狛犬と獅子
「葵亥様、おはようございます。
今日は随分早くいらっしゃったみたいですね」
椿嬉が架橋神社にやってくると、既に葵亥が拝殿前の石段の一番下に座っていた。
今日は葵亥の方が椿嬉よりも早く神社にやってきていたようだ。
「早く目が覚めたもので、絵を描きに来たんです」葵亥は描きかけの絵を椿嬉に見せた。
拝殿を描いた絵だ。
石段の下から見上げる構図で描かれている。
椿嬉は葵亥の横に座ってその絵をじっくりと見てみた。
「神社の風景画ですか。やっぱり葵亥様は絵がお上手ですね」
「ありがとうございます。もう少しで完成です」
椿嬉は、葵亥が続きを描くのを横でじっと黙って見ていた。
わざわざ絵を描くために矢立てに筆を入れて持って来たようだ。
気織将軍家の三男とは思えない地味な事をするものだ。
いや、葵亥はもともとこうやって細かい絵を描くのが好きな真面目で地味な性格の青年なのだろう。
本来ならば将軍家の威光に加え、尾木の国一番とも噂される武術の腕、おまけに菊守とは違う性質だが整った顔立ちをしているし、持ちあわせているものは派手の一言につきる。
それなのに葵亥は必要以上に目立たぬよう、上手く立ち回っている。
謙虚と言うよりも、葵亥はそもそも目立つのを嫌う性格なのだろう。
「はい、できました」葵亥は描きあげた絵を椿嬉に渡した。
「素敵な絵ですね。線が柔らかくて優しい感じがします」
椿嬉は本心でそう言った。
葵亥が矢立に筆をしまっていると、砂利を踏む音が近づいて来るのが聞こえてきた。
「葵亥殿、椿嬉殿。おはようございます」
菊守の声に顔をあげると、菊守と導仁がこちらへやって来る。
もういつもの時刻だ。
鳥居のあたりにも別の参拝者が二人歩いているのが見えた。
「おはようございます、菊守様。導仁様。
見てください。葵亥様の絵、素敵ですよ。
今完成したばかりなんです」
椿嬉は葵亥の描いた絵を菊守たちに見せた。
「本当に素敵な絵ですね!」菊守も感心してその絵をじっくりと見ている。
「絵を描いてみて初めて気が付いたんですけど、この狛犬、よく見ると左右で顔が違うんですね」
葵亥が言葉に、絵を見ていた椿嬉は顔をあげた。
「あ、お気付きになりましたか。
大抵は左右合わせて狛犬と呼んでいますが、実は狛犬は左側のものなんです。口を閉じていますね。
右側の口を空けている方は獅子なんですよ。
全てではありませんが、多くの神社ではこういう配置になっています」
「え!そうなんですか?
今まで全部同じ物が並んでいると思い込んでいました。
というか注意して見たこともありませんでした」
葵亥が改めて狛犬と獅子の顔を見ている。
「獅子は阿形、狛犬は吽形、つまり一対で阿吽を表しています。
阿吽は宇宙の始まりと終わりを意味します」
「興味深いですね」菊守も狛犬と獅子の顔を見比べて言った。
「狛犬と獅子は神社ごとに顔や姿が異なりますから面白いですよ。
それによく見ると、みんなかわいらしい顔をしてますよね」
「かわいらしい、ですか⋯?
私の目にはすごく厳つい顔に見えますけど⋯」
葵亥が納得のいかない表情をしている。
「そうですか?葵亥様って変わってますねえ」
「えっそれは椿嬉殿の方では?
菊守殿、どう思います?」
「回答拒否です。
さてと!参拝行きましょうか」
菊守が鳥居の方へ向かったので、椿嬉と葵亥も急いで立ち上がり着いて行った。
案の定導仁だけは社務所の方へ向かって行った。
◇◇◇
参拝を終えて社務所に行くと、導仁と雪笹と五姫婆が茶を飲んでいた。
導仁と雪笹はまた将棋を指している。
「え、すごいくつろいでるじゃないですか」椿嬉が言った。
「最近は落ち葉も減ってきましたからね。休憩です」
雪笹が将棋盤から目を離さずに答えた。
かなり真剣な勝負のようだ。
「この饅頭を賭けているんですよ」
導仁が将棋盤の横にある一つの饅頭を指さした。
なるほど、それで雪笹が真剣になっているわけだ。
「雪姉、お饅頭に釣られてるわね」椿嬉がぼそりと呟いた。
「皆さんの分も買ってきていますよ」
菊守がくすくすと笑って言った。
「ちゃんと余分に用意しましたから。あとで独楽で勝負です」
「それなら、あの将棋が終わったら五姫婆の屋敷に行きましょうか」
椿嬉の提案に皆が賛成したが、雪笹が急に立ち上がって言った。
「いえいえ!お待たせするのは良くありませんから!
仕方ありません!導仁様、この勝負はここまでとしましょう!
ええ、そうしましょう!」
「しかしせっかくここまで…」
「さっ!終わりですから!」
将棋盤を見たところ、今回も導仁が勝ちそうだった。




