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捨てられた悪役はきっと幸せになる  作者: ariya
第二部

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33/59

3 忌まわしい記憶

 思わず逃げてしまった。


 似たようなことがついこの前もあったような気がする。


 星河祭パーティーのことだったな。


 あの時はベザリーと踊っていると思ったのだが、クリスはそんなことせずにヴィヴィアの方へと戻ってきた。


 今回はどうだろうか。


 まるで試しているような気持ちになってヴィヴィアは自分の浅ましさを鼻で笑った。


 同時に怖かった。

 ベザリーと会話してクリスが過去の思い出の中自分を救った少女がベザリーだったと気づくかもしはれない。その場面を目の当たりにしてヴィヴィアはどうなるか。

 過去はどうあれば今の彼の妻は自分なのにという想いが強く根付いていく。


 ああ、いやだ。


 祭りの喧騒の中ヴィヴィアは静かになれる場所を求めて歩き続けた。


 ようやく人が少ない路地裏まできて壁に背中を預けて一息ついた。


 しばらく何も考えたくない。


 そうしているうちに日が傾いていくのに気づき、ヴィヴィアは路地裏から出ようとした。目の前に現れた影にヴィヴィアは顔をあげた。


「久しぶりだな。無能な妹」


 冷たく見下ろす男をみてヴィヴィアは息が詰まるのを覚えた。


 どうして彼がこんなところに。


 ルーク・ルフェル子爵令息。


 ヴィヴィアの兄だ。

 ルフェル子爵家の跡取りとして領地の方にいると思っていたが。


「お久しぶりです」

「ああ、何て寂しい言い方だ。久々に会う兄への言葉なのだからもう少し嬉しそうにしたらどうだ」


 ヴィヴィアの言葉にケチをつけて、忌々し気にヴィヴィアを睨みつける。


 彼の息からかなりの酒の匂いがした。

 最悪だ。

 こういうときのルークは傍若無人さに拍車がかかって厄介なのだ。


「公爵夫人になって偉くなったつもりか。無能者の癖に」


 無能者という言葉はヴィヴィアに重くのしかかってくる。


 呪いのような呼び名はヴィヴィアの表情を曇らせていく。


「このようなところで会うとは思いもよりませんでしたので」

「ああ、そうだな。まさかお前が男と出歩いて遊んでいるとは思わなかったよ。ゴーヴァン公爵はこのことを知っているのかな?」


 まさか気づいていない?

 ヴィヴィアが先ほどまで一緒にいた男がクリス・ゴーヴァンとは気づいていないようだ。


 社交界で顔を合わせたことはなかったっけ。


 記憶を手繰り寄せて、そういえばルークが王都の社交界を出入りしていた時期はクリスは戦場を転々としていた。

 クリスがルフェル子爵家を訪れた時はルークは領地にいたしそれで顔を合わせる機会がなかったか。


「いくら夫が相手をしてくれないからと不貞を働くとは性根が腐っているな。まぁ、いいわ。ばらされたくないならちょっとは俺に金の融通をきかせろ」

「……私が婚姻する際にルフェル子爵家に16万ベリ支払われたと聞いています。鉱山も」


 父が事業に失敗しても立て直せる。それ以上のものを既にクリスから与えられているはずだ。

 いくらかはシシリアとルークの今後の活動資金に回されていると思っていたが。


「お兄様はルフェル家の跡取りです。カジノ通いは程々にして領地経営に専念してください」


 クリスとの婚約以前にヴィヴィアはルークのカジノ通いに頭を悩ませていた時期があった。

 注意しても生意気だと罵倒されて、暗い部屋に閉じ込められて仕事をさせられたことがあった。

 食事も与えられず、ろうそくの火を頼りに仕事をさせられて思うようにいかなければ頭を殴られ「無能者」と罵倒される。

 何度もそうしているうちに自分が余計なことを言ったのが悪いと認知が歪んでいった。


「ふざけるなよっ」


 ルークは苛立って怒鳴りつけた。

 その瞬間、ヴィヴィアは反射的に震えた。


 その様子をみてルークは笑った。

 ヴィヴィアはまだちゃんと自分の支配の中にいる。


「お前のせいで俺の仕事は一気に増えたし、ストレスでどうにかなりそうなのにカジノへ通うな? 何でそんなに偉そうなんだ」


 いつもヴィヴィアが家政の手伝いをしても「仕事ができていない。余計な手間が増えた」と文句を言われる始末で、むしろヴィヴィアがいない方が楽になったのではないか。


「わかったら公爵家の金を持ってくるんだよ。わかったか、のろま」


 ルークの高慢な声に呼応するように動悸が激しくなる。ヴィヴィアは息をするのを忘れそうになり、震えた。


 先日のシシリアとの一件では堂々とできたのに。

 どうして今このように以前のままの自分なのだろうか。


「ちゃんと俺の言うことを聞いてくれよ。そうすれば……」


 ルークはヴィヴィアの耳元に囁いた。


「俺だけはお前を愛してやる」


 吐き気がした。


 心の奥底に仕舞い込み、開かないように、思い出さないようにしていた記憶が呼び起こされた。


 一度だけルークはヴィヴィアを性的に手を出した。

 この時は賭けに負けたことと、唾かけていた女を奪われたことの腹いせに。

 抵抗すれば殴られ、両親にルークが何と言ってヴィヴィアを陥れるかわからずヴィヴィアは受け入れることしかできなかった。


 そこからルークは罵倒する中にヴィヴィアを性的に見る時があった。

 あまりにおぞましくて、避けるようにヴィヴィアはルークの言う通りに動くようになった。


 この男はこうやってヴィヴィアを支配していった。


 どうしてクリスがベザリーと出会うイベントの後にこのような目に遭うのだろう。

 神様からの言葉だろうか。


 思いあがるな。

 お前は主人公に愛されるような女じゃない。


 それを知らしめるように言われる言葉。


 脳裏に浮かぶ光景。


 それは記憶にないはずなのに鮮明に浮かんでくる。

 モーガンにまでやってくるルークに脅されてお金を渡して、ルークの手から何度も逃げ惑う。

 何度もお金を要求されてクリスから与えられた活動資金が底をつき、ゴーヴァン家の帳簿を少しいじって捻出したお金をルークに渡していく。


 これは未来の自分だろうか。

 もしかして、ヴィヴィアがゴーヴァン家の資金を横領した罪というのはこれなのだろうか。

 自分の惨めな末路への道筋がみえていく気がした。


「ぎゃぁっ!」


 ルークの叫び声にヴィヴィアは顔をあげた。

 そこにヴィクター卿がルークの腕を掴み、ひねりあげていた。

 冷たくルークを見下ろしていた瞳孔が開いていてかなり怖い。


「それ以上、奥様を侮辱するようであれば容赦しない」

「はは、何だよ。さっきの男以外に騎士もたらしこんでいたのかよ。その髪の色の通り毒のような女だな……あでで」

「聞くに堪えない。閣下が来る前に折るか」


 折るという言葉にヴィヴィアは顔を青くした。


 さすがにここでルークに怪我を負わせたらいくらヴィクター卿でも後々面倒なことになる。


「やめて、私は大丈夫だから」

「そうは見えませんでした」


 どこから見られていたのだろうか。

 ヴィヴィアはひやりと冷や汗が流れる。

 もしこれでクリスに知られたら。

 恐怖で震えた。


「まぁ、奥様がお許しになったとしても今の彼の言動はどうみても契約違反です。そうですよね、閣下」


 ヴィクター卿の言葉に路地裏の入口に立っている男をみてヴィヴィアは血の気が引くのを覚えた。

 日が傾き、暗くなっていく中じっとこちらを見つめるクリスの顔が冷たくて恐ろしかった。

 思わず下の方を向いてしまう。


「残念です。義兄上……」


 クリスの言葉にルークははっとした。まさか、ヴィヴィアが先ほどまで一緒にいた男はクリス・ゴーヴァンだったのか。わかりやすい反応だ。


「や、やぁ。まさかこんなところで妹に出会うとは思わずついつい声をかけてしまったんだ」

「そうですか。ヴィクター卿、義兄上は妻に何と声をかけた」

「公爵家の金を持ってくるんだよ。わかったか、のろま――と言っていました」


 声真似してそのまま先ほどの言葉を伝える。

 その度にクリスの視線がますます厳しいものになった。


「横領教唆、侮辱……さすがに黙っていられません」


 連れていけとクリスが言うとヴィクター卿はルークを抱えて移動していった。

 ルークが何かしら叫んでいるが、どすんと重い音がした。ぱらぱらと壁が崩れる音がする。

 ルークを殴ったようではないが、ヴィクター卿が壁を殴りつけてその衝動で壁が壊れてしまったようだ。

 その衝撃にルークは青ざめて黙ってしまった。


 二つの足音が遠くなっていく。


 それでもヴィヴィアは恐ろしくて顔を上げることができなかった。


 ここでヴィヴィアが黙っていたとしても、ルークは言うだろう。

 ヴィヴィアの過去に何があったか。

 それはクリスの妻としてふさわしくない過去である。


 やはり私は、立ち去らなければならない。


「申し訳ありません」


 視線を下にしながらヴィヴィアはまだ残っているだろうクリスに謝罪した。


「私はあなたに隠していたことがあります。いくら契約結婚でも、私自身契約に相応しくない欠陥があったことを……」


 声が震える。

 言うのが恐ろしい。


 でも言うしかない。

 これでクリスが自分を捨てたとしてもそれは仕方ない。


「私は……兄と、汚らわしい過ちを犯しています。私は彼と……っ」

「ヴィヴィア、言う必要はありません」


 クリスはヴィヴィアの方に手を差し出した。


「いいえ、言わないと……私は結婚する前から既に体が穢れていて」


 最後まで言う前にクリスはヴィヴィアの背中に手を回して抱き寄せた。

 彼の胸元に顔が埋まり、耳元で鼓音が聞こえる。早い音で、彼自身も冷静ではないというのがわかる。


「言わなくていいです」


 彼の言葉にヴィヴィアは涙をこぼした。


「一度だけです……一度だけで、結婚してからは決してあなた以外とはそのような関係を結んでいません」


 言い訳がましい言葉。


 あさましい。

 一度だけでも体が穢れているのは変わらないだろうに。


「すみません。私がはじめての相手ではないことも知っています。それをわかった上で私はあなたを妻に迎え入れました」


 初夜の日に、クリスはヴィヴィアの体に触れた。

 その時にヴィヴィアの体の純潔がすでに失われていることに気づいていた。

 はじめての夜にヴィヴィアがあまりに怯えていた。彼女の怯えは結婚した夜の営みを迎えるものと考えても異常だった。

 性的な暴行を加えられた女性の反応だと後から知り強い憤りを覚えた。

 だが、ヴィヴィアにその憤りを気づかれないようにして、少しずつでもいいから自分に慣れて欲しくて夜はひたすら懸命に彼女の体に優しく触れた。

 胸の奥に、ヴィヴィアを傷つけた男への憎しみを押さえつけながら。


「私で、良いのですか?」

「あなたじゃなければなりません。言ったでしょう。強引にあなたを妻に望んだと」

「どうして……何で」


 ヴィヴィアは涙が止まらなかった。

 どうして彼はこんなにヴィヴィアを受け入れてくれるのだ。


「あなたは覚えていないのですね……、私のことを」


 クリスは悲し気に微笑んだ。


「それでもいい。それ以上に私はあなたに酷いことをしたのだから……どうか、どうか、私の側にいてください。今のように私の前から消えたりなんてしないでください。あなたがいなくなったら私は……」


 クリスは願うようにヴィヴィアに呟いた。

 あまりに辛そうな言葉である。


「帰りましょう、一緒に」


 クリスの言葉にヴィヴィアは頷いた。


 まるでクリスが迷子の子供のように危うく見えてしまった。

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