第3話 一揉みくらい良いんだよ
十二月の始め。
ライブの話は意外とすぐ固まった。
十二月二十五日。
クリスマスである。
話を持ってきてくれたのはなんと竹松だった。
公募制の野外コンサートに空きがあり、それに応募したらしい。
物販も売れるそうだ。
その話を聞いた僕と紅子は「なんて日をチョイスするんだ!」と叫んだ。
クリスマスは二人とも自宅でクリスマスの特番を見る予定だったからだ。
ただ、とにかく決まってしまったものは仕方ない。
ライブがあるなら、練習をするだけだ。
とは言え、ほとんどいつでもライブできる程度には仕上がっていたため、僕らは今まで通り週一回の練習をダラダラと繰り返すだけではあるのだが。
そんな折、休日出勤が決まった。
「え、出勤ですか」
部長の所まで呼び出され、わざわざ宣告された。
先ほどから同じ部署の人が呼び出しを喰らっていたから、もしかしたらとは思っていた。
何人かがチラチラとデスクからこちらの様子を伺っている。
自分が休日出勤になるかも知れないから気が気じゃないのだろう。
ショックを隠しきれない僕の顔を見て部長が笑った。
「笑いごとじゃないですよ、部長」
「いや、すまんすまん。変な顔だったからつい」
「そのヒゲもぎますよ。それで、いつですか」
年末も近いこの時期にわざわざ呼び出されて宣言されるのだから日にちは決まったようなものだが、それでも一応確認はしておく。
「二十四日、二十五日だよ」
ああ、終わったな。
とりあえず僕はライブまでにいかにバンドを解散の方向に持って行こうか考えた。
出来れば自分のせいで解散と言う形にはしたくない。
『竹松がしゃべらないから』
そう、竹松が悪い。
大体スタジオの雰囲気が悪すぎる。
三人で喋れば盛り上がるのに、いつも僕と紅子が喧嘩するだけで終わる。
あとこいつは楽器を手放さない。
だから手放せるように解散してやるのだ。
『紅子の胸が小さい』
ヤル気が出ない。
そう、色んなヤル気が出ない。
だから解散だ。
僕に彼女が出来ないのもこのバンドのせいである。
いいぞ、友情なんてゴミ箱に捨てればよい。
「まぁそう苦い顔をするな。六時には帰れるから。特令で私服出勤も認めてる」
なるほど。ライブには間に合いそうだ。
まぁ解散は考えすぎだよね。
やっぱり僕にはバンドがないと。
「年末のこの時期に休日出勤が入るのは初めてじゃないだろう?」
「まぁ、予感はしてましたけどね。……じゃあ、失礼します」
僕は肩を落としながら自分の席へと戻った。
この時期はどこも忙しく、発注される商品の量も増える。
その分トラブルだって相継ぐ状態だ。
酷い時は土壇場で百点以上もの商品キャンセルが生じる時だってある。
休日出勤であろうがなかろうが、どの道色々と面倒臭い。
ああ、当日に出勤が入ったと言えば紅子にどやされるだろうな。
急に増えた悩みの種に頭が痛い。
「よし、こういう時は事務のまりのちゃんに会いに行って癒されよう」
思い立ったらすぐ行動だ。
僕は立ち上がり、タバコを吸うと言ってオフィスを出た。
そそくさと廊下を歩く。
すると同期の中島が会議室に入ろうとするのが見えた。
声をかけようかと思っていると、中島の影から誰かが姿を現す。
事務のまりのちゃんだった。
二人はコソコソとした様子で会議室に入っていく。
「おかしいな……。何故二人が会議室に?」
うちの会社では会議室を使用する際、ちゃんと枠を決めることになっている。
今日は会議の予定なんてない。
会議の準備ではないだろう。
そっとドアに近付いてウンコ座りをしながら耳を寄せる。
「誰にも見られなかった?」
「大丈夫だよぉ。んもう、はやくぅ」
チュッチュチュッチュと艶めかしい音が聞こえ、僕は固まった。
「何やってるんだい君はこんな所で」
背後から不意に声をかけられ、ビクリと飛び上がる。
振り返ると尚先輩が怪訝な顔で立っていた。
ああ、なんてタイミングですか、あなたは。
気がつけば僕は言っていた。
「尚先輩、飲みに行きましょう、今夜」
*
年末が近付き、店はどこも忘年会シーズンだ。
行きつけの居酒屋もそれは例外ではなく、周囲の席のうるささがいつもの倍デシベルは出ていた。
倍デシベルってなんだろうとビールを飲みながら考えていると、僕の向かい側で頬杖をついた先輩がフフッと笑う。
「通産四十九人目の失恋かぁ。五十人までもうすぐだね」
「縁起でもない。やめてくださいよ。もうクリスマスなんですから」
僕はビールをあおった。
「そう言えばさ、君はどうするんだい。休日出勤後に迎えるクリスマス。何もなかったら飲みに行かない?」
「生憎、ライブです」
「ライブ?」先輩は怪訝な顔をする。「見に行くのかい?」
「出るほうですよ」
「君、音楽なんてしていたのか」
目を丸くした彼女は心底驚いているみたいだった。
普段あまり表情を変えない人だから、こんな顔は珍しい。
「言ってませんでしたっけ?」
「初耳だよ。君は掘れば掘るほどなんか出てくる男だねぇ」
褒められている気がしないのは気のせいだろうか。
あまりバンドの話を人にするのは嫌だったので、僕の口は重い。
『俺、音楽やってますよアピール』に思えて鬱陶しいのである。
「どこでやるんだい? ちょっと興味あるかも」
先輩はずいと身を乗り出す。
音楽好きなんだろうか。
そんな話今までしたことない。
しかし少なくとも、僕のライブを見たがっているのは分かった。
でも申し訳ないがここはお断りしておく。
「いいですよ。そんな大した物でもなし。野外ライブだから寒いですし」
「野外なのか」
しまった。いらない情報を与えてしまった。
この辺りで野外ライブ出来る場所なんて限られている。
クリスマスイベントとして公募のライブなんてやってるのは一つだけだ。
「先輩、申し訳ないですが見に来なくて大丈夫ですよ。そもそもあんまりライブを知り合いに見られるの嫌なんです」
「そっかぁ。じゃあ、やめとくかな」
心なしか少し寂しげも見えたが、気のせいだろう。
ただ、ちょっと強く言いすぎたかもしれない。
この人がここまでライブ好きだなんて思いもしなかった。
そう言えば今まで愚痴を話したことはあっても、互いのことはそこまで話した記憶がなかったな。
趣味、嗜好、生い立ち。
もっぱら話すのは僕に何故彼女が出来ないのかという考察と、会社の話くらいだ。
その証拠に、彼女にはまだ貧乏神のことすら話していない。
「そう言えば、貧乏神で思い出したんですけど」
「誰がいつ貧乏神の話をしたよ」
そうだった。
「思考と会話がごっちゃになってしまったんですよ。稀によくあります」
「稀なのかよくあるのかどっちさ。フフッ」
なんだか知らんが相手が笑う。
ちょろいな、などとは決して思っていない。ふふひ。
「最近友人に変なことを言われまして」
「変なこと?」
「今の僕の運気は下降中で、運気が上昇する前に何か酷く悪いことが起こるそうなんです」
「その友達は占い師?」
「みたいなものです」
「今度私も見てもらおうかなぁ。それで、悪いことって?」
「具体的には教えてもらってないんですが、僕の同期の中島いるでしょ? アレがまりのちゃんとチュッチュしていたことがそれに当てはまるのではないかなぁと」
「中島くん、そんなのしてたのか。もしかして君が会議室でかがんでたのって……?」
「まぁ、そう言うわけです。二人が密会する衝撃的現場に居合わせる僕。その僕に居合わせる尚先輩」
「君は掘り下げるとなんか出て来るねぇ」
「まぁそんなわけで、今後僕の運気は上昇気流に乗るわけですよ。うなぎのぼりと言うやつです」
「君はすぐ調子に乗るなぁ」
そこで彼女は首を傾げた。
「で、なんで貧乏神からその話が出てきたんだい?」
「その友達の名前が貧乏神なんですよ」
「変なあだ名だねぇ」
あだ名ではないのだが、否定するのも面倒臭かったのでハハハと笑っておいた。
その時、脳裏にまりのちゃんの巨乳がリフレインする。
大きかった。
顔は忘れた。
「はぁ、おっぱいが恋しい……」
「無意識に呟くのやめてくれないかな」
「すいません」
近付くクリスマスと、遠退くおっぱいが悪いのである。
肩を落としていると、尚先輩は「よしっ」と机を叩いた。
「触るかい? おっぱい」
「はっ?」
驚いて顔を上げると尚先輩はホレホレと胸を張っていた。
形の良いおっぱいがそこにある。
「マジですか」
「マジだよ」
手がふるふると震える。
何を考えているのかは理解出来んが、おっぱいが自分から近付いて来たと見て間違いない。
徐々に手が吸い込まれそうになるが、何とか耐えた。
「いや……やめましょう」
「良いのかい。一揉みくらい良いんだよ。減るもんでもなし」
「僕の神経が磨り減りますよ」
後に死ぬほど後悔する羽目になるとはこのときはまだ知りもしなかったそうな。




