第7話 君に捧げるメロディ
備え付けのドラムセットに機材をセットする。
ハイハットやシンバルの傾き具合をちょちょいと調整し、簡単にセッティングを済ませた。
大まかに合わせたところでスティックを持ち、軽く全体を叩いていく。
違和感があるところを少し調整し、自分に馴染んだセッティングへと仕上げて行った。
学生時代から何百回とやってきた作業だ。
僕のセッティングが終わったところでようやくギターとベースが音を出し始める。
この分だと二人ともまだ当分時間が掛かるだろう。
ふと客席を見ると、先程まであれだけいた観客がほとんどいなくなっていた。
「紅子さん」
「何」
チューニングをしながらピリついた紅子の声が返ってくる。
「あれだけいたお客様方はどこに行かれたのでせうか」
「さっきの高校生コピバン見て帰りましたけど。多分あの子らの友達でしょ」
僕は客席を見回す。
貧乏神を含めても七人くらいしかいない。
少ねえ。
何なら他の出演者まで帰っている。
普通のライブでは中々ありえない話だ。
「マジか……」
なんだか予想外のことばかり起こる日である。
でもまぁ、しかし。
「僕等の初ライブって言ったらこんなのだよな」
「演奏は桁が違うってとこ見せるわよ」
紅子が竹松を睨むと奴はグッと親指を立てた。
準備は良さそうだ。
竹松の前にあるマイクはもしかしなくてもMC用のマイクか。
僕たちはインストバンドだ。
音だけの曲だから歌は入らない。
と言うことは竹松さん、こういう時だけしゃべる気なんですね。
なんとなくグダグダしていると紅子がコードを鳴らしてアンプに向き直った。
ハウリングにも似た甲高い共鳴音がアンプから流れる。
フィードバックと言うやつらしい。
彼女はそのまま片手を上げる。
スタッフと僕等への合図でもある。
始めるか、そろそろ。
ハイハットを数回踏み、リズムを取りながら緩やかに入った。
最初の曲はゆったりとしている。ズレはない。良い感じだ。
今日の音は、やがて思い出へと変わっていく。
余計なことは考えさせない。
初ライブなのにこれほど安心感があるのも珍しい。
長年連れ添ってきたメンバーじゃないとここまで安定した演奏は出来ないだろう。
紅子のギターはいつもお洒落な音がしている。
ファンクとかのギターっぽい音だ。
それに対して僕は結構手数が多い。
ジャズやボサノバみたいなドラムだとよく言われる。
竹松はゴリゴリに歪んだ音の癖に、妙にポップなベースだ。
共通してそうで微妙に共通しない僕たちは、二年以上バンドを続けている。
今日が初ライブだなんて全くもって信じられん。
緩やかに聖夜は過ぎ去って行く。
街ではクリスマスだのなんだのと騒々しいのに。
色んなことがあった今日一日を、僕等は音で紡いでいく。
一曲、二曲、三曲。
曲を終えるたびに興味のなさそうにしていた観客がこちらに引き付けられてきているのがわかった。
拍手の数も徐々に増えていく。
四曲目が終わり、ようやく次で最後の曲と言うところで竹松が口を開いた。
どうやら本当にしゃべる気らしい。
とんでもない男である。
紅子も壮絶な顔で何か言いたげに竹松を睨んでいる。
やめて、笑っちゃう。
「どうも皆さん初めまして」
どうも? 皆さん? 初めまして?
竹松のMCの出だしを聞いた瞬間わかった。
糞だ。
聞く必要性のない、まるで面白みのないMCである。
普段しゃべらない奴が張りきるとこういうことになるのである。
もはや竹松のMCを見守ることも放棄した僕は、会場にいる貧乏神に視線をやった。
「兄ちゃん、次で最後か」
何故か貧乏神の声が聞こえる。
はっきりと。
頭に直接話かけられているみたいに。
不思議な感覚だった。
「押入れの扉がな、ひらいてん」
扉?
「うちが初めて兄ちゃんに会ったときの通路や。道がまた出来たんや。妙なざわつきがすんねん。うちがあの道に足を踏み入れた時と同じ感覚や。だから分かんねん。これを逃すと、次はいつになるかわからん」
えっ?
「兄ちゃんと暮らした二年間、おもろかったで。うち、兄ちゃんも紅子も竹松も大好きや」
何お別れみたいなこと言ってんだろうと思って、やっとこさ別れの挨拶だと気づく。
待ってくれよ。
お前まで僕の前から消えてしまうのか?
「大丈夫や。これから兄ちゃんの人生はうなぎのぼりや。うちは貧乏神やけど、人を不幸にする神とちゃう、ずっとそう言われてきた。でも実際、うちといて楽しそうな人は人であれ妖怪であれ、全然おらんかった。ホンマはうち、人を不幸にするんとちゃうかってずっと思ってた。でも例外がおったんや」
例外?
「兄ちゃんや。兄ちゃんだけは、貧乏でもお金がなくても女の子にフラれてもなんか楽しそうやった。うちも楽しかったんや。そんな兄ちゃんと一緒にいれてよかった。でも、もうお別れや。これ以上兄ちゃんに甘えるわけにはいかん」
なんだよ。
なんだよそれ。
急すぎるだろ。あまりに。
「すまん。でも兄ちゃんの人生はこれから良くなるはずなんや。兄ちゃんが運勢の底を乗り越えたからな。運が昇っていく兄ちゃんとうちは一緒にはおれんのや。貧乏神は運気に弱いねん」
僕は何も言えなかった。
ただ、呆然と、先ほど尚先輩を追いかけられなかった時のように、ドラムの前に座っているだけだった。
また何も出来ないのだろうか。
「兄ちゃん」
なんだよ。
「最後の曲、ちゃんと聞いとくさかい、カッコええとこ見せてや」
何言ってんだこいつは。
「当たりだろ」
小さく呟く。
そうか。なんとなくわかった。
去り行くものを無理に追うことは出来ない。
僕があの時尚先輩を追いかけたって、彼女を抱きしめたって、告白したって、そんなのは寂しさを増幅させるだけの悪あがきでしかないのだ。
あの時の僕に最良の選択肢なんてなかった。
でも、今は違う。
僕の眼の前には音楽があるじゃないか。
共を見送るための、音楽が。
やったるしかない。
「貧乏神!」
僕は叫んだ。
紅子が怪訝な顔で振り返る。
調子に乗ってしゃべっていた竹松も驚いて黙った。
少ない観客が、それまで微塵も目立たなかったドラムに視線を寄せるのがわかる。
「別れは言わんぞ! これは手向けじゃ!」
「何? どうしたの?」
紅子が近寄ってくる。
僕はかまわず叫んだ。
「糞みたいなMCはもういい!」
出来ることなんて限られている。
だから僕は。
「この場にいる奴らに、パンチってやつを見せつけてやろう」
このメロディを貧乏神に捧げる。




