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1. 2019年3月2日(土)⑤

 タブレット画面の短文投稿アプリのアイコンに、通知件数を表す数字が追加されていることに気づいた。

 丸多は迷いなくそれを指でつつき、新着のダイレクトメッセージを開いた。直感の通り、北原からのメールであった。

「すいません。用事ができてしまいました。もう少し遅れます。申し訳ないです」


 悠長ながらも、まだ来る意思を捨てていない北原の様子を思い浮かべ、丸多はひとまず胸をなでおろした。

 このメールが送信されたのは、今から五分前。しがらみのない間柄であり、その分丸多の側にも誠意はふんだんに用意されている。丸多はメールを読むと、すかさず返信の文面を作成した。

「全然気にしません。ゆっくり来てください。今、白いシャツを着ながら、ドミールカフェの二階でコーヒー飲んでます」


 すると、向こうにも接待者に対して慇懃(いんぎん)に振る舞おうとする物憂い配慮があるのか、一分と経たず返信が来た。

「丸多さん、お待たせして申し訳ありません。できるだけ急ぎます」


 不意に尿意を感じ、腰を上げかけた。しかし、顔も上げると、ちょうど一人の女性客がトイレに向かうところであった。丸多はそれを見て、また固い椅子に座りなおした。


 タブレットに表示されたままの短文投稿サイトには、丸多がフォローしているアカウントの新着メッセージが絶えず届き続ける。

 その中に〈東京スプレッド〉による、「本日の最新動画」のリンクを載せた投稿を見つけた。すでに〈東京スプレッド〉の動向を調査することは、彼の日課の最優先事項となっている。

 丸多は尿意も忘れ、反射的にそのリンクを人差し指の腹で叩いた。


 動画のタイトルは「この世のあらゆる知恵の輪を解く男、現る」。


 無内容であるのは観る前からわかりきっている。奴らの動作、表情から、今現在奴らが何を抱え、何を感じているか読み取ることが重要なのだ。丸多は心の中で自分にそう言い聞かせると、タブレットの画面を凝視し始めた。


「東京スプレッドのキャプテンと」相変わらず髪を赤く染めている〈キャプテン〉に続き、その他の者たちが「モジャと」「モンブランだよ」と立て続けに言い添える。


 ただし、この導入部分の自己紹介はすっかり恒常化しているのだろう、各メンバーが極端にくだけた口調で名乗るため、初見の視聴者にとってはまず聞き取れない。

 丸多は〈東京スプレッド〉の動画を観慣れているため、彼らがいい加減に言い放つこれらの言葉を、一瞬だけ映されるそれぞれの「名」のテロップと照らし合わせながら、聞き分けることができる。


 撮影場所はいつも通り、彼らが拠点としているどこか都内のマンションの一室であろう。乱れたベッドや、飲みかけのペットボトルが置かれた座卓など、生活感に溢れた家具に囲まれ、〈東京スプレッド〉のメンバーのうち三人が、座位で画面の枠に収まっている。


 三人とも肌のきめは細かく、いかにも遊び盛りの若者といった風貌である。

 真ん中に鎮座する、細身で、化粧を落としたピエロのような顔をした男が、このグループにおいて中心的な役割を担う〈キャプテン〉である。醜男(ぶおとこ)ではないが、観る者には「馬鹿々々しいことほど率先して行う三枚目」という印象を与える。


 その右の、故意なのか無意識なのか判然としないが、カメラから視線を外しているのが、二人目の〈モジャ〉。

 目鼻立ちはくっきりしているが、積極的に自身をひけらかすことをしないため、やや冷淡な雰囲気をまといがちである。また、丸多は彼らの動画を観察する中で、このハンドルネームが、彼の個性的なアフロスタイルに由来することを突き止めている。


 三人目の〈モンブラン〉は、アイドルグループから脱退してきたと思わせるような、透明感のある青年である。年少者らしく、切れ長の目から()びるような視線を放っている。

 しかしやはり、その眼窩(がんか)の奥からは、ちょうど〈キャプテン〉が持ち合わせているのと同等の、常識よりも低俗さを賛美する意思が覗いている。


 まず〈キャプテン〉が、両脇の二人に向かって口を開く。

「早速ですが君たち、知恵の輪って知ってますか」

 小指の爪ほどの緊張感もない中、眠そうな目をした〈モジャ〉が答える。

「知ってるよ。あれでしょ、ぐにゅぐにゅ絡まったやつでしょ」

「そう」と〈キャプテン〉。「実はここに一つあります」


 〈キャプテン〉は言い終わらないうち、ズボンのポケットから知恵の輪を出し、手前の床へ放り投げた。〈モンブラン〉がそれを拾い上げると、あからさまに軽んじた様子で言う。


「こんな金属のへなへな(・・・・)した棒で動画を盛り上げよう、って魂胆ですか、キャプテン」

 〈キャプテン〉が言い返す。「それは、お前らの腕次第だ。モンブラン、お前それほどいてみろ」


 言われて〈モンブラン〉が、絡まりあった金属棒を(もてあそ)び始める。それから、意外そうな表情を見せながら「あれ、どうなってんの、これ」と情けない声を漏らす。


「貸してみ」次に〈モジャ〉がひったくるようにして、〈モンブラン〉の手から知恵の輪を取り上げる。そして「あれ、どうなってんの、これ」と、直前に〈モンブラン〉がしたのと全く同じ反応を示した。


「心配するな」〈キャプテン〉が二人を(さえぎ)る。「君たちのおつむ(・・・)が足りないことを俺は知っている。だからそんなことで、君たちに怒ったりはしない」


「お前外せんの、これ」〈モジャ〉が〈キャプテン〉に知恵の輪を渡す。

「ん?」

「いや、聞こえただろ。俺たち東京スプレッドのリーダーであるキャプテンさんは、知恵の輪を解けるんですか、って聞いたの」


 〈キャプテン〉も二人同様、金属製のパズルに挑み、やや沈黙した後、「どうなってんの、これ」と、それまでの流れの中での約束とも言える言葉を発した。


「キャプテン」〈モンブラン〉が尋ねる。「高校のとき、数学の偏差値いくつでした」

「数学の偏差値?23くらい」と〈キャプテン〉。

 それを聞いて、間髪入れず〈モジャ〉が言った。「お前のおつむが一番足りてないだろ」


 ここで一旦カットが変わるが、場所も面子(めんつ)も元のままである。

「そんなことより」〈キャプテン〉が言う。「今、この部屋に『どんな知恵の輪でも解くことができる男』を呼んでるんだ。お前ら、会いたくないか」

「会いたくはない」「会いたくないです」とそれぞれ〈モジャ〉と〈モンブラン〉。


 二人の返答を無視して、〈キャプテン〉が画面右側に目をやる。そして声を張り上げて言った。「先生、お願いします」


「呼んだ?」声がして、大柄な人物が枠内に入ってきた。〈ニック〉というハンドルネームを用いる男である。

 まだ寒い季節であるにもかかわらず上半身裸で、有り余る腹のぜい肉を、まるでそれが自身の最上の(ほま)れであるかのようにさらけ出している。思慮深さとは無縁の、明らかに人を小馬鹿にする意図を持った笑みは、やはり〈キャプテン〉らの浮わついた態度を彷彿(ほうふつ)させる。


「お前たち」〈ニック〉が、芝居がかった口調で言う。「簡単な知恵の輪一つも解けないらしいな。そんなことでは、家の鍵も回せないんじゃないか?いや、もっと具体的に言い直そう。お前たちなら、缶詰めを缶切りで開けるのにも十万年はかかるだろう」


「何なの、こいつ」と無表情の〈モジャ〉。

「ニックさん、解けるんですか?」〈モンブラン〉が訊いた。

「このお方は」〈キャプテン〉が口をはさむ。「この世にある、あらゆる知恵の輪を解くことができる、いわば『知の巨人』だ。お前らみたいな、チリチリの毛の奴とか、色気づいた勘違い野郎が、この方と対面できるだけでも奇跡なんだ。その辺のところをわかってるか?」


「ニック」〈モジャ〉が大男の方に顔を向けた。「お前、高校のとき、数学の偏差値いくつだった?」

「数学?」〈ニック〉が答える。「そもそも、偏差値って何?」

「こいつが一番バカでしょ」〈モジャ〉が言い捨てた。


「そんなことより」〈キャプテン〉は床を手のひらで叩いた。そして言った。「準備はいいですか、先生」「いいだろう」〈ニック〉が言うと、再びカットが変わった。


 やはり場所は先ほどと同じだが、天井から一本のひもがぶら下がっているところが、直前の場面と異なる。さらに、ひもの下端には冒頭から取り沙汰(ざた)されている知恵の輪が結ばれている。


「この知恵の輪に」〈ニック〉が意気揚々と言う。「もう一本ひもをぶら下げる。すると、知恵の輪をはさんで上下にそれぞれ一本ずつひもが結ばれている状態になる。ここまではわかるな」


 〈ニック〉の問いかけに〈キャプテン〉と〈モンブラン〉が「はい」と応じる。

 〈ニック〉以外の三人は、部屋の壁際に並んで正座しているが、その中で〈モジャ〉だけは一連のやり取りに一切の興味を示さず、人差し指で耳の奥を()いている。


「さらに」〈ニック〉がそれまでの調子のまま、喋り続ける。「天井と繋がってない方、つまり今結びつけた、知恵の輪の下にあるひもの先端を、もう一度知恵の輪にくくりつける。すると、天井から、ひも、知恵の輪、ひもで作った輪、がそれぞれ順に連結して、ぶら下がっていることになる。これ以上の説明は必要ないだろう。この輪の中に」


 長広舌をふるう〈ニック〉が、三人の反応も確かめず、さらに続ける。

「俺が入る」〈ニック〉はそう言うと、網のないテニスラケットに体をねじ込むように、たった今自分で作ったその輪を、ぎこちなくくぐり始めた。そして、輪が太い胴体に巻きついたとき、床を蹴り、宙に浮いた。


「ちょ、想像してたより、だいぶ怖い」

 空中で不器用にあがく〈ニック〉の姿は、吊るされたヒキガエル、及び石の下で人知れず(うごめ)く虫の裏、この二つを丸多に連想させた。


「キャプテン」〈ニック〉は泣き声をあげた。「キャプテン、助けて。いや、これガチで。いててて、腹にめっちゃ食い込む。キャプテン、マジで。キャプテンって」


 〈キャプテン〉は達観した高僧のように身じろぎ一つせず、〈ニック〉の動作を見守っている。次の瞬間、〈ニック〉の胴体が上向きの力に見捨てられ、米俵(こめだわら)のようにどさりと床に落ちた。


「知恵の輪は」〈ニック〉がひもの間の知恵の輪を、慌てて拾い上げる。しかし、それは全く変形しておらず、ただ天井に固定されていたフックが外れただけであった。


 真っ黒の画面の中央に「説教」の文字が数秒間表示され、その後、次のカットに移った。

「あのさ」部屋の端に立った〈モジャ〉が話し出す。

 他の三人は並んで正座をしながら、うなだれている。

「今回の動画ではさ、ニックが、知恵の輪を結んだひもにぶら下がって、それで、その重量によって知恵の輪が無理やり変形されて外れる、っていう筋書きになってたじゃん。キャプテンが昨日、台本書いたよね。『ニックは太ってて重いから、きっと知恵の輪は外れるだろ』とか、酔っ払いながら言ってたの、俺覚えてるよ。

 で、何?ニックが天井からひもでぶら下がって、床に落ちただけ?タイトルで『世界中のどんな知恵の輪も外す男』とかなんとかほざいてさ、こいつみたいな体脂肪率50パーセントの奴が空中でじたばたする姿見せただけで、最後『はい、知恵の輪は解けませんでした』って、そんな動画ある?」〈モジャ〉は冷ややかな目つきで、メンバーを見下ろした。

 一同は静まり返っている。


「キャプテン」〈モンブラン〉がリーダーに顔を向ける。「どうですか、この動画は有り?」

 少しの間を置いて、四人全員が画面の方に顔を向けた。

 それぞれの表情を見たとき、丸多は意表を突かれた気持ちになった。正座していた三人に加え、それまで苦言を呈していた〈モジャ〉までが、はちきれそうな笑顔でいる。そして四人全員が、立てた親指を前面に出しながら、声を揃えて叫んだ。

「有り!」

 動画は終わった。


 いつも通り〈東京スプレッド〉らしい動画だな、と丸多は思った。

 彼らのチャンネルの登録者数は現時点で十六万人弱。コメント欄では、「知恵の輪解く気全然ないやんwww[*3]」「人を食ったような動画。もう見ない」「有り!のところ草[*4]」「社会の底辺にいる奴らの悪ふざけ」「最後の四人の笑顔かわいい」「時間を返してほしい」と、ファン、アンチ、それぞれのコメントが入り乱れている。高評価、低評価の票数も、各々(おのおの)半数ずつある。


 動画を観飽きたと感じ始めた丸多は、その場で大きく背筋を伸ばした。丸多にとっては、この動画が面白いかどうかということは全く重要でない。

 

 今回も、事件を解く鍵となる有力な情報は得られなかった。〈東京スプレッド〉が、動画またはその他の方法で事件について言及したことは、少なくとも丸多が確認した限りでは一度もない。〈東京スプレッド〉が動画内で真犯人の名を告げる、ということまで期待しているわけではないが、またしても丸多は肩透かしを食らう格好となった。


 そういえば、と丸多はタブレットに向き直った。〈ナンバー4〉を最近見ていない。〈ナンバー4〉は〈東京スプレッド〉の一員だが、撮影や編集など裏方に回ることが多い。


 もしや脱退したかと思い、短文投稿サイトの〈ナンバー4〉のアカウントを確認する。

 すると、丸多の懸念に反し〈ナンバー4〉は健在で、最新の投稿としてあげられている「夕食はステーキにした。オニオンソースがいい感じ」というありふれたメッセージが目に飛び込んできた。もちろんここにも、事件の核心に近づく真新しい情報など見られない。




[*3]: 笑ったり、面白がったりするときに用いるネットスラング。英語ではlol(laugh out loud)に相当する。


[*4]: 「www」が生えた草に見えることから、「草」もwwwと同じように用いられるようになった。

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