第5話 不運のフックとアッパー
そんなこんなで二十五日になった。
朝から仕事に追われ、年末の忙しさはピークに達しようとしている。
うちの会社は一応二十九日で業務納めのため、今日を越えれば今年の山場はもう終わりだ。
ろくに昼休憩も挟まずに、朝から皆一様にデスクに向かっている。
取引先からの発注依頼と、受注キャンセル、商品の在庫をどうやりくりするかが肝だ。
息もつく暇もなかったが、そのおかげか時間が過ぎるのは妙に早かった。
刻一刻と時は流れていく。
やがて六時になり、どこからか歓声が上がった。
意外にもあれだけ追われていた業務は、最後には割と余裕で終えることが出来た。
騒々しい中、僕はそそくさと上着を羽織る。
「おう秋元! 飲みに行くぞ!」
「あっ、帰ります!」
「貴様ー!」
正直少し休んでから会社を出たかったが、これ以上ここにいると無理やり飲みに連れられかねない。
早足にエレベーターホールまでくると、なぜか尚先輩と部長がいた。
「それじゃあ松本さん、お疲れ様」
「お世話になりました」
そんな会話が耳に入る。
「何やってんですか?」
怪訝な顔で近寄ると部長がギクリと顔を強張らせた。
「お前か……。もう帰るのか? このあと、飲みに行くみたいだが」
「生憎と用事がありますんで」
「明石屋サンタか……」お前もか。
エレベーターがやってくる。扉が開いた。尚先輩が乗り込む。部長は乗らない。見送るだけか。
「じゃあ部長、ありがとうございました」
「元気でやるんだよ」
「はは、尚先輩、なんか会社辞める人みたいですね」
僕がエレベーターに乗り込みながら笑うと、部長は「月曜まで内緒だぞ」と唇の前に人差し指を立て、そのまま扉が閉まると同時に見えなくなった。
しばし沈黙が漂う。
エレベーターが下降する。
えっ?
「辞めるんですか?」
「うん」
えっ?
「会社ってそんな急に辞められるもんなんですか」
「実は一ヶ月前から決まっていたのだよ。部長には内緒にしてもらってたんだ」
驚きもしたが、同時に妙に納得してしまった。
うちの会社はそうやって辞めて行く人が多い。
猫のように音も立てずに消える人が。
気まずいんだろうな、とか騒がれたくないんだろうな、とかそんな憶測が勝手に出てきてしまう。
「実家の家業を手伝うことになってね。辞めるって公言したらまた飲みだのなんだのってうるさくなりそうだから。君にはなんか言っておこうかと思ったんだけど、言えなかったんだよ。ごめんね」
一週間前飲みに行った時の事を思い出す。
――私さ、前から言おうと思ってたんだけど……。
彼女が言おうとしていたことはこれだったのか。
何故あの時、何か引っかかったのかようやく分かった。
『次』の話がでなかったのだ。
毎度飲み会終わりに言われる『次』いつ飲むのかっていう話が。
正直、ショックは隠しきれなかった。
呆けてしまい、上手く言葉が出ない。
頭が混乱していて何を言えば良いのかわからなかった。
会社の外へ出る。
冷たい風が肌を刺す。
外はすっかり暗かった。陽が落ちるのが早い。
一緒に並んで歩いて、ようやく出た言葉が「短い間ですが、お世話になりました」だった。
そんなんで良いのか。
何かもっと言うべきことがあった気がする。
そんな僕の姿を見て尚先輩はおかしそうに笑った。
「最後なのに君はいっつもそんなんだなぁ。淡白というか、そっけないというか、何考えてるのかわかんないや」
「はぁ、すいません」
「私、君が他の女の子に目移りするの、すごく嫌だったんだよ」
「何でですか?」
「鈍いなぁ。好きだったからだよ。気づくと思ったんだけどなぁ。普通」
えっ。
まさかの衝撃的告白だった。
ここか。
ここだったか。
まさかここだったか!
僕が女の子にフラれて喜んでいたのも、毎度飲んでくれたのも、おっぱいさわらせようとしてくれたのも、クリスマス一緒にいたいとか言ったのも。
ここだったのか!
僕は心で叫んだ。
しかし今更告白など彼女は何を考えている?
去り際に告白してきた人間に対し、僕は一体何を言えば良いのだ。
――実は僕も本当は尚先輩が……。
――以前から尚先輩が気になってて……。
――Dカップの女性も好きですよ。
ダメだ。
どれもカスすぎる。
説得力がまるでない上に自分の愚かしさを上塗りするばかりである。
それでも。
それでも何か言わなきゃ。
彼女は僕の言葉を待っていた。
何となく、最後の言葉にするつもりなのが読めた。
僕はちゃんと選ばなくちゃいけない。
絶対に後悔しない、一言を。
そして僕は口を開いた。
「Dカップの女性も好きですよ」
はい終わった。本当に終わった。
何も思いつかなかった。
だから最後に思いついた言葉が口から出た。
我ながら演算処理能力の低いAIみたいだ。
風が吹いた。沈黙が漂う。
尚先輩は一瞬、ものすごく冷たい目をしたあと、そっぽを向いた。
「さよなら」
僕は、彼女の背中を追いかけられずに、そのまま立ちつくした。
彼女の姿は、やがて見えなくなる。
何やってんだろう。
冷えた風が突き刺さる中、弱々しい力で服の袖をちょいちょいと引っ張られた。
表情を変えずにそのまま下を見る。
さぞかし僕は間抜けな顔をしていただろう。
貧乏神が立っていた。
子供用の防寒着を着せられ、フードをかぶっている。
「迎えに来たで、兄ちゃん」
手を引っ張ろうとする貧乏神を僕は制した。
「ちょっと待って。今、不運のフックとアッパーが同時に来たから」
「でもこれから運気は右肩上がりや」
「その防寒着、どうしたの」
「紅子が買ってくれた。クリスマスプレゼントって」
「こんないたいけな子供を着物一枚で放っておくなんて出来ないからね」
顔を上げる。
紅子がにやけ顔で立っていた。
「クリスマスにフラれるとか、ぷーぷぷぷ、だっせ」
「うるさいな……」
僕は俯いた。
するとポン、と肩を叩かれる。
竹松だった。居たの。
「なんだよ、竹松」
竹松は笑みを浮かべる。
「今日は良いドラム叩けよ、秋」
「ばっか、何言ってんだよ」
僕は肩をすくめると、天を仰いで叫んだ。
「当たり前だろー!」
「何テンション上げてんのよ。空元気すぎてキモい」
紅子が冷めた様子で顔をしかめた。
貧乏神は肩を揺らして笑い、紅子は「わぁ可愛い」と彼を抱き上げる。
「じゃ、さっさと行きましょ。あんたの舞台はこっちじゃなくてあっち。フラれんのは予定調和。景気付けに音楽で飛ばすわよ、その陰気と不運。終わったら四人で打ち上げ。最高に上手い酒で完璧。メリークリスマス」
「ですな」
僕は手を前に差し出した。
竹松がその上に自分の手を乗せる。
次に紅子が乗せ、最後に貧乏神が乗せた。
「成功させよう。必ず」竹松が言う。
「ライブ何年ぶりだっけ」僕は首をかしげた。
「三年くらいじゃない」
「全然いけるな、それじゃあ」
「秋君のその意味分からない自信どこから来るんだか」
僕は胸を叩き「ここ」と指し示す。
返ってきたのは「引くわ、その返し」と言う一言。
お決まりのやり取りだ。
僕は皆の顔を見回す。
「よし、行こう」紅子。
「みんな頑張ってええ結果出してくれ」貧乏神。
「当然」僕。
「だな。俺たちの音楽をしてやろう」竹松。
……竹松?
僕達は互いに頷くと、叫んだ。
「竹松がしゃべった!」
こいつ口臭ぇ。




