神の存在
次の日葵亥が架橋神社の鳥居に付くと、既に菊守、導仁、椿嬉がいた。
葵亥たちが鳥居をくぐって神社の中を歩いて行くと、社務所の近くを竹箒で掃除している背の高い巫女がいた。
きっとこの巫女が昨日導仁が言っていた雪笹という巫女だろう。
葵亥たちが近づいていくと、その巫女もこちらに気がついてお辞儀した。
「菊守様と葵亥様ですね」
「導仁様もいらっしゃいますよ」椿嬉が付け加えた。
「私は籠位雪笹です。以後お見知りおきを」
椿嬉の言葉がまるで聞こえなかったとでもいうように、雪笹は菊守と葵亥に向かって自己紹介した。
雪笹という名の通り白い可憐な花を思わせる美人だ。
それで、と雪笹は呆れたようにため息をつき、やっと導仁を見て言った。
「なぜ導仁様までいらっしゃるのですか」
菊守と葵亥に対する態度とは明らかに違う。
「相変わらず冷たいなあ。私は菊守殿の護衛ですよ」
「護衛、ですか」
「私が護衛だと心配ですか」導仁が意地悪そうな顔をして聞く。
「いえ、そういうわけでは」
「葵亥殿も一緒ですから何も心配ありませんよ。あの気織家の武士ですから」
雪笹はまだ何か言いたげな不満そうな顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。
導仁が雪笹へ風呂敷包みを差し出した。
「そうそう、こちらは差し入れです。皆さんで召し上がってください」
きれいな柄の風呂敷で包んでいるところなど、気の利く贈り物だ。
「ありがたく頂くわ」
雪笹が風呂敷包みを受け取った。
さすがに贈り物を突っ返すほどではないらしい。
「水珠の国の名産品の菓子です」
「ありがとうございます。でもあまり高価な物は困ります」
「今日は再会の記念ですから特別ですよ」
◇◇◇
それから菊守、導仁、葵亥は椿嬉と想殿に向かった。
菊守と葵亥はまた昨日と同じように矛で水瓶の水をかき混ぜ、渦が消えるのを黙って見つめた。
葵亥は渦が消えるまでの間、神話について考えた。
昨日本屋で買った古事記を屋敷に戻ってから読んだ。
その中にはもちろん国産みの話もあった。
渦が消えると矛を机に置いて、葵亥はまた壁にかかった絵を眺めた。
壁の絵はもちろん全て昨日と同じ絵だったのに、今日の葵亥にとっては見え方が違っていることに気がついた。
絵の意味が分かるのだ。
昨日はほとんどの絵が、絵としての素晴らしさは別として、何の印象も残らなかった。
すべてが同じように見え、葵亥の知らない「何かの絵」でしかなかった。
しかし古事記を読んできたおかげで、今日はそれらが神話のどの話を表しているのか分かるようになっている。
以前、父が言っていた言葉を思い出した。
「知識は見えるものの色彩を豊かにする。知識をつけろ。
そうすればお前の見る世界はどんどん面白くなるぞ」
今なら少しその言葉の意味することが分かる気がする。
葵亥は、たくさんある絵の中でもとりわけ大きく色彩豊かな絵の前で立ち止まった。
「これは邇邇芸命の天孫降臨の絵ですね」
葵亥が自分自身に確認するように言うと菊守が横に並んでその絵をじっくりと見た。
「そのようですね」
「この左の人物が邇邇芸命で、右の天狗は猿田毘古神、そしてこの天女は天宇受売命ですね。
古事記を読んできたんです。それでやっとこの絵の意味が分かってきました。
邇邇芸命が天から降り立つときに道を照らしてくれたのが猿田毘古神ですね」
葵亥がふと横を見ると、菊守が驚いた表情で葵亥を見つめていた。
「たった一日でそんなにしっかり読んできたのですね。
なんとなく感じていたことですが、葵亥殿はとても真面目な方ですね」
「えっ真面目?そんなことは。
ただ、自分が神話を理解していないせいで、國造りの儀に差し支えては困りますから。
菊守殿や椿嬉殿の足手纏いになるわけにはいきませんし」
「「まじめですね」」椿嬉と導仁が口をそろえて言った。
「と、とにかく、私は今まで神話について真剣に学んでこなかったんです。
ちゃんと理解して信仰心を持たなくてはいけないと思ったんです」
「葵亥様はご自分に信仰心が無いことが問題だとお考えなのですか」
椿嬉が葵亥の目をまっすぐに見て聞いた。
葵亥は自分が悪いことをしている気持ちになって、目をそらした。
「こんなことを言うと軽蔑されるかもしれませんが、私は今まで神様の存在を信じていませんでした。
正直今でも信じてはいません。
どうしてもおとぎ話のものと思えてしまいます。
私はまだ國造りの儀を行えるような人間では無いかもしれません」
葵亥がそれだけ一気に言ってしまうと、意外なことに椿嬉は微笑んでいた。
「全然軽蔑なんてしません。
私も神様が実際にいるとは思っていませんから」
葵亥が驚いたことに椿嬉がきっぱりと言い切った。
「でも信仰心はあると思います」
「椿嬉殿も神様はいないと思っているのですか?」
葵亥は確認するように訪ねた。
椿嬉の言葉を聞いて拍子抜けしてしまった。
「ええ、私も神様が実際にいるとは思っていません。
でも神は神話の中に確実に存在します。
そして神話は日本という国の原点であり神髄になっているのだと思います」
「一体どういう意味でしょうか?」
「それは、國造りの儀を進めていけば分かるかもしれません」
椿嬉が意味深に微笑んで言った。
葵亥にはわけが分からなかった。
菊守も少し考え込んでいるように見えた。
菊守は本当に神様はいると思っているのだろうか。
しかしそれを聞くことはできなかった。




