宵代町の恋
宮廷に帰ると菊守は自室の机に向かっていた。
机には紙と硯が用意されている。
右手には筆を持ってもう一時間ほど経っていた。
書き損じた紙が部屋中に丸めて散らばっている。
目の前の新しい紙はまだ真っ白のままだ。
「菊悌。入るぞー」
急に襖が開いて導仁が入ってきたので、菊守は驚いて思わず筆を落としそうになった。
「うわぁっ!もっと静かに入って来てください!」
「悪い悪い。で、何書いてる?」
この人は宮廷内だと態度が大きいなぁと思いながら菊守は答えた。
「葵亥殿と椿嬉殿へ文を書こうと思っているんですけど、どう書いたらいいか分からなくて」
「文?直接会って話せるのに何を書くつもりなんだ?」
「ちゃんと文で聞かなければならないことがあるからです。
これを読めばわかります」
菊守が以前本屋で買った大衆小説を手渡した。
表紙には『宵代町の恋』と書いてある。
導仁がぱらぱらとページをめくって流し読みしてみると、普通の甘酸っぱい恋愛小説だった。
「どういうことだ?」
導仁はわけが分からないという表情だ。
「男女が恋仲になるにはまず文を送るんです。
相手の了承を得たらはじめて恋人になるんですよ」
「ああ、それは分かる。
で、葵亥殿と椿嬉殿に何を書くつもりなんだ?」
「だから、その…。
友人になってもらえないかと、書こうと思って…」
「え?」
導仁はくしゃくしゃに丸められた紙を一つ拾って広げて読んでみた。「これは、恋文だな」
「だからどう書けばいいか悩んでいるんです」
導仁が困ったように頭を抱えてため息をついた。
「友人というのは文で了承を得る必要はない」
「えっ、そうなんですか?それではどうやって…」
導仁は呆れたようにやれやれと首を左右に振り、苦笑した。
「自然になるものなんだ。
そうだな、共に時間を過ごしているうちに友人になっているものなんだ」
「それでは、自分が相手と友人かどうかどうやって知るのですか?」
菊守の質問に導仁はさらに苦い顔をした。
「それを説明するのは野暮だぞ」
「そこをなんとかお願いします」
菊守が姿勢を整えてまじめな顔で頼んだ。
「うん、まあ仕方がないか。
初めて二人と会ったとき、葵亥殿は世の中にたくさんいる武士の一人で、椿嬉殿は世の中にたくさんいる巫女の一人だっただろう」
「はい、そうです」
「でも今は違うはずだ。
葵亥殿は他の武士とは違うし、椿嬉殿は他の巫女とは違う。
二人は替えの利かない存在、唯一無二の存在になりつつある。
絵を見ると、葵亥殿のことを思い出す。
味噌汁を飲むと、椿嬉殿のことを思い出す。
本屋や定食屋に行くと二人のことを思い出す。
面白い出来事があれば二人に話したくなる。
楽しそうな事があれば二人を誘いたくなる。
もしそうなら葵亥殿と椿嬉殿はもう友人かもしれない」
「相手も同じように思っていると思いますか?」
「それは正直分からない。
相手がどう思っているかなんて分かるはずないんだから、そんなことは考えても無駄だ。
でも少なくとも二人は菊守殿に対して感じ悪くない。
人は仲良くする気がない相手には、もっとそっけない態度になる」
「そういうものですか」
「それに、友人になったらそれで終わりというわけじゃない。
共に過ごした時間や相手を思う時間は友情を深めるんだ」
「友情を深める、か」
菊守は机の上の紙を片付け部屋に寝ころんだ。
そして天井の木目を見つめながら友人というものについて考えた。
「これは没収だ」導仁が『宵代町の恋』を持って出ていった。




