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8. 2019年3月30日(土)⑥

 車が走り出したとき、ダッシュボードの時計は午後10時を示していた。


「もう、帰りますか」北原が訊いてきた。

「北原さん」丸多は表情を変えなかった。「私はこれまで、北原さんに無茶なお願いをしてきたつもりはありません。少なくとも自分ではそう思ってます」


 北原が妙な顔つきで運転席の方を向いた。ラジオさえかけられていない車内で、無感情なエンジンの音が際立って聞こえた。北原は何と言って良いかわからない様子で、口を開けたまま丸多の横顔を見つめていた。


「もう夜も更けてきましたから、通常であれば当然東京に戻るべきでしょうね。だけど、私たちがこの先ここに来ることは、きっとありません」


 丸多は手を伸ばして、助手席の収納を開けた。そこから懐中電灯を一本取り出した。北原は黙ってそれを目で追った。


「私有地でない山林であれば立ち入っても構わないでしょう。山にピクニックに行くのと同じです。それに、私たちには『正当な目的』もありますし」

「随分(けわ)しそうなピクニックですね」北原の苦笑いが暗い車内に浮かんだ。


 それ以上深くならない闇夜が、付近一帯までも黒く染め上げている。丸多と北原はそれぞれ、懐中電灯とスマートフォンを手に持ち、車を降りた。耳を澄ませて待つと、遠くのフクロウの鳴き声だけが耳に届いた。


 丸多はまず小道の入り口を明かりで照らした。二人の予想通り、警察による「立入禁止」の看板はまだそこにあった。

「突破するんですか」北原が耳打ちするように尋ねた。

「いいえ」


 丸多は来た道に沿って、数歩歩いた。そこから、山林の奥に懐中電灯の光を向けた。

「北原さん、ここから入りましょう」


 細い木々の踏みつけられる音が辺り一面に響いた。それに驚いた鳥たちが、一斉に枝から飛び立った。顔には、指ほどの胴体を持った虫が何度も当たった。足を運ぶごとにズボンの裾がめくれ、むき出しのすねに無数の硬い葉が触れた。


 しかし、それらに構ってなどいられなかった。ここで引き返すことほど無駄な行為はない。視界は手の届く範囲ほどしかなかった。丸多は特に方角を見失わないように、一歩ずつ確実に進んだ。

 家屋跡へと通じる小道くらいの距離は進んだだろうか。丸多は左に顔と光を向けた。


 あれは。

「丸多さん」北原が呼び、丸多は振り返った。

 北原は藪の中の一点を照らし、そこを指で示していた。

「何かそこに落ちている白い物……皿ですかね」

「皿?」

 丸多は茂みに手を突っ込み、それを拾い上げた。その白い物体は確かに陶器の皿だった。


 それを放り出すと、さらに歩みを進めた。木々が一旦途切れ歩きやすくなったが、またすぐに同様の樹林が出現した。奥を照らしたとき、暗闇の中で白いいくつかの点が反射する光となり浮かび上がった。それらを見た途端、丸多は背後の北原も気にかけず走り出した。そして光を照り返した小さな物体の一つをつまみ上げた。

 二週間前、そこの路上で拾ったあの金属球だ。今度は無数にある。何に使うものだろうか。


「こっちにも何か捨ててあります」また北原が呼びかけた。

 北原が光を当てている箇所には、白く、重量のありそうなものが横たわっている。近寄るうちに、丸多はその正体に気づいた。

 便器だ。なぜこんなところに。


 丸多の頭に直感が働いた。

 もしかしたら。


 丸多は周囲の草むらに注意深く光を向け、そこらを手で探った。しばらく続けると「あった」。指先に触れたのは銀色の指輪であった。


 丸多の脳内で、それまで集めた事実の断片が化学結合のように繋ぎ合わさっていった。それは、過冷却された水が一気に凍る様子にも似ていた。恐ろしいほどの絡り具合であるものの、そこに途切れのない一本の線が出来上がった。始点から終点まで全てをなぞることができる一つの悲劇。これまで見知った人々のどんな些細な行動も、今では意味のある要素として存在感を放ちつつある。

 余るパズルピースは、ない。


 すると、少なくとも、あいつ(・・・)だけは確実に犯行に関与していたはずだ。


「丸多さん、あっちにもまだ何か落ちてます」

 まるで、罠におびき寄せられる雀だな、と丸多は自分たちの姿を滑稽に思った。


 懐中電灯に群がる虫を払いながら奥へ進むと、さらに多くの調度品を発見した。汚れた風呂桶、洗面台、食器類、空のガラス瓶。

 それらを辿るにつれ、丸多の胸にただならぬ予感が湧き上がった。


 それ以上進んではならない。

 冷静な別の自分が、頭の中でそうささやいた。


「何でしょうね。点々と奥に続いているみたいです」

 北原はもはや好奇心だけで、林の中を突き進んでいる。丸多は彼を追いかけた。


「向こうにも大きなものが転がってますね」

「北原さん」

 丸多が呼び止めても、彼はまだ先へ行こうとした。丸多は伸びた草に足を取られながらも、彼を止めようと走った。


 先ほどから、ある予感の原因となっていた、この嫌な匂い。ただの山林が自然に放つ匂いでは決してない。


 北原は立ち止まって、足元を見下ろしていた。

 それ見たことか。油断して進むから、心の準備をする前にこんな光景を目にすることになるのだ。


 (うじ)に食い尽くされた死体の顔など見たくなかったので、丸多は北原の手から携帯を奪った。

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