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10. 2019年8月

    ◆


「これより新婦、まどか様のお色直しへと移ります。列席の皆様、披露宴の準備が整うまで、しばしご歓談をお楽しみくださいませ」

 司会男性による透き通るアナウンスが響くと、列席者は次々と立ち上がった。丸多と北原も彼らのあとに続き、バージンロードを踏まぬよう、後ろの扉から外へ歩み出た。


 かつて象の化石も出土したと言われる湖のほとり。中央の小さな島では、ライフジャケットを着た外国人観光客がこちらを気にせず、日光浴を堪能している。

「しかし、こんな厳かな会場がよく見つかりましたよね」丸多は、長テーブルに置かれたジンジャーエールを一本手に取った。

 たった今指輪交換が行われたチャペル上部では、細い十字架により太陽の正しい位置を示すように、尖塔が屹立している。その真下の長年踏まれ続けたであろう石段は、それに見合う堅牢性をもってそこに据えられている。

「ちょいすによりますと」北原も無料で振る舞われたコーラを口に含む。「ここの土地のオーナーが気前のいい人で、自由に会場として使っていい、と言ってくれたんだそうです。築百年以上で、もう買い手も見つからないらしいですけどね」


 どこからか持ち込まれた巨大スピーカーから『G線上のアリア』が、周囲の小鳥を飛び立たせないほどの音量で流れ始めた。マイクを握った司会が再び、それに合わせて穏やかに言葉を乗せる。

「この式はオーナー様のご厚意により実現いたしました。列席者皆様をはじめ、新郎、木崎淳之介様、新婦、まどか様、お二人の笑いの絶えぬ生活とご多幸を心よりお祈り申し上げます、とのメッセージもいただいております。ここにお集まりの皆様の中にご存じない方はおられないと存じますが、新婦、まどか様におかれましては、有名ライバーとしての非常に精力的な活動により、これまで日本全国から多大な支持を獲得し......」


 遠くの水面で小ぶりな遊覧船が、ちょうど気の利いた掛け声のようにして汽笛を鳴らした。この日のためにおろしたらしいドレスを着た若い女性たちはやはり、普段にはない特別な感情をもって互いの会話を弾ませている。


 歓声が上がった。

 いよいよ扉口から、新郎新婦が登場した。白いタキシードの男性の肘に手を回す〈ちょいす〉は、鳴りやまぬ拍手と祝福を浴び、顔全体にこらえきれないほどの笑みを浮かべた。

 新婦のもう一方の手には、幸せを人に分けるためのあの花束が収まっている。〈ちょいす〉が観衆に背を向けると、女性を中心に多くの人々が二人の周りに集まった。

「あなたが取りなよ」「あなたこそ、そろそろ結婚しなよ」といった冗談めいたやりとりも、笑い声の中から自然と生まれた。


 しかし、〈ちょいす〉が投げたのはブーケではなかった。

 花嫁は「お生憎(あいにく)さま」と冷たく言い放つと、交換したばかりの指輪を新郎の頭上へ放り上げた。それから再び向き直ると、ウェディングドレスの裾をわずかにたくし上げながら、石段を早足で駆け下りた。


 走り寄る花嫁の先で、グレースーツの男が真っすぐに片手を突き出している。〈ちょいす〉はその男の手を取ると、振り向きざま、叫んだ。「ジュン、あんたみたいな軽い男に惚れる女が、世界に一人でもいればいいわね」

 〈ちょいす〉はスーツの男に手を引かれたまま、走り続けた。呆気にとられる参加者になど構わず、自身がより望む別の幸福へと突き進んでいった。


 瞬間。〈ちょいす〉は消えた。神隠し。そう思った者も中にはいたかもしれない。男と並走していた花嫁が突然、その場にいた全員の視界からいなくなった。

 丸多らのいた地点からは、はっきりと見えた。橋井まどかは、枯草で隠された発泡スチロールを踏み抜き、そこに隠された穴へと顔面から突っ込んだのであった。


 それまでとはおよそ質の違う笑いが、そこかしこで起こった。新郎役の〈キャプテン〉こと木崎淳之介はすでに、穴の手前で『大成功』と書かれたホワイトボードを手に立っている。

「ちょいすさん、ちょいすさん!」〈キャプテン〉の他、間男役の〈モジャ〉こと岡本春仁、司会の〈ナンバー4〉こと鈴浦豊、そして列席者に紛れていた〈ニック〉こと末木洋一も走り寄ってきた。


「ていうか、穴こんなにでかかったっけ?」〈モジャ〉が心臓に手を当てながら言う。「危ねえ、もうちょっと右に寄ってたら、俺まで落ちるところだった」

 〈東京スプレッド〉四人が、すでに構えられているスマートフォンに顔を向ける。このときの撮影者はもちろん北原である。

「ちょいすさんは特別な訓練を受けています」〈キャプテン〉がかしこまりながら言った。「良い視聴者はくれぐれも真似をしないでください」

 それを聞いて、〈ちょいす〉が穴の底から声を張り上げた「特別な訓練なんて受けてません!」

 四人は花嫁役の声に振り返る。

「ちょいすさん、オーナーからさらにメッセージが届いています」今度は〈ナンバー4〉が言った。「被ドッキリ者が怪我をしないよう、穴の底には厚手のマットとスポンジを敷くこと。そして、側面の土砂が流入しないよう、露出した土をスコップでしっかりと固めること、だそうです」

「うるさい、バカ!」〈ちょいす〉は言いながら、顔の泥をドレスのベールで拭った。




「丸多さんの飲んでるジンジャーエールで思い出したんですけど」

 丸多がロマネスク風ベンチに腰かけていると、近づいてきた〈ナンバー4〉が隣に座った。エキストラの若い女性たちはもう、〈東京スプレッド〉が手配したバスで帰路についたらしい。

「あのとき、年がバレないかびくびくしてましたよ」

「あのとき、って」丸多が訊いた。

「丸多さんとユウヤと僕の三人で、上野の居酒屋に行ったときです。僕、未成年なんですよ」

 それを聞いた丸多は、そういえば、そうかと、彼らと最後にした会話を思い出した。

「僕、まだ19なんです。だからあのとき、丸多さんたちがいなかったら、店に入れなかったかもしれません」

 その後、あの〈モンブラン〉こと奈留瀬友武も〈ナンバー4〉と同い年だったことを告げられた。〈モンブラン〉の本名は、三月末の訪問以降、報道により丸多の耳にも入っていた。


 聖なる矢印が、頂点を通り過ぎた太陽の位置を、変わることのない気品により示している。

 全員の素性が明らかになった今、もうここに胡乱の者たちはいない。


 見るとまだ〈キャプテン〉と〈ニック〉は、〈モジャ〉を用済みの穴に落とすなどして遊んでいる。撮影は引き続き、北原が担当している。

 経過した時間が彼らに、明るさを取り戻させた、ように見えるかもしれない。ただ、と丸多は思った。

 短期間でも苦楽を共にした仲間の死を、彼らは振り切るべきなのか。それとも、永久に寄り添わねばならないのか、現時点ではわからない。メンバーの死に直面しても、その後成功を収めたグループの例は世界にいくつかある。いずれにせよ、彼らは活動を辞める日まで、演者の仮面をかぶりながら審判を受け続けるのだろう。


「ナンバー4くん」やってきたのは、まだ着替えを済ませていない〈ちょいす〉だった。「キャプテンが呼んでるよ」

 そう言われて、〈ナンバー4〉はゆっくり背筋を伸ばした後、四人に加わるため立ち上がった。

「膝、痛い」〈ナンバー4〉のいた箇所に座った〈ちょいす〉は、口から出るに任せて言った。「ホント、有り得ない。こんな企画参加しなければよかった」

 〈ちょいす〉の言葉は本心から出たのではないようだったが、それでもその肉体的痛みの訴えに疑う余地はなかった。

「オーナーも誰だか知らないけど、こんな企画断れよ、って丸多さんも思わない?」

「思うよ」丸多は一応同意しておいた。


 せわしなく放たれる女の不満を受け止めながら、丸多はその姿態を横目で見た。泥と草にまみれたウェディングドレスを着た女を眺めるのは、間違いなく彼にとって人生で初めての体験であった。

「さっき、ナンバー4くんに」〈ちょいす〉は目を合わせてきた。「キャプテンが呼んでる、って言ったけど、あれは嘘」

 少し間が空き、二人の間を吐息のようなゆるい風が通り過ぎた。このとき、女がそれを嫌ったのか、それも定かではない。

「丸多さん、私こんな格好だけど、もっと近寄っていい?」


                 (了)


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