八重蘭
狐妖・八重蘭は、夜の草原に立ち、遠くに見える月明かりと、煌々と灯る街並みを眺めていた。
彼女は月光の下で軽やかに一回転し、巫女装束の裾が風に揺れ、衣がひらひらと舞い、まるで優雅に舞う白い蝶のようだった。
巫女装束の胸元に刺繍された仙鶴にそっと触れながら、彼女は小さな声でつぶやいた。「千鶴さんが手縫いしてくれたこの衣も、こんなに年月が経った今でも、まるで新品みたいだわ。」
そう言うと、彼女は巫女装束の内側から『妖狐伝』という本を取り出し、黄ばんだページをめくり、じっくりと読み始めた。
その本にはこう記されていた。
「狐妖・八重蘭は、大妖玉藻前の分身であり、生まれたばかりの頃は無知蒙昧であった。ある日、山林で遊んでいたところ、誤って危険な場所へ足を踏み入れてしまった。ちょうどその山では、熊と犬の二匹の大妖が縄張り争いをしており、天も地も暗くなるほどの激闘で、砂埃が舞い上がり、石が飛び交っていた。幼い狐の法力はまだ弱く、その余波に巻き込まれて、糸の切れた凧のように吹き飛ばされ、古い木の根に激しくぶつかって気を失い、瀕死の状態となった。
ちょうどその時、玲子という名の薬草採りの少女が通りかかった。玲子は心優しい娘で、傷つき瀕死の狐を見て憐れみを抱き、竹籠に入れて家に連れて帰った。
玲子は貧しい家の出で、九歳の時に父を亡くし、母は昼夜問わず働き続け、肺病を患ってしまった。家には他に兄弟もおらず、母一人と自分だけが、四壁だけの空っぽの家で暮らしていた。
玲子は若くても孝行娘で、母の体が弱いのを見ると、自ら家計を支える役目を引き受け、毎朝早く起きて山へ薬草を採りに行き、その後は店で働いて、わずかな銀貨を得て日々をやり繰りした。
狐を救ってからは、母の湯薬の世話をしながら、狐にも薬を塗り、餌を与え、決して怠ることなく丹念に世話を続けた。
数日後、狐はすっかり回復した。玲子は別れを惜しみながらも、狐が山に戻るべきだと悟り、涙を流して見送った。
狐は霊感があり、三度も振り返り、名残惜しさを抱えていた。
玲子はそれを見て言った。「私はよくここへ薬草を採りに来るから、また会える日があるわ。」
狐はそれを聞くと、ついに森へと消えていった。
以来、玲子が山へ行くたびに、狐はひそかに姿を現し、鋭い嗅覚で霊草を探し、玲子も持っていたおにぎりの半分を分け与え、二人は深い絆で結ばれていく。
さて、狐は森の中で法術を修練し、やがて法力が高まり、人間の姿に変化できるようになった。
ある日、旧正月の祭りが近づくと、狐は町中が賑わい、灯りが輝いているのを見て、下界へ降りて楽しみたい気持ちになった。そこで狐の姿を脱ぎ捨て、人間の姿になり、蘭と名乗った。
蘭は人混みに紛れ込み、人の真似をして灯篭祭りを楽しんだ。しかし、初めての世間での出来事で道に迷い、あちこちの花灯に目を奪われて、東西南北さえ分からず、危うく人々の間で転びそうになった。
その時、玲子は祭壇で母の健康を祈っていたが、人混みの中で少女が転ぶのを見て、急いで助け起こし、怪我はないかと尋ねた。蘭は、ずっと奥座敷で育ち、世の中のことは何も知らないが、家が退屈だったので賑わいを求めて出てきたところ、こんなことになってしまったと話した。
玲子は聞いて微笑み、「来たからには楽しむわよ。今日は旧正月、みんなが一緒に楽しんでいるんだもの。私と一緒に回ってみない?」と言った。
蘭はうなずき、二人は肩を並べて花灯の下を歩いた。すると、そこには――
錦里に芳宴を開き、蘭缸は早春に咲き誇る。
絢爛な彩りは遥か地平線まで広がり、繁栄の光は遥か天まで続く。
漢の川に架かる橋は星が落ちたかのように見え、楼閣に寄りかかる月は宙に浮かぶ。
別れの宴では、千金の笑みが九枝の前に映える。
祭りが終わっても、蘭はまだ物足りなさを感じていた。玲子は笑って言った。「また機会はあるわ。もし嫌じゃなかったら、また遊びに来てね。この町は複雑だから、また迷わないようにね。」
蘭は喜んで承諾し、以来、人間に化けて町へ通い、玲子と過ごすことが多くなり、二人の絆は深まっていった。
さて、玲子は家計を助けるため、毎日仕立て屋で働いていたが、ある日、富豪の息子が手下を連れて店へやって来た。彼は町一番の富豪の息子で、今日は母親の誕生日のために特別な衣装を注文しに来たのだ。
玲子が青い上着を縫っていると、玄関先に客がたくさん集まっているのを見て、作業を中断して様子を見に行った。すると、富豪の息子と手下たちが店主と話しているのが見えた。彼らの豪華な服を見て、裕福な家の者だと分かり、思わず見入ってしまった。
富豪の息子も談笑しながらふと視線を向けると、玲子が質素な服を着ていて、飾りは何もないのに、どこか清楚な雰囲気を持っていることに気づき、つい二度見してしまった。
玲子はその視線に気づくと、慌てて顔を背けた。富豪の息子はそれが自分への好意だと勘違いし、内心喜んで、店主に玲子のことを尋ねた。
店主は正直に答えたが、息子は「こんなに美しい娘が、なぜここで苦労して働くのか。うちへ連れて帰って妾にしてやれば、豪華な暮らしをさせてあげられるのに」と考えた。
それ以来、息子は仕事の監督を口実に頻繁に店へ来て玲子を追いかけ回し、軽薄な言葉を投げかけてくるようになった。玲子は不快に思いながらも、客なので仕方なく対応していた。
息子はますます調子に乗って軽率な態度を取り、幸いにも店主の息子がいつもそばにいて、息子の無礼さに気づくと、玲子の前に立ちはだかり、「お客様、用事がなければ、どうか店の仕事の邪魔をしないでください。お母様の誕生日の準備が遅れたら、お父様に叱られますよ」と冷たく告げた。
息子は父親に怒られるのが何より怖く、渋々去っていったが、玲子を妾にしたい一心だった。
なぜそこまで執着するのかといえば、実は彼は藤田家の一人息子、藤田少主という人物だった。家には妻がいたが、両親の決めた結婚で愛もなく、夫婦仲は最悪だった。そんな中、玲子の穏やかで可憐な美しさに心を奪われ、自分の理想の女性を見つけたと思い込み、必ず手に入れようと決意したのだ。
初冬のある日、玲子の母の病状が急に悪化し、咳血が止まらなくなった。普通の薬ではもう助からない状態だった。さらに悪いことに、当時の皇帝が重病で命の危機に瀕し、長生きを願って大量の薬を調合していたため、全国から珍しい薬草が献上され、民間では薬草採取が盛んになり、山の草木はほとんど掘り尽くされていた。
玲子は焦ってあちこちで治療を求めたが、藤田少主は玲子を呼び出し、色の異様な薬草を差し出して、「これは天からの贈り物、咳止めと鎮痛効果がある。三日間煎じて飲めば、すぐに治る」と嘘をついた。
玲子は薬の匂いがおかしいと感じたが、母を救いたい一心で、感謝の言葉を述べて家に持ち帰り、指示通りに煎じて飲んだ。すると、母の咳は確かに止まった。しかし、その薬は猛毒で、一時的に痛みを和らげて元気を与えるだけで、治療効果は全くなく、使い続ければ生命力を奪い、衰弱を加速させるものだった。
案の定、半月も経たないうちに母の病状は再び悪化し、薬がないと耐えられないほど苦しむようになった。
玲子が再び薬を求めて訪れると、藤田少主は「家内の次女が重病で、この薬が必要だ。あなたにも欲しいなら、いくらかお金を払ってほしい」と言った。玲子は仕方なく貯金をすべて差し出し、少しの薬を手に入れた。しかし、薬はどんどん減り、お金は湯水のように消えていき、数日で貯金は底をついた。
玲子は焦るばかりで、どうすることもできない。藤田少主はチャンス到来と見て、親しげに言った。「玲さん、次女のこともあって、私も助けたいけど、彼女の命も大事だから、毎日余った薬を少し分けてあげるしかない。でも、もし私の家に妾として入ってくれれば、私の家族になるわけだし、いつでも薬を自由に使って、お母さんの治療も簡単になるよ。」
玲子は顔面蒼白になったが、母の病状は刻一刻と悪化しており、もう迷っている暇はなかった。しばらく黙って考えた末、涙を流しながら承諾した。藤田少主は大喜びで、七日後の結婚式を決めた。
藤田少主は家に戻ると、執事に東の離れを整備するよう指示した。表向きは勉強部屋にすると言いながら、実際は妻に知られたくない玲子をそこに住まわせるためだった。さらに、七日後に付き添いの侍女を一人迎えるので、寝る部屋も用意するよう命じた。指示を終えると、彼は玲子を迎えに行く日を心待ちにした。
一方、玲子は藤田少主と別れて家へ戻る途中、店の息子と出会った。玲子が不安そうな顔をしているのを見て、彼は心配して尋ねた。玲子は「大丈夫」とだけ言って、俯いた。店の息子は様子がおかしいと気づき、「もしかして藤田少主のこと? あの人は最近、お母さんの誕生日の時から、仕事の監督を口実にちょっかいを出してたよね。今、顔色が悪いのは、やっぱり彼のせいじゃないの?」と言った。玲子はついに全てを打ち明けた。店の息子は怒って、「これは明らかに他人の危機に乗じて、無理やり結婚しようとしている!落ち着いて、まだ薬が残ってるから、どんな薬なのか調べてみるよ」と言った。
玲子は彼を家に案内し、鍋の中に残っていた唯一の薬草を渡した。店の息子はそれを鼻に当てて嗅ぎ、少し摘んで口に含んで噛んでみると、顔色が変わる。「これは西域から来た『アフ草』だ。最初は咳や出血を止めるが、実は生命力を消耗させ、使い続けると五臓を破壊する。このまま使えば、命に関わるぞ。」
玲子は初めて自分が騙されていたのだと知った。しかし、すでに母の命は薬なしでは保てず、悔やんでも歯を食いしばるしかなく、ただ「他に母を救う方法はありませんか?」と懇願するしかなかった。
店の息子はしばらく考えてから、「先日、太医院の御医が薬草を買い付けに来ていると聞いた。今は城外の宿に泊まっているらしい。皇帝のお世話をする名医だよ。皇帝の病気を治したのも彼なんだから、このアフ草の毒を解毒してくれるかもしれない。知り合いに金を渡して、診てもらって解毒の処方を書いてもらおう」と提案した。
玲子は「お願いします。母の命が助かるなら、恩は忘れません」と言うと、店の息子は「命を救うのに、礼などいらない」と答えた。
午後になって、御医がやって来た。玲子は玄関で出迎え、五十代くらいの瘦せた男が静かにこちらを見ているのを見て、本物の腕前だと確信した。御医はまず母の顔色を見て脈を診てから、玲子に言った。「幸い中毒は浅いから、まだ助かる。甘草を煎じて膏にして、普段の薬に加えて服用し、徐々にアフ草の割合を減らして甘草を増やせば、離脱できる。三日もすれば症状は改善するはずだ。」
玲子は何度も礼を言い、毎日処方に従って薬を煎じ、丁寧に看病した。そして三日後、母の咳はかなり軽くなり、夜も何時間か眠れるようになった。玲子は喜んだが油断せず、毎日薬を煎じ続けた。
七日後、藤田少主はすべての準備が整ったと喜び、玲子を迎えに来た。周囲に気づかれたくないため、普段着で、誰も連れてこなかった。
仕立て屋へ行くと、玲子が忙しく働いているのを見て、近づいて話しかけた。ところが、玲子は彼を見るなり怒鳴った。「この悪党め、母を毒殺しようとした上に、妾にしようとするなんて!」
藤田少主はバレたと悟り、慌てて言った。「俺と妻は親の決めた結婚で、愛はない。もし俺について来てくれれば、アフ草を使って正妻の命を奪い、彼女が死んだら、お前を正妻にして、財産も全部お前に譲る。」
「妾になる気がなくても、うちの次女の侍女なら、毎月給料が出る。こんなボロい仕立て屋で働くよりマシだろう?」
玲子は思った。「この藤田少主は、俺の美貌に目をつけただけで、正妻の命まで犠牲にするような卑劣な奴だ。もし俺が妾になっても、もっと美人が現れたら、同じ手で俺まで狙ってくるに違いない。」
彼女は冷ややかに言った。「あなたには妻がいるのだから、ちゃんと大切にすべきでしょう。自分の欲のために人を毒殺するのは許せません。貧乏でも、あなたのような悪事を共にするつもりはありませんし、誰かの侍女にもなりません。もう来ないでください。」
藤田少主は笑って言った。「親切に説得したのに、ありがたみが分からないんだな。でも、もう家も嫁入り道具も用意してあるんだ。嫌でも来ないと困るぞ。」
そう言うと、玲子の腕を掴んで無理やり連れ去ろうとした。玲子が叫ぶと、藤田少主は口を塞いだ。二人がもみ合ううちに、玲子は窓から転落し、頭を石畳に打ち付けて即死した。
藤田少主は人を殺して慌てた。証拠隠滅のため、玲子の遺体を麻袋に詰め、山奥の湖へ投げ捨てようとした。
町を出る時、玲子を探しに来た八重蘭に見つかり、彼女は玲子の匂いを追って湖までついて行き、藤田少主が麻袋の紐を解いて遺体を湖へ放り込もうとしているのを目撃した。
藤田少主は周りに誰もいないのを見て、「もう死んだんだから、流れに任せて消えてくれ。俺に迷惑をかけるな。こんなに美人なのに、俺の妾になる気もないなんて、昔から美人は短命だって言うだろ。次の人生ではいい家庭に生まれるといいな」と言い、麻袋を湖へ押し込んだ。
狐妖・八重蘭は恩人の死を目の当たりにし、悪党の汚い言葉を聞いて、読心術で真相を知り、怒りで全身が震えた。「この悪党め、俺の恩人の命を奪って、しかも平然としている。報いを受けさせなければ、天地の理が許さない!」と心の中で誓った。
彼女は目を真っ赤にして呪文を唱えると、藤田少主は突然目が回り、自分の手を見ると、毛むくじゃらの犬の足になっていた!驚きのあまり口を開くと、吠える音しか出ない。
犬に変身した藤田少主は必死に逃げ、家へ戻って父親に飛びかかり、噛みつき、引っ掻いた。藤田家主はお茶を飲んでいたところ、突然狂犬が飛び込んで吠えまくり、襲いかかってきた。
家主は仰天して怒鳴った。「どこから来たんだ、この狂犬め!来い、追い出せ!」家臣たちが駆けつけて棍棒で追い払おうとした。追い出されても諦めず、裏庭から穴を掘って再び侵入してきた。
家主は再び狂犬が現れると、「こいつを乱暴に叩きのめせ!」と命令した。家臣たちは一斉に棍棒を振り下ろし、狂犬は悲鳴を上げて息絶え、脳みそが飛び散った。
狂犬が死ぬと、幻術も消えた。よく見ると、地面に横たわっているのは、血まみれの息子だった!
家主は崩れ落ち、佐藤少主の遺体を抱きしめて泣き叫んだ。「一体誰がこんな酷いことをしたんだ!」
陰陽道に詳しい老僕が言った。「旦那様、これは狐の幻術です!息子さんは狐に殺されたのです!」
領主は怒りと悲しみでいっぱいになり、京へ陰陽師を招くために大金を費やし、狐を捕まえると誓った。
数日後、京から腕利きの陰陽師がやって来て、家主の命を受け、庭で儀式を行い、すぐに小狐の居場所を突き止めた。家主は家臣数百人を動員し、松明と刃物を持って陰陽師とともに山へ討伐に出発した。
八重蘭は大軍勢を見て、正面から戦えないと思い、森の奥へ必死に逃げた。陰陽師と家臣たちは執拗に追跡し、八重蘭は右に左に避けながら走ったが、体力が限界に達し、慌てて足を踏み外して深い崖から落下し、下の激流に飲み込まれた。
陰陽師は崖の端に立ち、川の流れを見て、狐が間違いなく死んだと判断し、報告に戻った。しかし、家主は怒りが収まらず、「生きて捕まえるか、死体でも見せろ!見つけられなければ賞金はゼロだ!」と厳命した。
仕方なく、陰陽師は川沿いをさらに捜索し続けた。
狐の命は尽きていなかった。崖から落ちた後、川の流れに身を任せて下流へ運ばれ、浅瀬で意識を取り戻した。ちょうど近くを通りかかった千鶴という巫女が、美しい顔立ちと気品を持ち、高い霊力と慈悲深い心を持つ神社の巫女だった。
彼女は川辺を歩いていて、瀕死の狐を見つけ、神社へ連れ帰り、昼夜を問わず看護し、自身の霊力を注いで治療に努めた。
数日後、狐はゆっくりと目を覚まし、見知らぬ環境に戸惑った。千鶴は背中を撫でながら、「怖がらないで。ここは神社だから、野獣は近づけない。安心して休んで」と優しく語りかけた。
しばらくすると、陰陽師が妖気を頼りにやって来た。彼は鳥居の前に立ち、周囲の住民に告げた。「妖狐が藤田家の息子を殺した。罪は重い。情報を提供すれば褒美あり、匿えば共犯だ!」
神像の陰に隠れていた狐はその言葉を聞き、全身が震えた。千鶴は異変に気づき、内陣へ進んで、震える狐を見て、真剣な表情で問いかけた。「あなたが探されている妖狐なの?」
狐は、この霊力の強い巫女には隠し通せないと悟り、人間の姿になって事の顛末を包み隠さず話した。同時に尋ねた。「これがすべての経緯ですが、私を引き渡すおつもりですか?」
千鶴は聞いて言った。「あの息子がどれほど悪くても、公の裁きがある。私自ら刑罰を下すわけにはいかない。」
狐は答えた。「巫女様、ご存じないかもしれませんが、藤田家は名家で、先祖は皇帝に功績を挙げて貴族に封ぜられ、地方では絶大な権力を持っています。たとえ息子が悪事を働いても、官憲は必ず庇い、庶民の正義は守られないでしょう。」
千鶴は沈思してから、「殺生の罪はあるが、理由がないわけではない。しかし、巫女として妖邪を放置するわけにはいかない。ただ、一つの解決策がある。あなたを刀に変え、妖力を封印する。これからは私と一緒に世を巡り、妖魔を退治して人々を守る。その功徳で罪を償うのだ。それでよければ、どうぞ」と言った。
狐は「巫女様が命を救ってくださるなら、刀になって生涯罪を償います」と何度も頷いた。
千鶴は誠実さを感じ、もう何も言わずに、血を媒介にして両手で印を結び、呪文を唱えると、狐は武士刀に姿を変えた。青い光を帯びた刀を見て、千鶴は「青狐刀」と名付けた。
千鶴は刀を手に神社を出て、陰陽師に告げた。「妖狐は私が成敗し、魂は刀に封印しました。これで罪を償い、二度と人間界に害を及ぼすことはありません。この刀は必要なら持って行って構いませんし、いらなければ神社に祀って妖邪を鎮めます。」
陰陽師もまた高僧で、刀を見て言った。「実は、私はすでに調べていて、あの息子は庶民の娘を強引に奪い、母娘を死に追いやった。死んで当然だ。狐が彼を倒したのは天の裁きだ。封印して罪を償う意思があるなら、徹底的に追い詰める必要はない。善悪は白黒では決まらない。この刀は神社に残して、妖狐は成敗済みだと報告する。」
そう言って一礼し、領主へ「妖狐は成敗済み」と報告した。
翌日、家主は家臣を連れて神社へ行き、妖狐の刀を見て、息子の慰霊のために持ち帰りたかった。
千鶴は「この地は妖魔が多いので、刀をここに置いて地域を守り、民の安寧を守り、あなたの徳も積むべきです」と説得した。
藤田家主は納得しなかったが、千鶴の熱意に押されて承諾し、さらに妖退治の功績に感謝して金品を贈ろうとした。
千鶴は丁重にお断りし、その資金で神社を改修して、妖狐の残滓を鎮め、この地の守護霊にしようと提案した。
家主はその高潔さに感銘を受け、提案に従い、資金を拠出し、民衆も協力して奉仕した。神社が完成した日、香火は盛んになり、千鶴は狐刀を手に本殿前に立ち、刀を厨子に安置して言った。「これからは私と一緒にこの土地を守ってください。」刀は微かに震え、青い光が瞬き、低い唸りが響いた。家主は『青狐妖刀記』を書き、厨子の前に置いて後世に伝えさせた。
数日後、家主が帰宅すると、家臣から報告があった。嫁が喪に服さず、数日前に勝手に家を出て、家臣がようやく連れ戻したという。家主は激怒し、息子の遺体が冷えないうちに裏切られたと感じ、家臣に追跡を命じた。家臣は二人を家へ連れて帰り、家主は怒鳴った。「息子の遺体が冷えないうちに、あなたはこんなに冷たいのか!」
嫁は平然として、「私は両親の決めた結婚で、夫とは愛はありませんでした。彼は横暴で、女性を虐げ、遊郭にも出入りしていました。何度も注意しましたが、無視するどころか暴力まで振るわれました。今、彼が庶民の娘を奪い、私を毒殺しようとしていると聞きました。もう我慢できません。彼が冷たいのなら、私も冷たいだけです」と答えた。
家主は激怒して、「くだらん!この女め、息子を中傷するのか!息子は多少荒れてはいたが、こんな非道なことはしていない!先日、執事に東の離れを整備させ、勉強して出世すると言っていたのに、息子の遺体が冷えないうちにこんな嘘をつくとは!」と罵った。
そして、嫁を引きずって三十回鞭打たせ、終わった後は薪小屋に閉じ込めた。嫁は潔白を示すため、夜中に指を噛み切り、襟に血書を書き、夫の悪行と自分への迫害を詳細に記した。書き終えた後、夜中に首を吊って自殺した。家臣が発見した時には、すでに息絶えており、血書は涙で滲んでいたが、文字ははっきりと残っていた。
家臣は速やかに家主へ報告した。家主は心中複雑だったが、面子を保つため、遺体を粗末に収容し、郊外の荒れ地に埋葬した。ところが、死後数日で家主も病に倒れ、まもなく亡くなった。藤田家は買収疑惑で家宅捜査を受け、全財産が没収され、かつての栄華は一瞬で消え、高級邸宅は廃墟と化した。使用人も散り散りになった。
このニュースは巷で大きな話題となり、家主の死因について、息子が庶民の母娘を奪い、二人を死に追いやったことで、家主が反省せず嫁まで殺したため、天罰が下ったのではないかと噂された。
まさに、
人心生一念、天地悉皆知。
善悪若無報、乾坤必有私。
さて、数か月後、皇帝が過剰な丹薬摂取により宮中で急逝し、朝廷は皇位が空席となり、太子と諸臣がそれぞれの思惑を抱えて暗躍した。一方、民間では百鬼夜行が起き、妖魔が跋扈して人々を苦しめ、内外の困難が重なり、百年に一度の危機となった。平和に暮らしていた民は故郷を追われ、繁栄していた村々は荒野と化した。
生き延びた民は青狐神社へ避難し、庇護を求めた。千鶴は人々の苦境を見て憐れみを抱き、神社の前に結界を張って避難民を保護し、自身は狐刀を携えて妖魔を退治した。
昼間は狐刀が妖魔を退治し、地域の安寧を守り、夜になると千鶴は法術で狐刀を人間に戻した。彼女は自ら狐に正しい道を教え、読み書きを覚えさせ、八重蘭という名前を授けた。
先帝の死後一年、新帝が即位し、「承平」と改元したが、天下はまだ平穏ではなく、妖魔の被害はますます深刻になった。新帝は土御門家の陰陽師を重用し、土御門家主に御前退魔の職を与え、各地の神社へ武士を派遣して妖魔を退治し、民心を安定させた。土御門家主は命を受け、すぐに弟子たちを四方へ送り出した。
三年後、妖魔の騒乱は収まり、世の中は少し落ち着いた。村人たちが神社の霊験に感謝して参拝に訪れ、香火は盛んになった。人々の願いが集まり、八重蘭の妖力は純粋で強力になり、真の守護霊狐となった。
寒暑を越え、時は過ぎ去った。千鶴もまた凡人の身であり、生老病死には抗えなかった。
彼女が息を引き取ったその日、八重蘭は枕元に跪き、泣き崩れた。千鶴は微笑んで言った。「私がいなくなったら、この土地を代わりに守ってね。」
八重蘭は涙を流しながらうなずき、なかなか立ち上がろうとしなかった。やがて顔を上げると、千鶴は静かに微笑みながら息を引き取り、八重蘭は約束を守り、霊狐の身で民を守り続けた。
八重蘭は『妖狐伝』を最後のページまで読み終え、そっと本を閉じ、夜空にかかった三日月を見上げた。千年眠りから覚めた今、初めて月をこんなにもはっきりと見たのだ。
時の流れは多くのものを変えたが、変わらないのは、この永遠の月光だけ。千年前と同じように、今もなお万物を照らしている。
「千鶴……」八重蘭は寂しげに月を見つめ、「世の中は変わり果てたけれど、あなたはきっと、まだそこにいるわ」とつぶやいた。今の千鶴がどんな名前でどこにいるのかは分からないが、彼女の記憶の中には、雪のように白い鎖骨に三日月型のほくろがあったことを鮮明に覚えている。
「何度生まれ変わっても、今世のあなたがどこにいようと、必ず探し出すわ」と、八重蘭は細い月を見つめ、心に誓った。




