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1. 2019年3月2日(土)⑥

 これ以上時間潰しのイメージが湧かないな。


 丸多は半ば途方にくれた思いで、ブラウザの画面を無作為にスクロールし始めた。未だ姿を現さない北原について考えながら、肺に溜まった息を勢いよく吐き出した。


 もはや動画を眺める気をすっかり失くした丸多だったが、次の文言が彼のその停滞した気分に予想外の揚力を与えた。


「【悲報、閲覧注意】ちょいすの頭、イカれる」


 〈ちょいす〉?誰だ。

 この映像データは先ほどの〈美礼〉の場合と同様、直前に再生された〈東京スプレッド〉の動画の関連動画としてアップロードされている。

 サムネイルには、全裸に近い女性の姿が、夜空を背景にして映されている。丸多は迷わずそれをタップした。


 色白の肌が闇夜とのコントラストをなし、まるで発光しているように浮かび上がっている。肌の露出が際立つのは他でもない、その女性が下着以外何も身につけていないからである。


 女性は、どこか街角の公園らしい場所で一人、ブランコをこぎ続けている。カメラもきっと地面に置いてあるだけで、誰か他に撮影者がいる気配も感じられない。女性はおもむろにブランコの速度を緩めると、立ち上がり、おぼつかない足取りでカメラに近づいてきた。


 顔立ちがはっきりしてくると、その細部や特徴を入念に観察できた。黒目の引き立つそれは現代的な均整を従えている。肌の質感からするとかなり若い。

 20才にようやく届くくらいだろうか。未成年かもしれない。


 丸多はそのように冷静かつ分析的に思考を進めていたが、ある時点から、その動画に蔓延(まんえん)する毒々しい負の感情を感じずにはいられなくなった。


「この世から」いまや、女性の顔は画面の枠いっぱいに映っている。「この世から男なんていなくなればいい。みんなもそう思うでしょ。私はどうすればいい?どうすればいいと思う?この苦しみを一生抱えて生きていく気なんてない。この苦痛を誰かにぶつけてやりたい。世の中の人全員、同じ気持ちになったらいい。そしたら全員自殺して、最後私一人、笑いながら死ぬんだ。エベレストくらい高い、死骸の山のてっぺんで。それがいい。私より傷ついたことない人には、私の痛みなんてわからない。のうのうと生きてる人には、想像しようとしたって無理だろうね、きっと。ねえ、私どうすれば」


 動画はここまでで、続きはどのリンクにも見当たらない。


 呪詛(じゅそ)

 動画を観終えた後、丸多の頭には真っ先にこの言葉が浮かんだ。


 この動画の投稿日は2018年6月11日とあるが、それ以外の情報は一切なく、実際にいつ撮影されたものかはわからない。


 これが果たして、今丸多が興味を抱いている事件と間接的にも「関連」しているのか。全く関連がない可能性だって当然ある。


 丸多はこれまで集めた事件に関わる知識を総動員して、今の動画と事件との繋がりを見つけだそうとした。しかし、如何(いかん)せん、幽霊の入門講座のようなこの動画に出演している女性の正体を知らず、その作業はすぐに暗礁(あんしょう)に乗り上げた。


 まるで、はめ込むべきパズルのピースを、否応(いやおう)なしに追加された心地だった。

 丸多は試しに表示されたままの画面から、当の動画をあげたユーザーのチャンネルを開いてみた。すると予想通り、無関係の雑多な動画のサムネイルが出てくるだけで、そのページが、あの下着姿の女性に関する知識を深めることに、全く役立たないことを知った。


 〈ちょいす〉か。

 丸多はこの言葉を検索しようと手を動かしかけたが、自身の膀胱(ぼうこう)から、破裂寸前であることを知らせる信号が届いていることに気づき、仕方なく立ち上がった。

 店内のトイレの前にはまだ、先ほど顔を上げたときに見た女性客がいた。手のひらのスマートフォンを眺めつつ、トイレがなかなか空かないことに、明らかにいら立った様子でいる。


 排尿ができるとしてもこの女性の後か、と丸多は軽い絶望感を味わった。別のトイレを求めて近くのデパートに駆け込むか、または、しとどに濡れたチノパンを新宿の衆目にさらすか、これら別々の未来を思い浮かべていると突然、トイレのドアがバタンと開いた。


 出てきたのは北原遊矢だった。


「あれ、北原さん」丸多は、通り過ぎようとする北原に声をかけた。北原は顔をあげ、驚いたような表情をした。

「あれ、丸多さんですか」「はい、そうです。丸多です。お久しぶりです」


 二人は意外な形での再会に笑顔を分け合った。

「そこの席を取ってます」丸多はそれまで座っていた席を指差した。「北原さん、座っててください。すいません、ちょっとトイレが近くて」


 北原はそれを聞いて再び笑顔を浮かべると、素直に丸多が指定した席へと歩いていった。北原の背中を見ていると、喜びや期待など迎えるべき正の感情が、自分でも信じられないほどみなぎってくるのを感じた。同時にそれは、何もしない休日を過ごすときのあの鉛のような体を、少しでも軽くする原動力ともなった。膀胱から伝わる尿意さえ、幾分和らいだ気がする。


 丸多は、人の出現によりそれほどまで劇的に気分を転換させる自身の単純さを思い、心の中で少し苦笑した。




 1章 年表


 2017年4月  〈美礼〉のオフ会に〈東京スプレッド〉が参加。

 2017年5月  〈美礼〉怪我をする。

 2017年6月  〈美礼〉死去。

 2018年8月  〈シルバ〉の死体が見つかる。

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