8 ゴーヴァン公爵
騎士たちが捜索している間にノエルの状態をみる。
かなり衰弱して弱っている。
ヴィヴィアは彼女の体に触れてみる。
そして衣類に付着している吐瀉物を呟きながら観察した。
脳裏に浮かんだブドウ状に集まる小さな球体の名前を。
「スタフィロコッカス」
ヴィヴィアの口から出た名前にノエルは首を傾げた。
「何か傷んだものを食べましたか?」
ヴィヴィアの質問にシエルは思い出した。
「倉庫に入る前、食べ残しのサンドイッチを食べました」
草組の食事は基本的に花組の食べ残しであった。日によっては緑色に変色したものがあったが、空腹感に我慢できず食べざるを得なかった。
食中毒だ。
手にはたくさんの常在菌が付着している。代表格が黄色ブドウ球菌である。素手で掴んで食べる食事、おにぎりやパンに移され放置されると毒素を産生する。そうなると加熱し直しても、毒素は分解されない。それを口にして激しい腹痛と嘔吐下痢が起きてしまう。
シエルから聞いた病の症状と一致する。
治療方法は対症療法。特別な薬は必要なく、毒素が抜けるまで脱水予防、水分補給が推奨される。
同じ病のシエルが動けるようになり、ノエルが動けなくなったのは脱水の程度の差だろう。
ノエルの顔の痩せ方、皮膚の状態からかなり酷い脱水となっている。
「奥様、お湯を準備しています。ここは私に任せて」
騎士と共に現れたケイトはヴィヴィアに体を清めて着替えるように言った。
ロズモンド男爵家へ案内された夫人はケイトが化けたものだった。ケイトからかなり難色を示されたが、ヴィヴィアの熱心さに負けて男爵へのめくらまし役をしてくれたのだ。
ヴィヴィアが着替えている間にケイトはノエルの清拭を済ませて、部屋を掃除していた。
窓が開かれ、埃っぽさがずいぶんと改善されたようにみえる。
「奥様、言われた通りのものを持ってきました」
兵士が厨房でヴィヴィアに言われていたものを持ってきた。
器の中には熱いお湯が入っている。
もう少し冷やした方がいいわね。
キンキンに冷えてもあまりよくないけど。
ヴィヴィアは用意されたお湯の温度を確認しながらノエルに匙でそれを飲ませようとした。
お願い。飲んで。
そう願いながら匙を近づけるとわずかにノエルの口が開き、ずずっとそれをすすった。
◆◆◆
ヴィヴィアがノートンへ訪問してから2日が経過した。
騎士が持ってくる新しく入る情報にヴィヴィアは頭を悩ませた。
「私の手には負えないわ」
孤児たちの看病だけでもてんてこ舞いなのに。
あれから騎士たちは虐待された子供を見つけることができた。
折檻部屋には飲食物を禁じられ、幽閉されている子供がいた。
半日ほど経過しての救出で、脱水症状は起きていなかった。
大人たちに対して恐怖心を抱いているようで下を俯いて震えていた。
朝方になると草組の寝室を案内される。建物内にある部屋は使われることがあるが、ほとんど使われておらず埃が充満していた。
彼らが普段使用している部屋は建物の外れにあり、家畜小屋に藁と古びたシーツを敷き詰めているだけの部屋だった。
表向きの孤児たちの部屋は花組の寝室であった。1人1部屋ずつ与えられ、ヴィヴィアが訪問するために急いで古いベッドを並べて6人用部屋にみえるようにされていた。
花組たちはバツが悪そうな表情でお互いを見合わせていた。
確かに見目の良い容貌の子たちで、貴族や金持ちに引き取られるためにと綺麗に並べられていた。
まるで商品のように。
それが不快である。
ヴィヴィアは表情を出さないにしても、花組草組という歪んだシステムを作った院長に怒りが湧いた。
「奥様」
ヴィクター卿が部屋に顔を出して見てほしいものがあるという。
彼についていくと院長室であった。
机の上に置かれた帳簿に目を通すと一見問題がないように見える。
それは全ての子たちの、衣食住、医療費を分け隔てなく運用していたならの話だ。
明らかに治療をされていなかった子の医療費の記載、亡くなった子の葬儀代には違和感がある。
クローゼットのなかを見ると、豪華なドレスや装飾類が大量に現れた。
騎士たちの威圧に押されて静かに控えていた院長ローザはバツが悪そうに言い訳をした。
「それは男爵様からいただいたものです」
だから問題ないと言った。
「それはこれから調べることだわ」
ヴィヴィアがそういうと、さらに他の騎士が持ってきた書類に頭を抱えた。
まさかとは思いつつもロズモンド男爵の館にも騎士の捜索にあたらせていた。
騎士が持ってきたのは横領の証拠であった。
「それと……」
さらに見つかった情報を聞きヴィヴィアは険しい表情を浮かべた。
「これはゴーヴァン公爵家への侮辱です」
ロズモンド男爵はクリス・ゴーヴァン公爵に信任されこの領地を治めている。
ロズモンド孤児院院長も同様である。彼女の場合はロズモンド男爵に任命されたものだが。
「私の手には負えないわ」
ヴィヴィアは頭を抱えた。
ここまで来るとクリスに直接判断を下してもらわなければならない。
「王都にいる公爵閣下に報告書を書きます」
クリスの判断が来るまでは院長も男爵も謹慎させた。
孤児たちの世話に人手がいるためスタッフは監視つきでそのままにしているが、孤児たちの表情をみるとスタッフは一新した方がよい。
「奥様っ!!」
ケイトがヴィヴィアのいる院長室へ飛び込んできた。
かなり慌てた様子だ。
こんな彼女を見たのははじめてのように思う。
「旦那様が、こちらへ到着しました」
ケイトが言う旦那様は一人しかいない。
何を言っているのだ。
クリスにはまだ報告書を送ってもいない。
王都で仕事中の彼がここに来るはずもない。
窓をみるとずいぶんと立派な馬車が停まっている。そこから降りる殿方をみて、ヴィヴィアは頬を引き攣らせた。
あれは間違いなくクリス・ゴーヴァンである。
看病でくたくたになった姿でお迎えする訳にもいかず、だが着替える時間もない。
ヴィヴィアは急ぎ門の方へと走った。
「公爵閣下に挨拶を申し上げます」
息切れしながらもヴィヴィアはクリスを迎えた。
クリスはじっとヴィヴィアの方を見つめた。
目元が赤く腫れているのを見て眉を顰めた。
「後は私が引き継ぐのであなたは休んでください」
普段と変わらない感情が読めない声音である。
これは怒っているな。
ゴーヴァン公爵家の威厳を損ねているとか。
まぁ、どうせ捨てられる運命だし今更である。
休めと言われたことだし好きにさせてもらう。
ヴィヴィアはそそくさとノエルの寝ている部屋へと入った。
「奥様!」
部屋の中から出る明るい声。
妹の面倒をみていたシエルである。
「ノエルの様子はどう?」
「おしっこが出ています」
ヴィヴィアに言われたことを覚えており、報告してくる。
尿が出始めているなら、血管内の水分が少しずつ満たされている。
点滴ができれば良いのだが、このような辺境な土地には近代的な器具がない。都市部にはあるのだが。
ひたすら口から水分を補給していくしかない。
彼女が水分を飲んでくれてよかった。
ヴィヴィアが用意した水は経口補水液である。
水に砂糖、塩を混ぜて作る。お湯の方がすぐに溶けやすいので厨房でつくらせてもらった。
「果物をすりつぶしたものを出してみましょう」
少しずつ食べられるものを増やしていきたい。
ノエルは瞼を少し開けてヴィヴィアのほうを見つめた。不安そうに。
ヴィヴィアは微笑みながらノエルの頭を撫でた。
「大丈夫よ。よくなるから」
そういうとノエルはヴィヴィアの手に触れた。はじめて会った時よりハリは出てきたが、元々が痩せている手だ。
ヴィヴィアは愛しくて彼女の手を両手で包み込んだ。
その時に脳裏に浮かんだのはまだ幼い子供。
ようやく言葉を覚え始めた幼児だ。




