8 クリスの秘密
ケイトがお茶の準備をおえて、クリスが口を開く。
「飲んでください。妊娠中でも飲めるお茶です」
クリスの言葉にヴィヴィアは青ざめた。
私が妊娠しているのに気づいた?
ケイトも医者も黙ってくれると言ったはずなのに。
「誰かが教えた訳ではありません。ただ、前の人生でこの頃にあなたが妊娠していたので」
彼から思いもしない単語が出た。
「前の人生?」
「私は未来から戻ってきました。あなたを失い、あなたとの子を死なせた未来から」
クリスの言葉はすぐに理解できなかった。
私の話の方が突拍子ないものと思われたけど。
何度か彼の話を頭の中で繰り返し、ようやく頭の中に入ってきた。
「つまりクリスは、未来から戻ってきたのですか」
クリスが戻る前の世界は、ヴィヴィアが読んだ小説通りに進んだ世界だった。
ヴィヴィアが処刑され、ヴィヴィアの子・ノエルが死に、リチャード皇太子夫妻を倒してベザリーとクリスが幸せに暮らしたという完結後の世界である。
「あの時の私をヴィヴィアが思い出すことを恐れていました。やはりヴィヴィアは思い出していました」
前のヴィヴィアとは違う動きをしていて、ロズモンド孤児院に行くと聞いてからもしかしたらと思っていた。
ノエルという名前の少女をとても心配していたのも、記憶が戻っていたのかもしれない。
だが、聞くのが怖かった。
ヴィヴィアを捨てた冷酷な夫という現実から目を背けたかった。
それを払拭するかのようにヴィヴィアのやはらたいことには協力を惜しまなかった。
同時に愚かにも前の世界ではできなかったことをしたいという欲も出た。
ヴィヴィアを捨てた自分にはその資格がないのに。
「あなたがここにいてはいけないという訳ではありません。私こそ、あなたのそばにいてはならないものでした」
クリスは改まって頭を下げた。
そうか。
ヴィヴィアは納得した。
あの小説は現実に起きたことなんだ。
クリスは未来の記憶を持ち回帰して後悔していた。だから小説通りにベザリーに出会わず、ヴィヴィア優先に動いていたのか。合点がいった。
「すみません。謝罪しても許される訳ではありません。あなただけでなく、あなたの大事な子すらも捨てた私は最低な男だ」
本来のヴィヴィアの身分から会話することも厳しい雲の上の存在、高位貴族の彼が頭を下げるのはかなりのことだ。
ヴィヴィアは無意識に首を横に振った。
「いえ、思い出したのではなく知っていたのです。私はヴィヴィアに生まれ変わった別人で、あなたが処刑にまで追い込んだヴィヴィアは別人です」
そういうとクリスは悲しげにヴィヴィアを見つめた。
あ、気づいたのかな。
自分が謝るべきヴィヴィアがここにはいないということに。
クリスが気の毒に思えるが、それより気の毒なのは前の世界のヴィヴィアである。
どうして自分がヴィヴィアに転生してしまったのか。
ヴィヴィアが回帰を拒み、丁度命を落とした私がヴィヴィアとして生まれ変わったのか。
「それで小説の中ではクリスはベザリー嬢を愛してましたが、実際は」
「そんなことはありません」
クリスは否定した。
「どうして私があの女を愛さないといけないのか……いえ、信用できないのは承知の上で言いますが私が愛していたのはヴィヴィアです」
「では、どうしてヴィヴィアはあんな結末を迎えたのです?」
クリスは苦々しく俯いた。
「私はベザリーに会ってから、思考が思うようにできなくなっていました。ベザリーを慈しまなければならないと強く感じ、彼女の為に動かなければならないと。自分の体が、頭が乗っ取られたようでした」
信じられない話である。
どう反応していいか悩むヴィヴィアにクリスはケイトに袋を持ってこさせた。
中身が開かれて、2枚残されているクッキーであった。
触るように言われてヴィヴィアはそれに手をとる。
バチッ
強い不快感を感じて咄嗟に手放した。
触れた手が震える。
顔色が変わり、クリスが慌てて立ち上がるがケイトがそれを制して彼女がヴィヴィアの肩を撫でて落ち着かせた。
「すみません。まさか、そこまで過敏に反応してしまうとは思いませんでした」
「いえ、これは?」
ヴィヴィアは息を整えて、袋の中のクッキーについて尋ねた。
「以前、ベザリー・モカからもらったクッキーです」
星河祭の屋台を見物している時に偶然出会った時のことを思い出した。
小説のワンシーンだと思って辛くなり退場してしまっていたが、小説のベザリーがいつもしていそうな包装だ。
「わかりましたか? これが普通のクッキーではないことを」
ヴィヴィアはこくりと頷いた。
このクッキーには毒が入っている。
ヴィヴィアが毒と認識したものはアルカロイド。麻薬成分だ。
以前、厨房のメイドを罰した時に触れたものと同じ成分である。
ヴィヴィアの前世では、医療品として利用されている。
量を気をつければ鎮痛剤として利用されるが、多量摂取したら命に関わる。
多幸感を促し身体精神の依存性が強く、薬物乱用の問題があった。
奇形を引き起こすこともあり、妊娠中のヴィヴィアは触れただけで強い拒絶感を示した。
この世界でも医療品として使用研究はあるものの扱いは難しく、薬物乱用で問題となっている為に禁止薬とされている。
使用する時は国家資格と複雑な手続きを要する。
「どうしてこんなものが、それに薬剤以外に何か嫌なものが含まれているような」
ヴィヴィアの疑問にクリスが答えた。
「呪いをかけてあります。薬物とうまく混ざり合うように、一介の魔術師でもすぐに気づかないようにコーティングされていていました」
薬物により思考を麻痺させて、呪いにより物事の好悪を操作していく。
「まさかクリスはこれを食べたのですか?」
話を聞きながらヴィヴィアは不安になり立ち上がった。体が無意識に動き、クリスの隣まできて手を伸ばした。
彼の手を触れた瞬間に先程のクッキーの中に含まれる毒を認識することはなくひとまず安堵した。
ヴィヴィアの手をクリスは握り返す。
その表情は柔らかく慈愛に満ちている。
「あの時もあなたは必死に私の手を握り助けようとしてくれました」
何の話をしているのだろう。
「あなたは忘れてしまったのでしょうが、私は忘れません。ずっと私の心の支えでした」
クリスは懐から取り出したのは赤いリボンだった。白かったレースがついた、全体的にくすんだ色になってしまったりぼん。
「これは」
見ていて涙が浮かんだ。
ヴィヴィアが家族から与えられた数少ないものだ。
シシリアがリボンを欲しがり、とられてしまったものに似ている。
「これは私に贈ってくれました。早くよくなるようにと」
クリスはヴィヴィアの髪に触れた。
確か、と思い出しながら軽く編み込みをいれてリボンで結った。
「こんな感じでしたね」
耳より下に結ばれたカントリースタイル。
毒魔術の鑑定を受ける前は、メイドにしてもらった髪型だった。
幼い頃、外に出かける日は朝早くに起こされて、メイドに髪を染めてもらってから髪をセットしてもらう。
金色の髪にみえるように。
生え際が赤だと気づかれないようにレースのついた頭巾をつけられていた。
母に絶対赤い髪だとバレないようにしなさいと強く言われて、お茶会と狩猟祭に連れられた。




