↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
虚界少女  作者: sara
復生の影
30/102

嫉妒

  午後、蕭珊雅は午前の文学部の授業を終え、ひとりでキャンパスを散策していた。


  学生たちは午前の授業を終え、仲の良い友だち同士で校内をぶらついており、道には楽しげな笑い声が溢れていた。


  「一緒に食堂に行かない?」


  「体育館でバスケしようよ!今、新しい技を覚えたんだ。ちょっと見せてあげる!」


  そんな会話が、蕭珊雅の耳元を次々と通り過ぎていく。入学してまだそれほど日は経っていないのに、クラスメートたちはもうそれぞれに仲良しグループができあがっていた。けれども、蕭珊雅だけは相変わらず一人ぼっちだった。彼女自身、騒がしい人混みが苦手なのもあり、どちらかといえば静かな隅っこで自分の考えに耽ったり、好きな本を読んだりする方が好きだったのだ。


  いま、蕭珊雅の手には『花は眠らず』という本が握られており、校内にひっそりとした場所を探して、そこに入り込み、本の中の世界へと浸っていきたいと思っていた。


  いつしか彼女の足は、体育学部のあるエリアへと向かっていた。そこから聞こえてくるざわめきが、彼女の注意を引いた。


  グラウンドでは、スポーツウェアに身を包んだ女子たちが体育テストを行っており、空気中には若さあふれる汗の匂いや、次々と飛び交う応援の声が満ちていた。蕭珊雅はその群衆の中をぐるりと見渡し、やがて一つの馴染み深い姿に目を留めた——遠山凛だ。


  今の遠山凛は、女子1000メートル走のテストに臨んでいた。きりっとしたポニーテールを結び、白い額には細やかな汗の粒が光っている。均一で力強い呼吸、軽快でリズミカルなステップ。まるで疲れ知らずの小鹿のように、彼女は集団の先頭を独走し、他の選手たちを遥か後方に置き去りにしていた。


  蕭珊雅はトラック脇の木陰に立ち止まり、ただ何となく足を止めただけだったが、無意識のうちに、陽光を浴びて疾走するその姿に引きつけられていった。


  彼女は、凛が力強く腕を振るたび、地面を踏みしめるたび、そして運動によってほんのり紅潮した頬に漲る純粋な生命力を見つめながら、一瞬、我を忘れるように見入ってしまった。


  「遠山さん、すごいね!」


  「本当に。二位の子なんて、凛さんの背中すら見えないくらいだよ!きっと、このまま行けば一位は間違いないよね!」


  トラックの周りには他学年の生徒たちも数人集まっており、どうやら彼らは遠山凛の走りを見るためにわざわざやって来たようで、惜しみない称賛の言葉を投げかけていた。


  蕭珊雅はそんな様子を眺めながら、胸の奥に言いようのない感覚を抱いていた。


  凛は、自分とはまるで別世界の人間のように思えた。彼女はまさに今の太陽のように、まばゆく温かく、前向きなエネルギーに満ちていて、周囲の視線を簡単に集め、誰とでも気兼ねなく打ち解けることができる——そんな存在だった。


  一方で、自分はどうだろう?


  ほどなくしてテストは終わり、遠山凛は文句なしの一位でフィニッシュラインを駆け抜けた。彼女は膝に手を当てて少し息を切らしながらも、挑戦をやり遂げた後の満足そうな笑顔を浮かべていた。


  すぐに、何人もの女子生徒が彼女を取り囲んだ。


  「すごーい!凛、余裕すぎ!みんなをこんなに引き離しちゃって!」


  「マジで怪物級の体力じゃん!普段どんなトレーニングしてるの?」


  「凛、次は絶対に抜いてやるからね!見てなさい!」成績の良かった別の女子生徒が、遠山凛に挑戦状を叩きつけるように言った。


  遠山凛は、彼女たちの驚嘆にも挑戦にも一つひとつ丁寧に応え、どこまでも屈託のない笑顔を浮かべていた。決して驕ることはない。


  蕭珊雅は遠くからその光景を眺めながら、胸の奥に言い表しようのない複雑な感情が渦巻いていた。


  「友だちなんて、そもそも必要ないんだ」


  彼女は服のポケットから一枚の写真を取り出した。それは、姉の姫玥とのツーショットで、彼女にとって最も大切なものだった。


  「姫玥姉さん、必ずあなたを見つけ出すわ」


  彼女はまだ幼かった頃、喘息のせいで病室という狭い空間に閉じ込められ、辛い日々を送っていた。そんなときも、ずっと寄り添い、面倒を見続けてくれたのは姉の姫玥だった。


  ある日、新しく転校してきた男の子の一言に傷つき、絶望の淵に立たされた自分を救ってくれたのもまた、姉の姫玥だった。


  「そう……じゃあ、可哀想だね。一緒に遊べないなら、友だちにはなれないよね?」


  その何気ない一言は、幼い蕭珊雅の心を深く切り裂く鋭利な刃となった。一緒に遊べなければ、友だちにはなれない――。


  つまり、自分はほかの子どもたちとは、まったく違う世界にいるのだ。


  ガラスケースの中に閉じ込められた標本のように、外の世界の華やかさをただ眺めているだけで、決してその輪の中へと溶け込むことはできない——そんな気がして、大きな悔しさと無力感が彼女を襲った。蕭珊雅はくるりと踵を返し、あの息苦しい公園から逃れようと、必死に走り出した。


  走り続け、胸が締めつけられるような不快感が募り、喉からは鉄のような鉱物臭のする甘酸っぱいものがこみ上げてきた。彼女は道端にどさりと倒れ、激しく咳き込んだ。


  もうこれ以上は耐えられない、そう思った瞬間、温かい両手がそっと彼女を支えてくれた。下校途中だった姉の姫玥が、道端に倒れている妹を見つけたのだ。嫌悪も恐れもなく、清潔なハンカチで優しく口元の血を拭き取ってくれた。


  「怖がらないで」と姫玥は震える蕭珊雅をぎゅっと抱きしめ、「怖がらないで、シャオヤ。私はあなたのそばにいるから」と囁いた。


  それ以来、蕭珊雅は冷たく、どこか他人を寄せ付けない態度で自分を守ってきた。隔てていたのは世の中ではなく、自分自身だったのだ。


  自分には届かない温もりも、触れることのできない友情も、もう望むまい。姉がそばにいてくれるだけで、それで十分だ。


  蕭珊雅が姉との思い出に浸っていると、肌の黒い女生徒が遠山凛の腕をつかんで、熱心に尋ねていた。「凛、どうしたらこんなに速く走れるの?教えてよ!」


  「じゃあ、一度走ってみてもらえる?」


  「うん、いいよ!」


  女生徒はすぐに足を進めて走り出し、再び遠山凛の前に戻ってきた。


  「どうだった?何か問題ある?」


  「うん、腕を振るときに体が揺れてるから、余計な力が使われちゃってる。ほら、こうやってやってみて」


  そう言って、遠山凛は少女の腕と腰にそっと触れて、丁寧に走り方を直していった。二人はとても近くに寄り添い、自然な距離感の中で、どこか親密な雰囲気さえ漂っていた。


  その光景を目にして、蕭珊雅の瞳孔は急激に縮み、突然、強烈な吐き気に襲われて、思わず眉をひそめた。彼女の中には、遠山凛が他人とこれほど親密に触れ合うことに対して、拒否反応のようなものが芽生えていたのだ。


  なぜだろう?


  蕭珊雅自身、この突発的な感情の正体が分からなかった。心を閉ざし、くだらない人間関係など一切無視すると決めていたはずなのに、なぜ、出会って間もない遠山凛という少女に、これほどまでに神経を尖らせてしまうのか。さらには、彼女が誰かと親しくしているだけで、不快感を覚えてしまうなんて——。


  彼女は改めて、姉の写真へと視線を落とした。そこに映る姫玥は、穏やかで慈しみに満ちた笑顔を浮かべていた。それは、蕭珊雅の心の中にある最後の安住の地だった。彼女は何度も自分自身に言い聞かせていた。今の自分にとって唯一の目標は、姉を攫った紫色の蝕刻の姫を見つけ出し、どんな犠牲を払ってでも姫玥を救い出すことだ——それ以外のすべては、自分には関係ないのだと。


  一方で、グラウンドでは、遠山凛が肌の黒い女生徒のフォームを修正した後、彼女は再び100メートルを往復してみたところ、確かに走り方が楽になったことを実感したようだった。感激した彼女は、すぐに遠山凛のもとへ駆け戻り、彼女に抱きついた。


  「本当に効果あった!ありがとう、凛!」


  そのあまりに唐突な行動に、遠山凛は一瞬たじろぎ、体が固まった。数秒の間を置いてから、ようやく少女の肩をぽんと叩いて言った。


  「別に、大したことじゃないよ」


  「凛のアドバイスのおかげで、次こそはもっといい記録が出せるわ!本当にありがとう!」少女は遠山凛から身を離すと、もう一度お礼を述べた。


  「ほんとに、大したことじゃないって」と遠山凛は笑顔で手を振った。


  「最低……」そばでそれをじっと見ていた蕭珊雅は、思わずそんな言葉を口にしてしまった。淑やかで冷静なはずの自分が、こんな粗野な言葉を口にするなんて。一体、自分の心はどうなっているのだろう。そして、目の前の遠山凛という少女とは、いったいどんな関係があるというのか。どうして思い出せないのだろう。


  「何見てるの?」と、ふいに耳元で笑いを含んだ声が響いた。


  蕭珊雅は突然の声に驚いて体をびくりとさせ、手に持っていた写真と本が滑り落ち、床に散らばってしまった。慌てて振り向いたものの、自分が階段の上に立っていたことを忘れ、足を滑らせてしまい、そのまま後ろへと勢いよく倒れてしまった。


  「きゃあ!」


  しかし、その瞬間、力強い腕が彼女の腰をしっかりと抱きしめ、落下する体をぐっと受け止め、そのまま平地へと引き戻してくれた。


  「気をつけてね、シャオさん」と声の主は湾内先輩だった。彼女の表情には茶目っ気のある微笑みが浮かんでいたが、その眼差しには深い配慮が感じられた。


  蕭珊雅はまだ動悸が収まらず、心臓が早鐘のように鳴り続けていた。気づけば、先輩の手は親しげに自分の腰に回されていた。反射的にそれを払いのけようとしたが、それに気づいた湾内先輩はすっと手を離し、蕭珊雅が無事に立ち直れるようにしてくれた。


  続いて湾内先輩の視線は、床に落ちていた写真へと移った。裏返しになっていて、何が写っているのかは分からない。「これ、何?」と興味津々に身をかがめて拾い上げようとした。


  「触らないで!」と、尻尾を踏まれた猫のように素早く身を屈め、蕭珊雅が先に写真を奪い返した。


  湾内先輩は少しばかり驚いたものの、怒る様子は見せず、代わりに傍らに落ちていた『花びらは眠らない』を拾い上げて、蕭珊雅に手渡した。


  「へぇ、それ、かなり大事なものみたいだね。私にもちょっと見せてもらえない?」と、にこやかに尋ねた。


  「ダメです」と、蕭珊雅の答えは短く、しかし断固としていた。その口調には、どこか警戒心が滲んでいた。


  「そうなんだ」と、肩を落とした湾内先輩は、「入学式のあとに一緒にキャンパスツアーをしたときには、もう友だちだと思ってたんだけどね。まあ、その写真に写ってる人は、きっとすごく大切な人なんだろうね」と言った。


  蕭珊雅は湾内先輩から受け取った本を手に取り、その間に写真を挟み込んで鞄へと仕舞い込んだ。何も語らなくても、先輩には彼女の反応から全てが伝わっていた。


  「じゃあ、私たちが本当の友だちになったら、その写真、見せてくれる?」と、再び尋ねる湾内先輩。


  「それは……」と、蕭珊雅は少し困った様子を見せた。


  それを察した湾内先輩は、得意げな表情で言った。「冗談だよ。それほど大事な写真なら、ちゃんと大事に保管してね」


  その後、湾内先輩はスマホで時間を確認し、「午後はダンスの授業があるから、そろそろ行くね」と告げて、一人で去っていった。蕭珊雅はその背中を見送りながら、ようやく胸を撫でおろした。


  その頃、グラウンドでは笛の音が鳴り響き、遠山凛たちの所属する体育学部の1000メートル走のテストが終了していた。凛は仲間との交流を終え、グラウンドの方からこちらへと歩いてきた。そして、階段の上に佇む蕭珊雅の姿を一目で見つけた。


  「蕭珊雅さん、ここで何をしてるんですか?」と、遠山凛が問いかける。


  「あの……私は……」と、やっと緩んだ緊張が再び張り詰められた。遠山凛の1000メートル走を盗み見ていたことや、彼女が親しく接している女の子たちに嫉妬の気持ちを抱いていたことなど、とても口に出せる内容ではない。


  「それに、さっき湾内先輩とも何か話してたみたいですね」


  まさか、さっきのことも見られていたのだろうか。蕭珊雅は今や追い詰められた動物のように、額にじわりと汗を滲ませていた。


  「今ね、蕭珊雅さんと、女子同士ならではのとってもフレンドリーな秘密の話をしてたのよ」と、突然、遠山凛の耳元で先輩の声が響いた。


  「きゃっ!」と驚いて振り返ると、いつの間にか遠山凛の背後に現れていた湾内先輩が、柔らかな笑顔で立っていた。


  「え、ええと……」と、動揺を隠しきれない遠山凛が先輩に答える。


  「もちろんよ!ね、蕭珊雅さん?」と、意味深なウィンクを送る湾内先輩。


  蕭珊雅はその意図を瞬時に理解し、即座に答えた。「はい。ちょっと生活に関することを先輩に相談したくて……」


  「そうでしたか」


  「それなら、二人とも邪魔しないでおきますね。昼休みだし、好きなことをしててください」


  そう言うと、湾内先輩は再びダンス室へと向かって歩き始め、遠山凛と蕭珊雅は彼女の背中が見えなくなるまで見送った。


  「あの、私は食堂に行くので、先に失礼します」と、蕭珊雅が告げる。


  「じゃあ、気をつけてね。夜は家で会おう」と、遠山凛が手を振って見送る。


  「はい、気をつけます」と返事をした蕭珊雅は、急ぎ足で食堂へと向かった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。