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2. 2019年3月2日(土)①

「もう店内にいるとは思いませんでした」言葉は丸多の口から滑るように出てきた。

 呼んだのは丸多の方であるため、当初は、会話を途切れさせないようにしなければならない、という一種の涙ぐましい使命感を持っていた。しかし、北原の現れ方に意外性があったため、会合の冒頭からそのような心配をする必要はなくなったのである。


「ええ、実は」北原は遠慮がちに答えた。「さっき、用事ができて遅れる、っていうダイレクトメッセージを送りましたけど、そのとき僕はもうそこのトイレにいたんです。このお店に入った途端、急にお腹が痛くなってしまって。それでそこのトイレに駆け込んだんですけど、用を足しているっていうことまで告げるのが恥ずかしくて」

「そうだったんですか」


 北原の印象は有楽町で会ったときと変わらなかった。一重まぶたにやや肉厚の顔には、市井(しせい)のごく一般的な青年との際立った差が一切見られない。そして、それがかえって相対する相手に、ひと息つくときのような安心感を与える。


 丸多は財布から余っている名刺を一枚抜き、北原に差し出した。

「改めて、私は会社員をしています。IT系の小さな会社で、自慢できるものではありませんが」

 すると、北原は「僕は名刺を持っていないんで」と言い、学生証を見せてきた。それには都内の専門学校の名が記載されていた。丸多はそれを受け取ると、抜け目なく生年月日まで確認する。

 1992年生まれ、自分より二つ下の26才。


 これらの北原に関する情報は、丸多が事前にネットで調べた結果と合致していた。通り一遍の自己紹介はこのくらいにして、そろそろ本題に入ろうとすると、北原の方からおずおずと切り出した。


「あの、丸多さん。料金は発生しますか?」

 それを聞いて丸多は思わず噴き出した。

「いや、私は探偵じゃないですから」背骨を抜かれたようにきょとんとする北原に構わず、続ける。「シルバさんの事件を今さら北原さんに説明する必要はないと思いますけど、私はあくまで個人的にあの事件に関わろうとしているんです。おこがましい言い方かも知れませんが、あの事件、完全不可能犯罪のように見えて、何か糸のほつれのようなものがあるように思えるんです。うまくは言えませんけどね。もし解けるんであれば、野次馬根性など出来るだけ排除しつつ、誠心誠意事件に向き合ってみたい、とそう思いまして。私はシルバさんとも一回会ったことがあるわけですし。なので、北原さんの協力が不可欠なんです。そういう意味では私の方がお金を払いたいくらいです」


「僕も」聞き終えた北原が、若干前のめりになって言った。「僕も実は困っているんです。僕とシルバは友人同士でした。それが突然ああいう形でいなくなってしまって、悲しみや戸惑いみたいなものからは、時間が経ったんで抜け出ることができたんですが、事件のことを根掘り葉掘り引き出そうとしてくる人は未だにいます。もちろん丸多さんのようではなくて、明らかに興味本位でこっちに近寄ってこようとする連中のことです。ですから、犯人が逮捕されて事件に一区切りつくときを、僕も待ちわびているんです」


 丸多は時折頷きながら、北原の訴えに耳を傾けていた。それから床に置いていた鞄に手を伸ばし、何枚かの紙片を取り出した。

「北原さんに見てほしいものが、いくつかあるんですが」


「ちょっと待ってください」北原は丸多を制止し、立ち上がった。「僕も何か注文してきます」

 丸多は北原の言葉を聞くと、客人を()き立てている自分に気づき、気恥ずかしく思った。

「そうですよね、北原さんはまだ来たばかりですもんね」


 丸多はせめてコーヒー代でも出そうと声をかけかけた。しかしその意向は、すでにレジへ向かって歩き出す北原の横を(むな)しく通り過ぎていった。

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