同居
「あなたは……?」
目の前にいる萧珊雅は、気まずそうな顔で遠山凛を見つめていた。どうやら、目の前の少女が自分のルームメイトだとは知らなかったらしい。
「えっと……」
遠山凛は困ったように頭を掻いた。
「その……新しく来るルームメイトって……もしかして、君なの……? と、とりあえず……入って」
萧珊雅は一瞬、呆然とした。
まさか、こんな形で遠山凛と再会することになるなんて、本人でさえ想像していなかった。
少し迷ったあと、萧珊雅は小さく頷き、キャリーケースを引きながら部屋の中へ入っていった。
「ここで合ってますか?」
女性の声が聞こえてきた。
引っ越し業者の運転手だった。トラックはすでに遠山凛の家の前まで到着している。
「はい。すみませんが、荷物を運んでもらえますか? 玄関先に置いてもらえれば大丈夫です」
萧珊雅はきっぱりと答えた。
「はいよー! みんな、仕事始めるぞー!」
「了解です、姐御!」
数人の作業員がトラックから降り、荷台に積まれていた荷物を一つずつ玄関前へと運び始めた。
女の子の荷物には割れやすい化粧品なども少なくない。そのため、そうした品物が入っている箱には、あらかじめ「ワレモノ」の表示が貼られていた。
作業員たちもその表示を見つけるたび、決められた通り、慎重に箱を玄関前へ置いていく。
そして家の中では、遠山凛が運び込まれた箱を一つずつ部屋へ運んでいた。
幸い、萧珊雅の荷物はそれほど多くなかった。重たい大型家具もなかったため、ほどなくしてすべての荷物を運び終えることができた。
無事に作業が終わると、二人の少女は引っ越し業者の作業員たちを見送った。
「さようなら。お疲れさまでした」
「いえいえ、仕事ですから。それより……最近、原因不明の失踪事件が起きてるらしいですよ。お嬢ちゃんたち二人とも、くれぐれも気をつけてくださいね。うちの社長の娘さんも行方不明になってしまって……今じゃ、すっかり精神的に参っちゃってるんですよ」
姐御と呼ばれていた女性が、二人を心配そうに見ながら忠告した。
「分かりました。気をつけます」
遠山凛はそう答えながら、隣にいる萧珊雅へ視線を向けた。
「私たちも気をつけます。ご心配ありがとうございます」
「それじゃあ、気をつけてね。もう行きますよ」
引っ越し業者が帰ったあと、遠山凛は萧珊雅に自分の部屋がどこなのかを教えた。
萧珊雅は黙ったままキャリーケースから私物を取り出し、一つずつ部屋の中へ整然と並べていく。
その動作には無駄がなく、優雅で手際がいい。
それでも彼女の全身から漂う「他人を寄せつけない」という雰囲気は、少しも変わらなかった。
一方、遠山凛はその場に立ったまま、どこか落ち着かない様子で新しいルームメイトを眺めていた。
今日、校門前では萧珊雅に「殺してやる」とまで言われた。
その後は奇妙な空間で怪物と戦い、すべてが終わったかと思えば、なぜか彼女にキスまでされた。
そして今度は――自分のルームメイトになった。
あまりにも出来すぎた展開だった。
まるで、自分が奇妙で現実離れした悪夢でも見ているような気分だった。
そんなことを考えながら萧珊雅が部屋を整理していると、ふと彼女は、萧珊雅の部屋の前に一枚の写真が落ちていることに気づいた。
どうやら、萧珊雅の荷物からうっかり落ちてしまったらしい。
写真は裏返しになったまま床の上に置かれていた。
遠山凛はそれを拾おうと近づいた。
そして、写真に手を伸ばしかけた、その瞬間――
一つの手が素早く写真を拾い上げた。
遠山凛が顔を上げると、萧珊雅が写真を手に取り、そのままポケットへしまっていた。
「見ないで」
萧珊雅の声は冷たく、鋭かった。
まるで遠山凛を警告するかのように、瞳にも明らかな敵意が浮かんでいる。
「いや、違う。私はただ……」
遠山凛は何か説明しようとした。
しかし萧珊雅はそれ以上何も言わず、写真を手にしたまま自分の部屋へ戻っていき、そのまま扉を閉めてしまった。
どうやら、あの写真は萧珊雅にとって、とても大切なものらしい。
そうでなければ、あれほど敵意に満ちた表情を見せるはずがない。
遠山凛は自分の部屋へ戻った。
叔母がしばらくしたら二人のために夕食を作りに来てくれると言っていたが、いつ来るのかは分からない。
そのとき、不意に遠山凛のスマートフォンが鳴った。
画面を見ると、電話をかけてきたのは熊本にいる幼なじみ――園田慧だった。
遠山凛はいつも彼女のことを「小慧」と呼んでいる。
遠山凛は東京の女子高校へ進学した一方、園田慧は熊本県内の高校を選んだ。
それでも、二人の付き合いが途切れることはなかった。
「もしもし、凛凛? 新しい家にはもう着いたと? 都会はどぎゃんね?」
小慧は熊本の方言で話していた。
その声には、故郷の土の匂いを感じさせるような、どこか懐かしい親しみがあった。
「うん、着いたよ。けっこういい感じ」
遠山凛もその雰囲気につられ、いつの間にか熊本の方言に戻っていた。
「なんか面白かこと、あったと?」
「それは……」
遠山凛は自分の手のひらに浮かぶ黄色い印を見つめた。
――虚界少女?
――印?
――殺し合い?
こんな話をしたところで、小慧はきっと「都会に長くいるせいで頭がおかしくなったんじゃない?」と思うだけだろう。
そもそも、こんなものを「面白いこと」と呼べるはずもない。
むしろ、残酷ですらあった。
「どぎゃんしたと? 凛凛?」
「なんでもないよ」
「私も大都会に行ってみたかー。都会って、うちらみたいな田舎より絶対面白かっちゃろ?」
「そんなことないよ。私からしたら、どっちもそんなに変わらないかな」
「でも、都会の人って変な人が多かって聞くばい。凛凛、一人でそっちにおるっちゃけん、ちゃんと気をつけんといかんよ! それに最近、原因不明の失踪事件も起きとるんやろ? 都会は人が多かけん、犯人が人混みの中におるかもしれんばい」
小慧は心配そうに言い聞かせた。
「分かったって。私、もう子供じゃないんだから」
遠山凛は笑った。
そして、ふとリビングのほうへ目を向ける。
そこでは萧珊雅が一冊の本を手に、集中して読んでいた。
――謎の失踪事件の犯人が誰なのか。
それについては、遠山凛にもまったく見当がつかない。
けれど――「変な人」なら。
自分のすぐそばに、一人いる。
そう思い、遠山凛はもう一度萧珊雅へ目を向けた。
彼女は相変わらず静かにソファへ座り、ページをめくっている。
その姿を見ているうちに、遠山凛は校門前でのあのキスを思い出してしまった。
唇には、まだあの感触が残っているような気がした。
そして、そのせいなのか。
思考はいつの間にか、遥か彼方へ飛んでいってしまっていた。
「凛凛、またどうしたと? なんか、上の空じゃなか?」
「なんでもないよ。続けて話して」
「そう? じゃあね――」
小慧は再び、自分の身の回りで起きたさまざまな出来事を話し始めた。
遠山凛も東京で経験した出来事を話す。
そうして二人は、取り留めのない会話を延々と続けていた。
そのとき――
ピンポーン。
突然、玄関のチャイムが鳴った。
きっと叔母が夕食を作りに来たのだろう。
「叔母さんが来たみたい。じゃあ、またね」
「そっか。じゃあ、またね」
名残惜しそうに、小慧は電話を切った。
遠山凛はスマートフォンを置くと、部屋から飛び出し、玄関へ向かう。
叔母を迎えに行くつもりだった。
リビングにいた萧珊雅も立ち上がり、玄関へ向かっていた。
二人の少女は、ほとんど同時に玄関へ到着した。
遠山凛が手を伸ばし、ドアノブを回そうとした、その瞬間――
萧珊雅も手を伸ばし、遠山凛の手首を掴もうとした。
しかし、あと少しで触れるというところで、その手を引っ込めた。
まるで、萧珊雅の身体が意思とは関係なく、遠山凛に触れようとしていたかのようだった。
けれど、なぜ自分がそんなことをしたのか。
彼女自身にも分からない。
手を引っ込めたあと、二人の間には、なんとも気まずい空気が流れた。
互いにどうすればいいのか分からない。
遠山凛は自分の手首を見つめ、何を言えばいいのか分からず黙り込んだ。
萧珊雅はそんな遠山凛から顔を背け、目を合わせようともしない。
しばらくの間、二人はそのまま動かなかった。
やがて――
ガチャリ。
玄関の扉が開いた。
「あら、二人ともいたのね。てっきり、二人とも出かけてるのかと思ったわ。合鍵を持っててよかった」
玄関に立っていた叔母は、二人の少女を見て意外そうに声を上げた。
「さて、二人ともいるなら、私はさっそくご飯を作ってくるわね。二人はリビングで待っててちょうだい」
その日の夕食は、日本で有名な料理――すき焼きだった。
叔母がキッチンで食材を準備する間、遠山凛はリビングのソファでテレビをつけた。
萧珊雅はソファの反対側に座り、先ほどと変わらず本を読み続けている。
テレビでは時代劇が流れていた。
遠山凛は時代劇にあまり興味がなかった。
しかし、隣にいた萧珊雅は違った。
テレビから流れる映像に気づいたのか、読んでいた本から視線を移し、画面をじっと見つめている。
「……もしかして、時代劇が好きなのかな?」
遠山凛は萧珊雅が読んでいた本をちらりと見た。
それは『源氏物語』だった。
平安時代の作家、紫式部によって書かれた物語だ。
そして、テレビで放送されている時代劇もまた、平安時代を舞台にした物語だった。
遠山凛はしばらく彼女を観察した。
萧珊雅はテレビ画面に完全に意識を向けている。
こちらの視線には、まったく気づいていないようだった。
遠山凛は、またあのキスを思い出した。
あのときの感触が、まるで今も唇に残っているかのようだった。
それは、言葉ではうまく説明できない、不思議な感覚だった。
――どうして、萧珊雅は自分にキスをしたのだろう?
――初めて会ったときに感じた、あの妙に懐かしくて、胸が高鳴るような感覚はいったい何だったのだろう?
いくつもの疑問が、頭から離れない。
遠山凛自身も分かっていた。
自分と萧珊雅の間には、何か普通ではない繋がりがある。
けれど、その繋がりがいったい何なのかは、あまりにも曖昧で、掴みどころがなかった。
遠山凛は、こっそり萧珊雅の横顔を盗み見る。
すると、思考はさらに遠くへ流れていった。
――そのときだった。
何かを感じ取ったように、遠山凛はふっと我に返った。
気づけば、萧珊雅もまたこちらを見つめていた。
「えっと……私……」
何か言い訳をしようとした。
けれど、言葉が出てこない。
「ご、ごめん!」
遠山凛は慌てて謝ると、すぐさま隣の本棚へ駆け寄った。
そして一冊の漫画を取り出し、勢いよくページをめくり始めた。
ようやくソファへ戻って腰を下ろした、そのときだった。
萧珊雅が、遠山凛の漫画をひょいと取り上げた。
「……何するつもり?」
萧珊雅の目は真剣だった。
まるで、これから何か恐ろしいことが起こると告げているかのように。
人に気づかれないまま、長い時間じっと見つめていたのだから、誰だって不快に感じるだろう。
遠山凛は、これから何が起きるのかと、思わず目を閉じたくなった。
胸元で両手を強く握りしめる。
ところが――
萧珊雅は漫画をくるりと上下逆さまにすると、そのまま遠山凛へ返した。
「本、逆さまに持ってる」
萧珊雅は表情一つ変えずに言った。
そして、そのまま何事もなかったかのようにソファへ戻っていく。
遠山凛は、ようやく強張っていた身体の力を抜いた。
「ご飯できたわよー。二人とも、こっちに来て食べなさい」
キッチンから叔母の声が響いてきた。
「分かった。今行く!」
遠山凛は漫画をソファの上へ置くと、逃げるようにダイニングへ向かった。
遠山凛の姿が見えなくなると、萧珊雅は一人でソファに残された漫画を手に取った。
「『怪盗少女クロエ』……。この子、漫画が好きなの?」
萧珊雅は漫画を開いた。
どうやら、中身を読んでみようとしているらしい。
「萧珊雅ちゃん、ご飯できたわよー。早くいらっしゃい。凛なんて、もうあなたと一緒に晩ご飯を食べたくて待ちきれないみたいよ」
ダイニングから叔母が声をかける。
「叔母さん、何言ってるの!」
遠山凛が慌てて声を上げた。
萧珊雅はそれを聞くと、仕方なく漫画を閉じ、ダイニングへ向かった。
食卓では、叔母が楽しそうに料理を取り分けていた。
鍋にはさまざまな具材が並び、白い湯気がもうもうと立ち上っている。
けれど、学校での出来事をいくつも経験したせいか、普段は明るい遠山凛も、食卓ではどこかよそよそしく、緊張した様子を見せていた。
萧珊雅は相変わらず口数が少ない。
叔母に話しかけられたときだけ、礼儀正しく短い返事をする程度だった。
事情を何も知らない叔母は、二人が今日初めて顔を合わせたばかりだから緊張しているのだと思ったらしい。
そこで、二人の間に目に見えるほど漂っている距離感をなくそうと、せっせと話題を振って場を和ませようとした。
やがて夕食の時間も、あっという間に過ぎていった。
時間が遅くなったことに気づいた叔母は、「仲良くするのよ」とか「ちゃんと食器を洗ってね」など、いくつかの言葉を二人に言い残すと、慌ただしく帰っていった。
広い食卓には、再び遠山凛と萧珊雅の二人だけが残された。
そして――
空気は、また静まり返った。
遠山凛はしばらく迷った。
それから、おそるおそる口を開く。
「萧珊雅さん。今日の午後、校門のところで……」
「……あのことは、話したくない」
萧珊雅は顔すら上げず、遠山凛の言葉を遮った。
そして、何事もなかったかのように、箸で卵をすき焼きの中の牛肉に絡め、そのまま口へ運んだ。




