第2話 バンドとアルバム
週一回、休みの日に音楽スタジオに行くのが習慣になっている。
電車に乗って二、三駅ほど行くと結構大きなスタジオがあり、良い機材を置いているのだ。
そして、そこで大学時代の同期である紅子と竹松の三人で曲作りをするのが、僕の楽しみでもある。
二人とも、同じ軽音楽部の仲間だ。
「秋君、おっそ」
スタジオの重たい扉を開いて早々、そんな嫌味が飛んできた。
紅子だ。
アンプの前でテレキャスターを肩から提げ、ふんぞり返っている。
黒髪ロングヘアーである彼女は、切れ長の目をしていてどこか鋭い。
髪型は姫カットだが、姫っぽくは見えない。
「ドラムいないとなんも出来ないんだから早くしてよ」
「すめんすめん」
「反省しろっての。ねぇ、竹松もなんか言ってよ」
しかしベースの竹松はニヤニヤしながら適当にフレーズを弾いていた。
それを見て紅子が呆れたように溜息をついた。
僕らはいつも、大体こんな感じだ。
バンドをしきるのは紅子。
寡黙な竹松が妙な安心感を与え、僕がムードメーカー。
危ういバランスで成り立ってそうなこのバンドも、貧乏神との生活と同じく結成して約二年が経とうとしている。
皆、それぞれが個人練習でスタジオに入っているところにばったり遭遇したのだ。
大学から近いわけでも地元が一緒なわけでもない。
偶然だとしても出来すぎだ。
適当にセッションしながら曲を作ったり、フレーズから発展させたり、そんなこんなで曲数はどんどん増えていき持ち曲はとうに二十を越えた。
全員歌うのが嫌いなので何故か歌のないインストルゥメンタルしか作らない。
ライブもしないのにやたらと曲のクオリティだけは上がっていく。
勿体無いから今度レコーディングをしようかといってるくらいだ。
まさに暇つぶしバンドである。
でもバンド名はない。
練習を終え、休憩室で竹松が紅子のギターを弾いているのをボーッと眺めていると会計を済ませた紅子がやってきた。
「んでさ、何で遅れたのよ。貧ちゃん関係?」
貧乏神のことは紅子と竹松だけが知っている。
何度かスタジオに連れてきたことがあるのだ。
「いやね、好きな子がいるわけですよ」
「今回はどこの子?」
「会社にいる事務のまりのちゃん。運命だよアレは。たまたま電車で会ってね。ちょっとお話してたら本当に可愛くて、予想外に盛り上がって、まぁ乗り過ごしたってわけ」
「殺す」
ギターを振りかぶる紅子をなんとかなだめた。そんなのロックじゃない。
貧乏神と暮らしながら、女の子にフラれた傷を尚先輩に癒してもらう。
社会人として仕事でボコボコになったプライドをバンドで回復させる。
そんな日々が続く、社会人三年目のことだった。
*
夏のボーナス、略してナスの使い道は割とすぐに決まった。
あるスタジオでの休憩時間。
いつもの広い休憩室で、四人がけの机の一つを僕らは占領していた。
土日だからか、周囲には僕らみたいな社会人バンドっぽいのが多い。
「ねぇ、秋君」
ストレートの髪をクルクルいじりながら紅子がおもむろに口を開いた。
僕は竹松のひざで痛くない程度にスティックをポコペコやりながら「なんじゃいな」と答える。
「ナス出た? ナス」
「ナス? 今日出た便の話?」
「何で私があんたの便の調子を聞くのよ。ボーナスよ! ボーナス!」
「ああ、ボーナスか。出たよ」
「じゃあさ、レコーディングしよう。アルバムの」
「デモじゃなくていきなりアルバム作っちゃうの?」
バンド活動ではまず最初に二、三曲の録音をしたデモCDを出すのが通例だ。
いきなりアルバムを作るインディーズバンドなんて聞いたことない。
「デモなんて入れられるのせいぜい二、三曲でしょ? 持ち曲二十もあったら選びきれんでしょうが」
「それもそうか」
「だからアルバムのレコーディングしよ。バツンと最高のクオリティのやつ作るから」
「いいよー」
そんな軽い会話でレコーディングが決まった。
ちなみに竹松に意思確認はしない。してもしゃべらない。
そんな訳でアルバム製作に向けてスタジオに入る日々が始まった。
週一回だった練習は徐々に週二、週三と回数を増し、必然的に貧乏神をスタジオに連れて行く機会も増えた。
スタジオに連れてきてもらうと貧乏神は楽しそうで、いつも休憩室できゃっきゃと喜ぶ。
紅子と仲が良いのだ。
よく懐いている、紅子が。
「貧ちゃんは貧乏神なんだよね」
貧乏神のほっぺをつつきながら紅子が言う。
「せや」
「ぜーんぜん見えないね」
「可愛すぎるからな」
僕が言うと、紅子は神妙な顔で頷く。
紅子に甘える貧乏神の姿はまるで天使だ。貧乏神とは程遠い。
しかしふと不思議に思う。
「でも貧乏神は人を不幸にするって言うのに、変だな。僕はちっとも不幸じゃない」
「秋君は不幸に気づかないタイプって気がする」
「黙らっしゃい」
すると頬をつつかれていた貧乏神が口を開いた。
「実はなぁ、うちは人を不幸にするんとちゃうねん。不幸な人のとこに寄せられるだけやで。ちいとも金がたまらん人のとこにな」
「なるほど」
僕と紅子は同時に頷いた。
竹松は全く会話には参加せずにベースを弾いている。
君、ちょっとは楽器手放したらどうよ。
「つまり僕に財政的な余裕が出来ると貧乏神は出て行ってしまうと?」
「せやね」
「やだ! 貧ちゃんがいないなんて考えられない!」
紅子がギュッと貧乏神を抱きしめる。
「じゃあ、僕の家を出た後は紅子のとこに行ったら良いんでないの?」
すると紅子はハッとした。
「そうよ、それが良いわ。貧ちゃんうちにおいで。一緒に暮らそ」
「アカンわ。紅子はちょっと堅実にお金貯めすぎやねん」
「じゃあ闇金に手を出すから」
「やめなさい」
ここで止めておかないとこの女、本気で手を出しかねない。
貧乏神はそっと紅子から逃れると、僕の膝に座り、体を預けてくる。
「うちは兄ちゃんが一番や。お金もないし、適度に運もない」
「かわゆいやつめ」
「秋君、その返しはどうかと思うよ……。ま、そうとなったら冬のナスも秋君には貯金させるわけにはいかんね」
「マジかよ」
「ライブしよう、ライブ。冬には音源も完成してるっしょ。んで君の機材も一新しよう。ついでに打ち上げ代も出しちゃおう。んで私の新しいバッグも買ってくれ」
この女、ここぞとばかりに欲望に駆られている。
「何を勝手な。竹松も何か行ってよ」
竹松は僕を見てそっと肩をすくめた。なんかしゃべってお願い。
*
その日のスタジオ終わりに四人で飲みに行った。
飲みに、とは言っても貧乏神はもっぱらオレンジジュースだが。
不思議なことに今までこの和服小僧を誰も奇異の目で見たことがない。
僕には分からないが、何か独特な力が働いているみたいだった。
存在を当然と錯覚させる何かが。
スタジオ近くの焼き肉屋さんの四人席で、ビールとオレンジジュースを飲みながら談笑する。
掘りごたつ式の席で、他の客席から少し離れていて居心地が良い。
「しっかしあれだねぇ。僕の人生がこれほどまでに向上しないのは何でなんだろうね」
「それはな、兄ちゃんの人生が今低迷期にはいっとるからやねん。低迷期に入ってもうたらなかなか抜け出せへん」
「じゃあ秋君はずっと独身男か」
「やめて。竹松も何とか言ってやってよ」
竹松はそっと笑みを浮かべる。
しゃべって、お願い。
「まぁ兄ちゃん、そんなに落ち込んだらあかん。何かきっかけになるような悪いことが起こったら運気も治るんや。安心してくれ」
「安心出来る要素が微塵もない……」
「でも貧ちゃん、悪いことって言っても、秋君は今まで女の子に散々フラれてきたじゃん? 十分悪いこと起こってるんじゃないの?」
「そんなんまだ大したことないで。攻撃で言えばまだジャブみたいなもんや」
「じゃあ僕にはまだ不幸のフックとアッパーが待ってるのか。恐ろしいねそりゃ」
「逆にそれを乗り越えたら兄ちゃんの運気はうなぎのぼりや。多分。知らんけど」
「秋君の場合、昇る前に深海まで沈みそうだけどね」
「よし、これより紅子さんの断髪式を行います。この肉切りハサミで」
「やんややんや」
「さわんな糞が!」
肉切りハサミを持ちながらふと思う。
僕の人生が向上したら、貧乏神は出て行ってしまうのだろうか。
この生活を楽しいと思ってしまっている僕には、それはちょっと嫌かもしれない。
僕たちのアルバムは、秋口に完成した。




