淚
早朝の陽光がカーテンの隙間から差し込み、遠山凛の体を温かく包みます。その温もりはまるで母の手のようでした。
彼女は早くから目を覚ましていたものの、まだぼんやりとした目元をこすり、空に向かって伸びをするように背伸びをしました。この一連の動作が終わると、遠山凛の身体はすっかり活性化していました。
彼女は机の上の古典的な写真立てに歩み寄り、母親の写真を手に取ると、写っている母親に声をかけました。
「おはよう、ママ。」
続いて、隣に置かれた「名もなき少女」の砂時計に目を向けました。金色の細かな砂がゆっくりと下へ流れ落ちる様子は、まるで少女の命が今も確かに息づいているかのようでした。
「こんにちは、名もなき少女。ママと仲良くやってくれるといいんだけどね。」
そして彼女は右手を上げ、その光り輝く刻印をじっくりと眺めました。この刻印とは一体何なのか?なぜそれが現れた途端、黄印が消えてしまったのか?また、蕭珊雅さんが口にした「ついに私を選んでくれたの?」という言葉の意味は……?
無数の疑問が頭の中を駆け巡り、これから始まる学院生活が、まさに予測不可能な軌道に乗ってしまったような気がしてなりません。
洗面や着替えなど、通常の起床ルーティーンを終えた後、遠山凛はキッチンへ向かいました。自分で朝食を作ろうと思ったのです。
冷蔵庫を開けると、そこには叔母さんが用意してくれたさまざまな食材が詰まっていました。冷蔵庫は大きな二ドアタイプで、本来は遠山凛一人が使うものでしたが、昨日蕭珊雅さんが到着した際、二人で左側の冷蔵室と冷凍室は遠山凛が、右側は蕭珊雅さんがそれぞれ使い分けることに決めました。
そのため、遠山凛はあらかじめ右側に置いてあったいくつかの食材を左側に移動させていました。しかし、叔母さんが用意してくれた食材があまりにも多いため、左側のスペースはほとんど埋まってしまっていました。一方、蕭珊雅さんの使う右側のスペースには、コンビニで買ったおにぎり数個と、割引価格で購入した弁当が少しだけ並んでいるだけでした。
「まあ、蕭珊雅さんはまだこちらに来たばかりだから、冷蔵庫にたくさん物を入れていないのは当然かしら」と遠山凛は心の中でつぶやきました。
冷蔵庫から卵1個と焼きソーセージ2本を取り出し、ガスコンロの火をつけます。油を熱したら、ハート型の型に入れて卵を流し込み、丁寧に調理すると、見事なハート型の目玉焼きができあがりました。隣では2本のソーセージもジュージューとおいしそうに焼かれています。
火を弱めてから、冷蔵庫から味噌の素袋を取り出し、お湯を注ぐと、たちまち香り豊かな味噌汁が完成しました。
すべての準備が整ったところで、遠山凛は目玉焼きと焼きソーセージ、それに味噌汁を皿に盛りつけ、テーブルへ運びました。
「いただきます」と、遠山凛は両手を合わせて静かに食前の儀式を行いました。
ところが、彼女が食べ始めようとしたその瞬間、蕭珊雅さんが部屋から出てきました。彼女は眠気の残る目をこすりながら、あくびを一つ。手には着替えようと持っていた服を抱え、足取りを止めずにバスルームへ向かいます。黒々とした長い髪は寝起きで少し乱れ、パジャマ姿もどこかだらしない印象で、これまでの美しく凜とした氷山のような美人ぶりからは想像もつかないほどでした。
そんな蕭珊雅さんの姿を見て、遠山凛は思わずほっとした気持ちになり、むしろ親近感さえ抱いてしまいました。
「やっぱり蕭珊雅さんも、いつも完璧なわけじゃないんだな」と、遠山凛は心の中で感じていました。完璧さを常に保っている人間というのは、逆に自然な距離感を与えてしまうものですが、一方で、ちょっとした欠点を見せてくれる人には、不思議と親近感が湧くものです。
蕭珊雅さんがバスルームへ向かう途中、ふと彼女の視線が自分の方へと向くのが遠山凛の目に留まりました。慌てて彼女は早速朝食を食べ始めたふりをしましたが、蕭珊ヤさんの視線が自分の方へ近づくのが分かると、すぐに気づかれてしまったようです。
実際、蕭珊ヤさんは自分が朝食を食べる仕草がどこかぎこちないことに気づき、自分の今の姿——乱れたパジャマにボサボサの髪——を振り返って、はっとしました。独居生活から同居生活へと急にシフトしたばかりの自分は、こんなだらしない姿でも誰にも見られないと思っていたのに、まさか遠山凛の方が先に起きていて、自分のことをしっかり見られていたなんて……!
そう考えた瞬間、蕭珊ヤさんの頬は熟したリンゴのように真っ赤になりました。彼女は慌てて三歩並んで二歩の勢いでバスルームへ飛び込み、勢いよくドアを閉めました。
しばらくの身支度を終えた後、蕭珊ヤさんは学生服に着替え、チェック柄の短いスカートに黒いストッキングを履いて、颯爽と姿を現しました。
遠山凛はこのときすでに朝食を済ませ、全身鏡で自分のメイクをチェックしていた。彼女は制服を着て、すっきりと清潔感のあるポニーテールにまとめ、チェックを終えると、静かに鏡の中の自分に淡い微笑みを向けた。
部屋の中を見回すと、蕭珊雅が一人でゆっくりとおにぎりを噛んでいた。遠山凛が心を込めて作った朝食とは対照的に、蕭珊雅はシンプルで素朴な食べ方をするのが好きなようだった。
「出かけるわよ、蕭珊雅さん」
遠山凛は部屋の中にいる蕭珊雅に声をかけた。
「分かった。先に行ってていいから、私はあとで行くからね。」
なぜか今回は、蕭珊雅の口調がこれまでのような冷たいものではなく、むしろ少し焦っているように感じられた。それを聞いた遠山凛は、さっとドアを開けて外へと出た。
遠山凛が家を出ると、蕭珊雅はまるでホッとひと息ついたような表情を見せた。本当に助かった……。もしも彼女が先に学校に行っていたら、自分はどう返答していいか分からなかっただろう。そう思った瞬間、蕭珊雅は勢いよくおにぎりを頬張り、手で口元を拭ってから、包装紙をゴミ箱に捨てた。
本来なら、こんなに慌てる必要なんてないはずだ。遠山凛はただのルームメイトにすぎないのに、なぜか彼女の前では恥ずかしい姿を見せたくない、そんな気持ちが湧き上がってきたのだ。
朝の街は徐々に活気を取り戻しつつあり、通勤客たちが急ぎ足で歩き、沿道の店々も続々と営業を始めた。遠山凛は早朝のひんやりとした空気を深く吸い込みながら、この都会の日常に溶け込もうとしていた。
彼女はこの界隈をのんびりと散策していたが、まだ朝の自習が始まるまでには少し時間があった。行き交う人々を眺めているうちに、やはり彼女は働く人々への興味が尽きなかった。
学校近くの交差点に差しかかった時、不意に抑えた叫び声が遠山凛の注意を引いた。声のするほうを見ると、通り沿いで地味な服装をした中年の女性が立ち、手に一束のチラシを持ち、通り過ぎる人々に配布しているところだった。
「お願いです、私の娘を見てください……芹沢美空という名前の子なんですが、高校に合格したばかりの娘なんです。でも、二日前の夜突然姿を消してしまったんです……。うちには娘が一人しかいないんです。どうか皆さん、私を助けてください!」
女性の声は枯れ果て、涙でかすんでいた。そこには絶望的なまでの切実さが込められていた。
しかし、忙しなく通勤に向かう人々の目には、この見知らぬ女性の叫びなど、ただの邪魔な音にしか映らなかった。中には面倒臭そうに手を振って拒絶する人もいれば、チラシを受け取ったものの、ちらりと見た後で再び彼女に返してしまう人もいた。女性は返されたチラシを目の当たりにしてさらに胸を痛めながらも、それでも決然とその場に立ち続け、何度も繰り返し娘への呼びかけを続けていた。
その時、一台の通勤客が急ぎ足で通り過ぎる途中、女性にぶつかってしまった。すると、彼女が持っていたチラシが地面に散らばり、その男性はそれを気に留めることなく、軽く服を直してそのまま去っていった。
遠山凛は思わず前に進み、地面に落ちたチラシを拾い上げた。その時、近くを通りかかった別の通行人が、チラシの上を踏んでしまい、汚れた足跡がくっきりと残った。その人は自分がチラシを踏んでしまったことに気づくと、嫌悪感を露わにして足を振り払った。
遠山凛はその後ろに寄り添い、地面に落ちたチラシを拾い上げては軽く払い落とした。すると、そのチラシには若い女の子の写真が印刷されていた。彼女の笑顔は輝きに満ち、瞳はとても魅力的で、まるで澄んだ泉のように潤んでいた。たとえ写真の顔が汚れてしまったとしても、それがいかに美しく、愛らしい少女だったかは明らかだった。
なぜか遠山凛はその写真に見覚えがある気がして、じっくりと観察してみると、それはまさに自分の腕の中で砂となり消えていった、あの名もない少女だと気づいた。彼女の名前は芹沢美空。生前はこんなにも美しく、輝かしい瞳の持ち主だったのに、最後に目にしたのは、まるで生きる屍のように虚ろな目をした無残な姿だったのだ。
その母親は、目の前に立つ遠山凛を見て、まるで救いの綱を見つけたかのように彼女の腕を強く掴んだ。
「あなた、私の娘を見かけませんでしたか?彼女の名前は美空、芹沢美空です!近くの女子高校に通っていて、まだ土地勘もないから……どうかお願い、私に教えてください。彼女に会ったことがあるんですよね?」
遠山凛は、無力な母親を見つめながら、複雑な思いで胸がいっぱいになった。彼女の娘はすでに亡く、その遺体さえもとっくに風に舞い散り、どこかへ消えてしまったのだろう。
そしてまた、あの白猫の母親のことを思い出した。あの時も、この母親と同じように我が子を守るために必死で奔走していた。きっと母親にとって、子どもとは永遠に心のかけがえのない存在なのだろう。ただ、違いがあるとすれば、あの白猫の母親の子どもは下水道に落ちたにもかかわらず、まだ生き延びていたことだ。だから、自分はただその子猫を下水道から取り戻す手助けをするだけで、彼女を救うことができるはずだった。
しかし、この母親である遠山凛には、どうやって彼女を助けていいのか分からない。自分の娘がもう二度と戻らない、ただの砂となって消えてしまったと告げるべきなのか?そんな残酷で非現実的な現実を受け入れられるのだろうか?一方で、もし真相を隠してしまえば、母親はそれでも心の中で、娘が確かにどこかに生きていると信じ続けてしまうかもしれない。でも、それは単なる希望であって、本当の事実は変わらない——娘はもう二度と戻らないのだ。
もし真実が人を傷つける鋭い刃であるなら、それを隠すことは果たして優しさと言えるのだろうか?
遠山凛の胸の中にも、結局のところ答えは見つからなかった。ただゆっくりと言葉を紡ぐしかなかった。「あの……私……」。
すると、美空の母親は遠山凛が何か知っていることに気づいたようで、彼女の手首を強くつかんだ。その瞬間、遠山凛の手首には激しい痛みが走った。
遠山凛は美空の母親の顔を見つめた。悲しみのあまり、一瞬にして十数歳老け込んだように見えるその顔。白髪交じりの髪には、わずかに黒い毛が混ざっていて、まるで一夜にして真っ白になったかのようだった。目元は赤く腫れ、目尻には血走った筋が浮き出ているのに、なぜか涙はこぼれていない。
極限まで悲しんだ人間ほど、涙を流すことができなくなるものだ。それほどまでに心が砕かれ、もう涙すら枯れ果ててしまったのだろう。
「店長さん!店長さんが見つかりました!」
遠くから響く叫び声。駆けつけたのは作業服を着た男性と二人の警察官だった。先頭に立つ警官は少し年配で、表情は厳しく、もう一人は若く、むしろどこか幼ささえ感じられた。
「芹沢さん、どうか落ち着いてください」と、年配の警官・島田進介がよろめきそうになる女性をそっと支えながら、できるだけ穏やかな口調で言った。「お気持ちは分かりますが、あなたの娘さんの事件は最近増えている不審な失踪事件の一つとして扱われています。今、警察は全力で捜査を進めています。こんなところで騒いでいては……」
「私の娘は必ずどこかにいる!自分で絶対に見つけ出す!離してください!離してくださーい!」
女性は必死に抵抗し、島田進介の腕から逃れようとしたが、彼女の力は想像以上に強かった。さすがの島田も、少しずつ押され始めているのが分かった。
「田島!何で黙って見てるんだ!助けに来いよ!」
島田はまだ幼さの残る若い警官・田島倫也に向かって大声で叱責した。
「分かりました、島田先輩。では、一緒にこちらへ来てください。街中で大声を上げるのはあまり品がないですし、娘さんの件は私たち警察にお任せください」と、田島は崩れ落ちそうな母親をそっと支えながら、周囲の視線を気にする様子を見せた。
二人の警察官に支えられ、美空の母親は人々の視線を避けながら、ゆっくりと群衆から離れていった。
「店長さん、お願いしますね」と、作業服を着た男性が二人の警官に軽く頭を下げた。
その瞬間、彼は途方に暮れる遠山凛と、彼女の赤く染まった手首に気づいた。そして、昨日引っ越しを手伝ってくれた少女・蕭珊雅のルームメイトだとすぐに気付いたのだった。「すみません、店長さんにご迷惑をおかけしましたね」と、男性は懐から消毒用のペーパータオルを取り出し、遠山凛に差し出した。
「彼女の娘さんは先日突然姿を消されたそうです。警察に届けても、単なる『最近の不明失踪事件』の一つとして扱われてしまい、どうしても納得できなかったのでしょう。ここ数日、ずっと一人で娘さんを探し続けていました」
男性は、店長さんが連行されていく方向をじっと見つめながら、どこか同情と悲しみを込めて言った。
「娘さんが行方不明になってからすでに何日も経っています。もはや見つかる可能性は限りなくゼロに近いでしょう。今は店の業務もすべて姉貴が代わりに担ってくれています。店長さんの旦那様は以前、交通事故で亡くなってしまわれましたが、彼女は一人で娘さんを育ててきたんです。どうか、彼女がこの困難を乗り越えられるよう、私たちも精一杯サポートしたいと思っています……」
遠山凛もまた、同じ方向を見つめながら、なぜか心にふいに寂しさが込み上げてくるのを感じていた。
「さて、私は仕事に戻りますよ。あなたもどうかお気をつけてくださいね」と、男性は遠山凛に別れを告げ、再び人混みの中へと消えていった。
遠山凛は再び人波をかき分けるように歩き出し、それぞれの日常へと戻っていく人々の背中を見つめながら、ただ静かに考え続けたのだった。