから、渋滞でのクラッチ操作が大変だったり、都会でMT免許を取るのは地方で取るよりもハードルが高いかもしれないですね。駄目だと思ったら無理せずATにしたほうがいいと思いますよ」
「そうか、ご忠告ありがとう。でも話を聞いてたらますますMT免許を取りたくなったよ。」
「そうですか。頑張ってくださいね」
「ああ、頑張るよ」
「途中経過とか教えてくれよ」
ステーキをほお張りながら、東矢は俺に言ってきた。
「ああ、途中経過でも何でも教えてやるよ。ところで牧野さんはどうやって教習所を選んだの」
「私の実家はど田舎なんで、教習所を選ぶ余地がなかったんですよ。地元の人が皆が行くところがあって、私もそこで取りました。」
「そうか、教習所は選べなかったんだ」
「はい。段さんは一生懸命頑張って自分にあった教習所を探した方がいいですよ」
「自分にあった教習所ねえ。どんなところだろう」
「そりゃあもう親切丁寧に教えてくれるところですよ。段さんは年齢も高いので色々大変なことも出てくるかもしれないし、その辺をしっかりフォローしてくれる教習所を選ぶべきです。」
「そうだね、参考になったよ。ありがとう」
こうして楽しい晩餐は終わりを迎えた。二人と別れた俺はさっそくスマホで教習所の検索を始めた。
遠くなく、親切丁寧、専属教習員制度のあるところ。
以上の条件で検索してみたところ、ほとんどヒットしなかった。そこで距離を外して検索すると十件ほどの教習所がリストアップされた。 どうせ通いになるならば職場に近いところがいい。俺の職場は渋谷だからその近辺の教習所を探すことにした。
家に帰るまでに見つけることができず、結局家までの持ち越しになった。家に帰ると俺はさっそく自分の部屋に引きこもってノートパソコンを起動した。パソコンで検索した結果、自分の希望する条件にあった教習所が見つかった。実績があり、親切丁寧をうたい、遠くなく、専属教習員制度ありのところだ。名前は虹色教習所経堂支店。いくつかの教習所を経営しているチェーン店の一つらしい。俺は早速その教習所の評判をネットで調べることにした。するとその教習所は女性が取りやすいように女性の教習員を多く用意しているらしいことがわかった。特に悪い噂も書き込みがない。
虹色教習所経堂支店か。良さそうだ。俺は自分が通う教習所をここに決めることにした。
さっそくHP上から入学願書を取り寄せを行った。果たして俺は無事にマニュアル免許を取得することが出来るのだろうか。
日曜日。俺は彼女の莉来とデートをすることにした。俺が働いているコールセンターは土日休みのホワイト部署だ。しかしいつ転属になるかわからない。人生はすっぱいのだ。こうやって彼女と二人で会えるときは貴重である。
渋谷のハチ公前で待ち合わせをしていると、すこし遅れて濡木莉来がやってきた。編みこんだ長い髪に桜色のベージュのチュニックに白いパンツ。いつもスーツ姿ばかり見てるから彼女の私服姿は新鮮だ。メイクも気合が入っている。
「おまたせ、遅れてごめんね」
「いやあ、丁度自分も今来たばかりだよ」
定型の会話をしたのち、俺達は腕を組んで街を練り歩き始めた。
デートをすることは決めていたが、今日何をしようか特に予定があるわけではなかった。そのため暫く談笑しながら渋谷の街をあるくことになった。季節は梅雨とはいえ、蒸し暑さが厳しい季節。歩き続けると自然と喉が渇いてきた。
「ねえ、どこかで休憩しない」
「うん、いいよ」
俺達は近くにあったオープンテラスの喫茶店の外の席に腰掛けた。
「そういえば、免許の件、どうなった?」
莉来がニコニコしながら聞いてきたので、俺は現状を説明することにした。
「とりあえずマニュアルかオートマにしようか迷ってる。教習所は見つけたから、今度入学してくるよ」
「わあ見つけたんだね、凄い。絶対マニュアル免許を取ってよ。私のお父さんがマニュアル車を操作している姿、超カッコいいの。手毬さんのカッコいい姿みたいから、ね」
そう言われるとオートマという線はかき消されてしまう。やはりマニュアル免許をとらないと最悪俺は振られてしまうわけか。かなりハンデのあるゲームだな。
「はは、頑張るよ。でもこの年でマニュアル免許は色々大変みたいなんだよね」
「年齢なんて関係ないよ。気合さえあれば乗り越えられるって」
彼女は高校時代陸上をしていただけあって顔に似合わず中々の脳筋である。
「そうだね、気合があれあ乗り越えられるよね」
「そうそう、気合、気合」
彼女は鼻息を荒くしてうなづいている。彼女の期待に答える為にもマニュアル免許を取らなくてはならない。ああ、なんだか凄いプレッシャーを感じてきた。
喫茶店を後にした俺達は映画を観ようという話になり、最近話題の恋愛映画を観に行った。恋愛映画は女性向けの甘ったるい内容で、彼女は楽しんでいたが、大人の俺にはやや苦痛の伴う内容であった。
「映画感動したね」
「ああ、そうだね」
ここで映画を批判するわけにはいかない。批判するほどの内容でもなかったし。
「主人公の女の子の行動には共感が持てたよ」
「ホント、私もだよ」
お互いツボが同じだったので、彼女の俺に対する好感度は上がったらしい。
結局その日は夕食にラーメンを食べて莉来と別れることになった。別れ際、莉来が気になることを言ってきた。
「ところで手毬君が行く教習所って、公認?」
「公認って何だ」
「私も詳しくは知らないけど、教習所には公認と非公認ってのがあるんだって」
俺は愕然とした。




