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五姫婆のお屋敷

社務所に着く頃に急に雨が降ってきた。

社務所には五姫婆(いつきばあ)と雪笹がいた。


葵亥(あおい)たちが雨宿りするために社務所に入ろうとすると、四人の姿を見るやいなや、五姫婆が社務所の入口に立てかけてあった傘を指さして言った。


「ここは狭いから、その傘を持ってうちに行きな。

昼ごはんでも食べて雨が上がるまでゆっくりして行くといいよ」

わかった、と椿嬉(つばき)が返事をして葵亥、菊守、導仁に傘を手渡した。


「雪笹も行っておいで」


「えっ私はいいよ」雪笹が導仁を横目で見ながら言った。


「もうやることも無いんだから、ここはあたしだけで十分だよ。行っておいで」


「…はい」

さすがに雪笹も五姫婆には逆らえず、傘を持って社務所の外へ出た。


「うちって言ってましたけど、五姫婆の家に行くんですか?」葵亥が聞くと、椿嬉は頷いた。


「ええ。私と雪姉は五姫婆のお屋敷にお世話になっています」


葵亥は家ではなくお屋敷と椿嬉が言ったのが気になった。

椿嬉や雪笹も住んでいるということは結構広いのかもしれない。


話しているうちに鳥居が見えてきた。

今日椿嬉から教わった通り、鳥居から出る前に皆一礼をしてから鳥居をくぐった。鳥居の中央ではなく左寄りを歩いて神社から出た。


「屋敷はこの神社からは近いのですか?」葵亥が聞くと椿嬉は頷いた。


「ええ。すぐ横です」そう言って椿嬉はすぐ横の壁を指さした。


「え、すぐ横って…」


神社のすぐ横にはとても長い塀の屋敷があった。

奥行きまでは分からないが、確実にとても広い敷地だ。

と言うか、葵亥は今までこの塀の中は大きな寺か何かだと思い込んでいた。


塀に沿って進み立派な門から中に入ると、そこにはやはり立派な屋敷が建っていた。


塀の外からだと建物の屋根の一部しか見えなかったが、手入れの行き届いた庭には池もあり、松や紅葉などの木や、灯籠や庭石もある。

この京の都の中でもこれほど広い屋敷は他に見つかるだろうか。


「私も詳しくは聞いていませんが、五姫婆はどこかの有名な家の娘みたいです。

住み込みの使用人も五人雇っています」

葵亥の驚いた顔を見て、雪笹が説明してくれた。


葵亥にしても将軍家の息子なのでさすがにこの屋敷よりは広い屋敷に住んでいた。

それにしてもこの屋敷だってかなり大きいと思った。

ただの巫女が、しかも使用人を五人も雇って住んでいるとは驚きである。

五姫婆はいったいどんな金持ちの家の出なのだろう。



屋敷の入口に着くと、ただいま、と言いながら雪笹が戸を開けた。


入口から中をのぞくと、右手の下駄箱の上に、ころんとした形の猫や兎などの置物が並んでいる。

天井からは縮緬(ちりめん)細工の飾りがぶら下がっている。

とても可愛らしい趣味である。

椿嬉か雪笹が飾ったのだろうか。


傘をたたみ履物を脱いで屋敷の廊下を歩き通された部屋は広い宴会場のような部屋だった。


「食事を用意してもらっていますから、少しお待ちくださいね。おくつろぎください」と雪笹が言った。


「ありがとうございます」

菊守が丁寧に礼をして言った。

「ところで葵亥殿、独楽(こま)は持って来ていますか?

食事が終わったらやってみませんか?」


「もちろん、持ってきていますよ。

椿嬉殿にも回し方を教える約束でしたからね」


襖の向こうから足音が聞こえた。


「失礼いたします。食事をお持ち致しました」


襖が開き、二人の使用人が御膳を運んで来た。


一人は中年のぽっちゃりした優しそうな女で、もう一人は葵亥より少し年下だろうか、目がくりくりと大きくとても可愛らしい女の子だった。


「こんなにちゃんとした食事を用意していただいて、なんだか悪いですね」菊守が言った。


葵亥も正直そう思った。


「五姫婆は意外にお客には気を遣うんですよ」

椿嬉が笑いながらそう言った。


食事を食べながら皆で他愛のない話をした。


「そういえば三年前の國造りの儀は雪笹殿と桜仁(おうじん)親王と、私の兄の酉貴(ゆうき)とで行ったのですよね?」

気織(けおり)酉貴(ゆうき)は葵亥の兄、将軍家次男である。


「ええ。私はその時も親王の護衛をしていました。

酉貴殿は本当に面白い方でしたね。

今は尾木(おぎ)の国で将軍様の補佐をされていると聞きました」


「はい、その通りです。

丁度昨日、酉貴兄から文が届いたんです。

年が明ける頃に京の都に来るとのことです」


「それは楽しみです」


「酉貴様と導仁様はいたずら好きで、二人でいつも何か企んでいました。

葵亥様も気をつけたほうが良いと思いますよ」

雪笹が導仁をしらけた目で見ている。


「酉貴兄のことなら、何となく想像はつきます」

葵亥も認めざるを得なかった。


「葵亥殿は剣術に優れていると聞きました。

尾木の国では町の警備を任されていたとか」

菊守が葵亥に聞いた。


「はい。と言っても大した事はありません。

喧嘩をしずめたり、泥棒を捕まえたり、その程度でした。

もう少し京の都に慣れたら、こちらでも義巳(よしみ)伯父さんの仕事の雑用をすることになっています。

京の都も平和ですから、刀は必要無さそうで良かったです。

人を切るのは嫌ですからね」


「平和なのは良いことです」雪笹が言った。


「そういえば、祖父がよく言っていました。

平和が刀を不要にするのではない、刀を鞘に納めるから平和になるのだ。と」

葵亥は自分の刀の柄を撫でた。

これを使う機会が無ければいいと思う。


食事を終えると、板張りの隣の部屋へ移動した。

独楽回しをするならこちらの部屋の床の方がいいだろうと、小間使いが案内してくれた。


葵亥は自分の独楽に紐を巻きつけて投げてみた。

すると思っていたよりは上手くいき、独楽はちゃんと回った。


「葵亥殿、いいですね」

そう言って菊守も独楽に紐を巻きつけて投げた。


菊守の独楽は葵亥のよりも綺麗に回った。


「菊守殿、うまいですね」

葵亥が感心していると、今度は導仁が独楽を投げた。


導仁の独楽は三人のなかで一番安定していて速く長く回っていた。


「まあ、年長者ですから」導仁が得意げに言った。


「ちょっと。三人だけで遊んでいないで、私にもやり方を教えてくださいよ」

椿嬉が頬を膨らませている。


「じゃあ、いちばん上手い私が教えましょう。

まず独楽を頭の上に乗せてから呪文を唱えま…」

「導仁殿はだめです。私が教えます」


菊守が導仁の言葉を遮って椿嬉に紐の巻き方を教えた。


菊守の教え方がうまいのか、椿嬉のセンスが良いのか、椿嬉は一回目から独楽を回すことができていた。


それぞれ何回か回す練習をした後で、誰の独楽が一番長い間回るか競うことにした。雪笹が審判だ。


せーので皆同時に独楽を回し始めた。


最初に独楽が止まってしまったのは葵亥だった。


「うわーっ負けた!」剣術では負け無しの葵亥も独楽ではあっさり負けてしまった。


次に独楽の回転が止まったのは導仁だった。


残りは菊守と椿嬉の二つ。


「椿嬉殿っ!いけっ!」葵亥は椿嬉の独楽を応援した。


「菊守殿!まだいけるぞ!」導仁はふらついている菊守の独楽を応援した。


菊守の独楽がふらついて今にも倒れそうなのに対して、椿嬉の独楽の回り方はまるで静止しているかのようにその場から動かずとても美しかった。


そしてやはり、すぐに菊守の独楽は倒れて転がった。


「やったー!勝ったーっ!」


「椿嬉殿、初心者とは思えない独楽さばき、素晴しかったです」菊守が感心して言った。


「ふふん。独楽って、まあまあ面白いわね」


それからしばらく独楽回しで遊んだ。

子どもの遊びかと思っていたが、これがなかなかやり始めると皆むきになってやっていた。


椿嬉はやはり独楽回しがうまかった。

何度か対戦してみたが、椿嬉はいちばん成績が良かった。

一方で悲しいことに葵亥がいちばん弱かった。


知らぬ間に雨も止みそろそろ御暇しようということになって、皆が玄関で履物を履いていると、雪笹が少しためらうように導仁に話しかけた。


「導仁様。こちらを」雪笹が導仁に何かを手渡した。


導仁は雪笹の方から話しかけてきたことに驚いていて、手渡された掌の上のものをまじまじと見つめている。


「香袋ですよ。導仁様だけ無しではさすがに体裁が悪いので仕方なく昨日買ってきました」


導仁が包み紙を開くと、水色地に薄い桃色の桜の刺繍の香袋だった。


「私のためにわざわざ買いに行ってくれたんですね。

ありがとうございます。

雪笹殿からもらった物のですから、一生大切にします」

導仁は最上級の笑顔で香袋を両手に包み込んでいる。


こんなに眩しい笑顔をされては世の中の女性はひとたまりもないだろう。


しかし葵亥が見る限りでは、その輝かしさも雪笹の前では無力のようだった。


「別に、導仁様のために買いに行ったわけではありません。

私も欲しかったから、ついでですよ」

そう言って雪笹は懐から香袋を出して見せた。

灰色の地に雪笹の刺繍だった。


導仁は笑顔で香袋を見つめていて全然聞いていなかった。


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