栗きんとん
「女将さん、こんにちは」
「あら椿嬉ちゃん。皆さんも、いらっしゃい。
お茶菓子は栗きんとんでよかったかしら?」
「はい、お願いします!」
葵亥たちが席に着くと背後から聞き覚えのある声がした。
「お、葵亥じゃないか。」
葵亥が振り向くと義巳が店の入口に立っていた。
「義巳叔父さん。休憩ですか?」
「ああ、そうなんだ」
「義巳殿もこちらへどうぞ。我々も今来たところです」導仁が声をかけた。
「ありがとうございます、では遠慮なくご一緒させていただきます。
しかし丁度良かった。先日、椿嬉殿に協力してもらった詐欺師の件だが、犯人が捕まった。
椿嬉殿にお礼をお持ちしようと、後ほど神社へ伺う予定でした」
義巳は紙包みを椿嬉に渡した。
椿嬉が包みを開くと、中から小さな紙切れが出てきた。
「千味屋という定食屋の食事券十枚綴りです」
「やったー!ありがとうございます!」
椿嬉は目をきらきらさせてお礼を言った。
「千味屋ってこの間私たちが行ったところですね。
椿嬉殿、よかったですね。あの味噌汁がたくさん飲めますよ」菊守が言った。
葵亥もなんだか聞き覚えがあると思ったが、菊守の言葉でやっと思い出した。
本屋の娘がおすすめしてくれた味噌汁の美味しい定食屋だ。
「お待たせしましたー!」
四葉と女将さんがお茶と栗きんとんを持って来た。
「これが噂の栗きんとんね。お団子みたいな見た目なのね」
椿嬉が皿の上の栗きんとんを見つめている。
「美味しい!頬が落ちそうだわ!何でできているのかしら?」
雪笹が早速食べていた。
「栗きんとんは栗と砂糖だけでできているんですよ」義巳が言った。
葵亥も栗きんとんが栗と砂糖だけでできているなんて知らなかった。
「栗と砂糖だけですか。素材の味を活かしているのね。
椿嬉、まだ食べてないの?」
椿嬉はまだ皿の上の栗きんとんを見つめていた。
「だって、この形、かわいいじゃない?」
椿嬉には栗きんとんや百度石のような顔の無い物でもかわいく見えるらしい。
葵亥にはさっぱり分からない。
「椿嬉殿は架橋神社の百度石のこともかわいいと言っていましたね」菊守が言った。
「ええ。ころんとした形がかわいいんですよ」
「五姫婆の屋敷の玄関にあった、兎や猫のころんとした置物も椿嬉殿が置いたんですか?」
葵亥はふと五姫婆の屋敷の可愛らしい置物を思い出した。
「ああ、あれですか?あれは違いますよ。
確かに可愛らしいですけど、飾ったのは私ではありません」
「では雪笹殿の趣味ですか?」今度は導仁が聞いた。
「私でもないわ。確かに可愛らしいけど」
雪笹がくすくすと笑いながら言った。
「では使用人の方ですか?確か五人雇っているとか。
縮緬細工もありましたし、手先の器用な方なんでしょうね」
葵亥は、あんなに美味しい昼食を出してくれる使用人なら、ああいった細工も作れるだろうと思った。
それから、縮緬細工はあのくりくりした目の可愛らしい使用人の娘が作ったのではと想像した。
しかし葵亥の言葉に雪笹が吹き出した。
「うふふ。違うわ。あれは全部五姫婆の趣味よ」
葵亥の無邪気な想像が音を立ててがらがらと崩れた。
「どうしたんですか、葵亥様」
椿嬉の声に葵亥は自分が酷い顔をしていることに気がついた。
「あっいえ!何でもありません」
「お茶のおかわりはよろしいですか?」
女将さんが声をかけに来てくれた。
「女将さん、五姫婆への土産に栗きんとんを三つ包んでもらえないでしょうか?」導仁が言った。
「三つもいるかしら?」椿嬉が怪訝な顔をした。
「五姫婆が食べられない分は椿嬉殿と雪笹殿で召し上がってください。」
導仁がそう言うと雪笹の目がきらりと光ったように見えた。
導仁は本当に気が利く男だなと葵亥は思った。
◇◇◇
導仁は菊守の部屋の襖を豪快に開けた。
「入るぞー」言いながら部屋にずかずかと入っていく。
机に向かって何か作業をしていた菊守は飛び上がって驚いた。
これだからこの男はからかいがいがある。
「だから、もう少し静かに入ってきて下さい!
だいたい、普通は声をかけてから襖を開けるんですよ。
逆です、逆。それで、何なんです?」
「これ、見てくれ。雪笹がくれたんだ」
導仁は満面の笑みで懐から香袋を出して菊守に見せた。
「ええ、知ってますよ。よかったじゃないですか」
「ああ。よかった」
「それより椿嬉殿から雪笹殿は甘いものが好きだと教えてもらったじゃないですか。
どうして蒔絵の櫛を贈ろうとしたんですか?」
「上等な物がいいと思ったんだがちょっと失敗だったな。
でも失敗にしては上出来すぎた」
導仁は思わずにやりとした。
「どういう意味です?」菊守が訝しげな顔で聞く。
菊守は分かっていないようだが、説明するような話でもない。
だいたい葵亥と椿嬉に恋文まがいの文を書こうとしていた男には分かるわけがないのだ。
「いや、気にするな。ところで、何をしていたんだ?
また変な恋文でも書いてたのか?」
「違いますよ。それに変な恋文とは失礼ですよ」
菊守が机の上から紙をとって導仁に見せた。
それはちゃんとした文だった。
水珠の国に買付を依頼する内容だ。
「まともな文だな。それで、こんなものをわざわざ水珠の国から手配してどうするつもりなんだ?」
「香袋のお返しに何かできないかと思いまして。
どなたかのおかげで物を贈るのは私にとっては難易度が高いと分かりましたから。
形ある物ではなく記憶に残る物はないかと考えたんです。
それにこれがうまくいけば、椿嬉殿や葵亥殿だけでなく、たくさんの人に喜んでもらえるかもしれません」
今まで友人のいなかった菊守が、自分で物を選んで贈るのは確かに難しいだろう。
記憶に残る物か。
導仁には菊守のやりたいことが理解できてきた。
「先日の恋文の件といい菊守殿の考えは常軌を逸しているな」
導仁の言葉を聞いて菊守ががっくりと肩を落とした。
「私なりに一生懸命考えたんですが…」
「なかなか良い考えかもしれない」
「…え?本当ですか?それなら急いで手配しましょう!」
菊守が文を持って部屋から出て行った。
菊守が出て行くと部屋は急に静かになってしまった。
導仁も部屋から出て、庭の見える廊下まで出てみた。
庭にはぽつぽつと山茶花が咲いている。
「なかなかどころか、すごくいい考えだな」




