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虚界少女  作者: sara
復生の影
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襲擊

  緒方花音と春谷時雨の二人は再びあのアパートへ足を踏み入れた。今回はエレベーターが正常に動き、彼女たちをスムーズに八階へと運んでくれた。


  エレベーターのドアが開くと、緒方花音は深呼吸をして先に外へ出た。時雨はジャケットのポケットに両手を突っ込んだまま、ゆっくりとその後ろをついていく。


  緒方花音はぼんやりとした記憶を頼りに、階段方向へ一歩ずつ進んでいった。あの薄暗い階段の入り口付近で、自分は奇妙な影を見たのだ。


  時雨は後ろから彼女の様子を眺めながら、何の感情も揺れなかった。彼女がここに戻ってきたのは、虚界で怪物に襲われた時の記憶を探るためだと分かっていたが、それは無駄な努力に終わる運命だった。一度消去された記憶など、凡人が簡単に取り戻せるはずがない。だから自分にできることは、彼女が諦めるまでこの茶番劇に付き合うことだけだ。


  階段の入り口に着くと、緒方花音は足を止めた。目を閉じて、頭の中にある断片的な映像を必死に探すが、どうしてもはっきりとは思い出せない。あのぼんやりとした影こそ、最近起きた行方不明事件の犯人かもしれない。少しでも手がかりを思い出すことができれば、悲劇を防げるかもしれないし、天城医師を守れるかもしれない。


  「どうして、どうして思い出せないの!」緒方花音は焦って頭を激しく振った。もう泣きそうだった。


  「無理しない方がいいよ」と時雨は淡々と言った。


  「ダメよ!」緒方花音は勢いよく目を開けた。「どうしても思い出さなきゃいけない理由があるの!」


  そのとき、階段の脇に貼られた封印の扉に彼女の視線が引きつけられた。思い出した。天童さんが言っていた、この部屋の住人が行方不明事件の被害者だと。


  「中を見てみよう!」緒方花音は扉を指差した。


  「気が狂ってるの?」時雨は眉をひそめた。「ここは事件現場よ。危険だわ。」


  「犯人はときどき現場に戻ってくるって聞いたことがあるの」と緒方花音は声を潜めて、いかにも専門家らしく分析した。「もしかしたら何か痕跡が見つかるかもしれないわ!」


  「でもどうやって開けるつもり?封印されてるんだから。」


  緒方花音は考えた。確かに自分では開けられそうにない。少し落ち込み、諦めようとした瞬間、試しにとばかりにドアノブをぐっと回してみた。


  カチャリ。


  なんと、ドアが開いたのだ!


  「ほら!言った通りでしょ!きっと犯人が現場に戻ってきたのよ。そうでなければ、なぜ鍵がかかっていないの?」


  「ただの空き巣かもしれないじゃない。」


  「とにかく、私たちが来たのは正解よ」と緒方花音は使命感に燃えた。「たとえ小泥棒を捕まえるだけでも、社会治安への貢献になるわ!」


  彼女は恐れ知らずにドアを押し開け、率先して中へ入った。時雨はため息をつきながら、仕方なくその後に続いた。


  室内はひっそりとしており、窓やドアは固く閉ざされ、空気にはほのかな埃の匂いが漂っていた。リビングの家具は整然と並べられ、生活用品も元の位置に置かれていて、とても泥棒が入ったようには見えなかった。


  緒方花音はスマホを開き、ニュースページをタップして記事をざっと見た。


  「被害者の名前は柿崎璃美さん。パン屋で働くパティシエで、普段は一人でお菓子作りをするのが趣味。夫は二ヶ月前に失踪したらしい。」


  「夫婦ともに運が悪いのね」と時雨は少し同情した。


  緒方花音はリビングを指差した。「あっちを探してみて。私はキッチンで手がかりを探すから。」


  「分かった」と時雨は特に何も聞かずに花音の提案を受け入れた。


  時雨はリビングに入ると、テーブルの上の物に目を引かれた。そこにはタバコの箱と金属製のライターが置いてあった。


  「どうやらここに住んでいた人は喫煙者みたいね」と彼女はさらりと言った。ライターを手に取って見ると、作りはなかなか精巧で、蓋を開けると「カチッ」という音と共に火が勢いよく上がった。


  一方、緒方花音はキッチンで探し物をしていた。戸棚を開けると、未開封の小麦粉がたくさん残っている。


  「どうやらここに住んでいた人は普段からお菓子作りが好きみたいね」と彼女はつぶやいた。


  さらにテーブルの上に『お菓子作り大全』という本を見つけた。興味津々で開いてみると、著者はまさかの柿崎璃美本人だった。本の中には彼女が考案したお菓子のレシピがぎっしり詰まっており、緒方花音は夢中になって色とりどりのお菓子を見つめた。


  「もし私がお菓子を作って天城医師にあげたら、喜んでくれるかな?」


  そのとき、突然冷たい触手が背後から伸びてきて、彼女の肩を軽く叩いた。「邪魔しないで、時雨。今、手がかりを探してるのよ。」緒方花音は時雨が邪魔をしているのだと思い、不機嫌に後ろへ手を振り払おうとした。


  しかし、触れた感触は奇妙だった。冷たくてしなやかで、決して人間の腕ではない。


  足元からゾクッと寒気が頭頂部まで駆け抜けた。緒方花音は硬直したまま振り返った。


  彼女が悪夢の中でしか見たことのない怪物が、静かにすぐ後ろに立っていた。背中には八本の蠢く触手があり、左手は鋭い爪、右手には不気味な骨の盾を持っている。


  怪物は自分が見つかったことに気づくと、振り払われた触手を鋭い棘へと変えて、間髪入れずに間近にいる緒方花音を刺そうとした。


  「気をつけて!」


  青い風刃が唸りを上げて飛んできて、間一髪で怪物の触手を切断した。切り落とされた触手は地面に落ちてもなお活性を保ち、まるで毒蛇のように跳ね上がって花音の足首を狙った。


  「チッ!」時雨は飛びかかり、緒方花音を勢いよく地面に押し倒して、危うく致命の一撃を避けた。時雨は素早く立ち上がったが、自分の下敷きになった緒方花音はすでに恐怖のあまり気絶していた。


  「またあなたなの?」時雨は立ち上がり、花音を庇うようにして目の前の見慣れた怪物を冷ややかに見据えた。彼女はこの相手を知っていた。前回廊下で彼女たちを襲った奴だ。防御力が非常に高く、あのときは花音と一緒に消火器の粉末で混乱を起こしてなんとか逃げ切ったが、狭いキッチンではもう逃げるのは難しい。何より厄介なのは、今の自分にはあの忌々しい骨の盾を突破する手段がないということだ。


  時雨は手に持っていた拾ったばかりのライターと、隣の戸棚に並んでいる真っ白な小麦粉袋に視線を走らせた。


  大胆な作戦が瞬時に頭の中に浮かんだ。


  時雨は以前と同じ手を繰り返し、鋭い風弾を放ったが、標的は怪物ではなく、積み重なった小麦粉袋だった。袋は瞬く間に破裂し、大量の白い粉がキッチン中に広がった。


  怪物は一瞬うなり声を上げたが、どうやら前回の「煙幕」を覚えているようだ。また視界を曇らせるつもりだと察したのか、すぐに複数の触手を扇風機のように動かし、目の前の粉塵を半分以上払いのけた。


  「やっぱり引っかかったわね」と時雨は冷笑した。


  彼女が狙ったのは視界を遮ることではなく、粉塵と空気が混ざり合い、最適な爆発濃度になることだった!


  次の瞬間、彼女はすでに開いていたライターを粉塵が最も濃い部分に向けて思い切り投げつけた。同時に風の力で自身を包み込み、球状の結界を作った。


  「ドーン!!!」


  粉塵が瞬時に爆発!灼熱の炎と恐ろしい衝撃波がキッチン全体を覆った。


  時雨はライターを投げた瞬間に昏睡状態の花音を抱きかかえ、リビングの窓枠へ向かい、八階から飛び降りた。空中で右手の刻印が光を放ち、彼女の下に裂け目を開け、花音を抱えたままその中へと飛び込んだ。


  アパートの外の静かな路地で、時雨は花音を地面に横たえ、激しく揺すった。


  「おい、起きろ!」


  緒方花音はゆっくりと目を開けた。ぼんやりと周りを見渡し、目の前の時雨を見て尋ねた。「ここはどこ?私、どうなっちゃったの?」


  「ふー」と時雨は安堵の息をついた。どうやらまた記憶がリセットされたようだ。彼女は立ち上がって服についた埃を払い、生き延びた後の真剣な口調で言った。「私たち、犯人に遭遇したけど、もう逃げてきたわ。」


  「犯人?」花音は驚いて目を丸くした。「あなた、見たの?」


  「見てない。黒い服を着てマスクもしてたから」と時雨は嘘をついた。「でも、彼女があなたを狙っているみたいよ。」


  彼女は花音の前にしゃがみ込み、これまでにないほど真剣な口調で警告した。「聞いて、緒方花音。もう二度とここに来ないで。ここはあなたの来る場所じゃないの。分かった?聞こえてる?」


  緒方花音は具体的な出来事は覚えていないものの、時雨の真剣な表情と自分の中に残る恐怖が、これは冗談ではないことを教えてくれた。彼女は無意識のうちに力強く頷いた。「分かった、気をつけるわ。」


  時雨は彼女の返事を確認すると、ようやく立ち上がって周囲を見渡した。危険がないことを確かめて、ようやくほっと息をついた。


  「早くここを出よう」と時雨は言い、緒方花音の手を引いて立ち上がらせた。二人は急いで路地を出て、大通りへと向かった。大通りは人通りが多く、賑やかで、先ほどのアパートの陰鬱な雰囲気とは対照的だった。


  緒方花音は時雨の後ろを歩きながら、まだ少し怖かった。時折後ろを振り返り、犯人がどこかの角から飛び出してくるのではないかと怯えていた。


  時雨はそんな彼女を安心させようと、「怖がらないで。人混みの方へ行けば、彼女も手出ししづらいから」と言った。


  二人は歩き続け、すぐにバス停に到着した。時雨は口を開いた。「あなたはバスで帰って。ここに帰りのバスがあるはずよ。」


  「うん」と緒方花音は答えた。


  しばらくするとバスがゆっくりと近づき、緒方花音は乗り込んで窓際の席に座った。バスが家路につき、窓の外を流れる景色を眺めながら、彼女はまだ少し不安な気持ちを抱えていた。


  虚界空間では、怪物が燃え盛る炎の中にいた。まるで地獄の業火の中のような光景だ。かつて威風堂々としていた八本の触手は今や吹き飛ばされ、切断面からは勢いよく炎が立ち上っていた。


  幸いにも彼女は頑丈な骨の盾の陰に身を隠していたため、体は無傷で済んだ。


  怪物の胸にある赤い宝石が不思議な光を放ち始めた。その光に包まれて、切断面の肉芽が急速に成長し、目に見える速さで伸び、分化していく。わずか数瞬で新しい触手が形になり始め、まるで生まれたばかりの蛇のようにしなやかに動き、次第に太く力強くなっていった。


  触手の再生が完了すると、怪物は天を仰いで耳をつんざくような咆哮を響かせた。その叫びは虚界空間ごと粉砕しそうなほどで、音波は実体となって広がり、行く先々で炎が激しく揺れ、周囲のガラスは細かなひび割れを生じ、ついには割れてしまった。


  怒りと殺意に満ちた咆哮は、この爆発で簡単に倒れることはない、むしろさらに狂気的な報復を始めるのだと虚界に告げているかのようだった。



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