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7. 2019年3月24日(日)⑤

 事件の糸口は、手の届かないほど繭の奥深くにまで潜り込んだ。北原とは食事をせず、その日来た経路をそのまま逆へたどった。時刻が18時を回っていないこともあり、何を食べる気もしなかった。


 丸多は放心したまま、PCの画面を観た。一局だけ明日美の事件を扱っていて、それだけが何とか、丸多の観察力を最低限の活動域まで押し上げた。


 画面ではスーツに赤いネクタイをした男が、「UMORE」といくつも書かれたパネルを背にして、記者の質問に答えていた。

 謝罪会見ではなかった。

 聞いていると、数時間前〈キャプテン〉から聞いた話の通りだった。〈美礼〉はあの日、飲酒運転をして物損事故を起こしたが、事務所は本当にその事実を把握していなかった。明日美主導で隠蔽が行われ、UMOREの担当者は「寝耳に水」であったことを繰り返し強調した。


「本人は当時『階段から落ちた』と申しており、我々は完全にそれを鵜呑(うの)みにしておりました」

「まさか、飲酒運転の事故により亡くなったとは夢にも思いませんでした」

「我々一同、深く困惑しているところであります」云々(うんぬん)


 死者の不祥事を(とが)める者はいるのか、丸多は少しも気にかけなかった。そして、テレビ視聴ソフトを停めた。


 チェックメイト、か。

 丸多はチェスのルールを全く知らない。ただ、そのときの自身の心情を表すのに、それがぴったりに思えた。もはや身動きが取れない。彼の持つ知識も、そして、彼自身の物理的な体もそうであった。


 連中の話のどこかに嘘がある。その確信だけは揺らがない。だが、その嘘がどこに落ちていたか、それはまるで、海に落としてしまった工具でも探る心地だった。


 〈東京スプレッド〉の新着動画はまだ届いていなかった。新たな刺激物(どうせまた、人を(あざむ)く愚行に決まっている)を疲れた心に触れさせなくて良い、と考えると気も少し楽になった。


 まだ夕食を買いに行こうとも思わない、地球に迫る巨大隕石を真っ二つにするよう依頼がくるわけでもない、歴史に残る名女優がコンドームを持って訪ねてくるわけもない。とすれば、ネットに氾濫する動画をあさる以外することはなかった。


 「ロシアW杯全ゴール集」では、屈強な白人選手が伸びのあるシュートをゴール隅に放り込んでいた。「信じられない光景」では、象が鼻でペットボトルの蓋を開けていた。「炎上動画まとめ」では、遊園地に来た男子高校生たちが、着ぐるみのマスコットを担いで、噴水に投げ入れていた。


 こうして世界中から集められた「非日常」を観る日常に、丸多は飽き飽きしていた。だが、その「日常」を体から消し去ることは、誰もが知っているように不可能に近い。マウスを持つ彼の指もまた、「日常」を逸脱しなかったのである。


 シャンパンの瓶を持つ〈シルバ〉が「5、4、3、2,1」と、張りのある声で言う。その横で〈モジャ〉と〈ニック〉が、体を端に寄せながら耳を塞いでいる。その直後、コルクが勢い良く飛び出す予定だったのだろうが、それは彼の指の先で半分に折れた。完全に拍子抜けした三人は、一斉に笑い声をあげた。

「新年早々、何やってんすか」〈モジャ〉がそう言って、白い歯を見せた。


 これは観たことがないな。

 「【追悼】シルバまとめ」とタイトルのついた動画。投稿日は今月。丸多は一旦動画を停止させた。


 画面を眺め、それが〈シルバ〉のチャンネルのものでないことにすぐ気が付いた。これは削除されたか、もしくは、別のサイトに上げられていた動画のまとめだろう。まだ観たことのないものを見つけ、熱が少しだけ体に戻った。


 再び流すと、場面はすぐに切り替わった。今度は〈シルバ〉、〈キャプテン〉、〈モンブラン〉の三人が室内のソファーに座っている。三人とも上に、サッカー代表の青いユニフォームを着ている。場所が〈シルバ〉の部屋であることは、彼の動画を何度も観てきた丸多にはすぐにわかった。


「日本戦、始まっちゃうよ」〈シルバ〉が枠外に声をかける。

 〈ナンバー4〉がリビングに入ってくると、一同は爆笑した。

「4、お前」〈シルバ〉が〈ナンバー4〉の尻を指差した。

 〈ナンバー4〉はTシャツにズボンを身につけていたが、その間からトイレットペーパーがしっぽのように伸びていた。

「紙をケツに挟んだまま、出てくんなよ」〈キャプテン〉は笑いながら、膝を叩いた。

「時間なくて焦っちゃって」

 〈ナンバー4〉が座ろうとすると、〈モンブラン〉が「いや、流して来いよ」と言った。三人は再び笑った。


 楽しそうだな。しんみりして観ていると、一つの考えが浮かんだ。今からでも、シルバを人気者にできるのではないか。昨今では、チャンネル登録者百万人が節目と見られているが、何人だっていい。〈シルバ〉の夢をより多くの人々が支持することは、供養(くよう)の一つと言えるのではあるまいか。


 思い立つと丸多はマウスを操り、すぐに〈シルバ〉のチャンネルに移動した。現在のチャンネル登録数は二十八万人。シルバ死亡時から微減しているが、ほとんど変わっていないと言っていい。丸多は最後に上げられた動画のコメント欄で、次のように書き込んだ。


「唐突ですが、このチャンネルの存在が広く知れ渡るよう、人々に働きかけませんか。よく知られているように、シルバさんは18年8月、何者かの奸計(かんけい)により、こときれました。まだ犯人は捕まっていません。

 時間とともに彼の記憶は、水面の泡のごとく消えていくに違いありません。夢をつかみかけた青年の足跡は、残された人々にとって決して無意味ではないはずです。彼を記憶し続けましょう。地上のあちこちに彼の記憶がきらめくのを見て、彼が驚きの声を上げるとしたら、それもまた意味のあることかもしれません」


 数分後、最初の返信が来た。

「いいアイデアですね」

 その後も画面を見ていると、続々と反響が届いた。

「やろう」

「いいですね。百万人突破するところを見てみたいです」

「シルバさんは生前『スタークリエイターになる』って口癖のように言ってました。賛成です」

「今でも彼はスターになるに値する男だったと信じてる」

「彼を人気者にしよう」

「彼の夢を叶えてあげたいです」

「シルバを忘れて欲しくない」……


 丸多は時間を忘れて、次々と届くコメントを読み続けた。〈美礼〉の事件の真相が明らかになった直後でもあり、〈シルバ〉を思い出した人々も多かったのかもしれない。


 次に時計を見たとき、既に20時半になっていた。少しでも建設的なことが出来たと思い、食料を調達する力も湧いてきた。

 事件の核心はまだ遠い。

 丸多は椅子から立ち上がり、部屋の電気をつけた。




 7章 年表


 2015年4月  〈シルバ(GING)〉〈ちょいす〉と交際。

 2015年12月  〈シルバ(GING)〉〈ちょいす〉と破局。

 2016年1月  〈シルバ(GING)〉動画投稿開始。

 2016年3月頃 〈ちょいす〉半狂乱の動画アップ。

 2017年1月  〈シルバ(GING)〉〈美礼〉と交際。

 2017年4月  〈東京スプレッド〉〈シルバ(GING)〉と接触?

 2017年4月  〈美礼〉のオフ会に〈東京スプレッド〉が参加。

 2017年5月  〈美礼〉飲酒運転による事故。

 2017年6月  〈美礼〉事故で負った怪我により死去。

 2017年8月  〈シルバ〉正式に〈シルバ〉と名乗る。

 2017年8月  〈東京スプレッド〉が〈シルバ〉の動画に登場。

 2017年8月  北原 専門学校入学を検討。

 2018年8月  〈シルバ〉の死体が見つかる。

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