其々の立場
葵亥は架橋神社の参拝の後、すぐに屋敷に帰った。
いつもなら菊守たちと寄り道をしてから帰るのだが、今日は寝不足だったので昼寝をして休むことにした。
自室に入ると昨晩切りつけられた畳と布団は既に新しい物に取り替えられていた。
使用人が温かい茶を持ってきてくれたので、葵亥はそれを飲み布団を敷いた。
少し眠ろうと布団に横になる。
刀はすぐ近くに置いてある。
尾木の国を出る前に、この刀をわざわざ特別に作らせて良かった。
元々持っていた刀ではこうはいかなかっただろう。
ここにある刀は特別なものなのだ。
義巳の話では侵入者たちは尊皇派の真朝隊とのことだった。
朝廷の政権を取り戻そうとする者たちがいるということは葵亥も知っていた。
しかし実際に襲われたのは今回が初めてだった。
幕府のお膝元である尾木の国を出たことが無かったからだろう。
今、葵亥は朝廷のある京の都にいるのだ。
尊皇派にとっては将軍家である気織家の者が京の都に居ること自体が面白くないだろう。
葵亥は、朝廷と幕府はうまくやっていると思っていた。
と言うか、実際にうまくやれているのだと思う。
しかし今のこの状況を良く思わない者達もいる。
幕府が政権を握っていることを良く思わない者達が。
葵亥が目を開くと、あたりはまだ明るかった。
多分そんなに長くは眠っていないはずだ。
葵亥は布団を畳んで大きくのびをした。
朝の眠気はとれて、頭がすっきりとしている。
居間に行くと、丁度疲れた様子の義巳が帰ってきたところだった。
「義巳叔父さん、お疲れ様です。今帰ったんですか?」
「ああ、やっと一段落した。
葵亥、昨夜は良くやったな」
「いえ、あれくらいは容易いことです」
それで、侵入者たちについて何か分かりましたか?」
「昨夜も言った通り真朝隊のものたちだった。
彼らにとっては私たちは朝廷から政権を奪った敵だからな。
彼らの主張はこうだ。
今の平和な世に武力は必要無い。
武士の武力によってできた幕府は要らない。
朝廷に政権を返せ。
彼らの言い分も分からんでもない。
しかしそれを武力でどうにかしようとするとは、皮肉な話だ」
「⋯そうですね」
「では、私も少し休むとするよ。
葵亥も引き続き気を緩めるなよ」
「分かりました」
葵亥は自室に戻り義巳の語った事についてしばらく考えていた。
確かに今の世は比較的平和だ。
もう武士は必要無いのかもしれない。
というか、必要無いに越したことはないのだろう。
将軍家の葵亥でさえも武力による統治は既に時代遅れと感じる。
それに、元々幕府は武士が作ったものだが、今となっては刀の構え方も分からない者でも上位の官職に就いているくらいだ。
不満が出てくるのも分かる。
武力とは一体何なのだろう。
ここに酉貴兄が居ればな、と葵亥は二つ年上の兄の顔を思い浮かべた。
◇◇◇
「菊悌様!その格好は、いったいどうされたのですか?!」
菊守が夕方に宮廷へ戻ると、使用人の男が慌てて走ってきた。
「お怪我は有りませんか?!」
「怪我なんて全く無いですよ、定正殿。
帰るのが遅くなって申し訳ない。」
菊守は定正が何故そんなに慌てているのだろうと思ったが、自分の姿を改めて見てみて納得した。
着物や履物にまだたくさんの土が付いていた。
「それなら良いのですが⋯。
すぐに風呂の用意をさせますので。
一体何があったのです?」
定正は心配そうな顔で菊守の泥だらけの格好を上から下まで眺めている。
菊守より十七歳年上の定正は菊守が小さい頃からの付き合いだ。
菊守は子供の頃でさえ、こんなに着物に土をつける事はほとんどなかったので、定正は何事かあったのではと思ったのだろう。
着物の土汚れを払いながら、菊守の顔には笑みがこぼれていた。
「ちょっと、土遊びをしてきただけですよ。大変充実した一日でした。」
菊守は乱れて顔にかかった髪を後ろへ払った。
顔に指が触れたときに、指先に砂の感覚がした。
どうやら顔にも土が付いているらしい。
「もしかして顔にも土付いてます?」菊守は思わず嬉しくなって定正に聞いた。
定正も菊守の様子につられたのか少し微笑んだ。
「菊悌様、顔も髪も土が付いていますよ。」
神社の参拝の後一度宮廷へ戻り、導仁の他にも三人の従者を連れ、例の水珠の国から手配した物を持って出かけた。
今日は葵亥も仮眠をとりたいと言って、参拝の後すぐに屋敷に帰って行ったので、菊守としても都合がよかった。
水珠の国から大量に届いたあれは、なるべく早く準備に取り掛からなければならなかったからだ。
風呂に入りながら菊守は今日の『土遊び』について思い返してみた。
その時が来るのが実に楽しみだ。
菊守は葵亥と椿嬉の顔を思い浮かべた。
二人が喜んでくれると良いのだが。
そう言えば、昨夜葵亥と義巳を襲った犯人達は、尊皇派の者だったと聞いた。
葵亥は何も言っていなかったが、気を遣ったのかもしれない。
真朝隊はなぜ朝廷を持ち上げるのだろう。
幕府と朝廷の均衡が今の平和をもたらしているのではないだろうか。
幕府も朝廷もこのままの状態を維持するのがいいのではないか。
菊守はこんな事は自分が考えても仕方のない事だと思い首を振った。
菊守は幕府とか朝廷とか、そういう物と関係のない椿嬉を少しだけうらやましく思った。




