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7. 2019年3月24日(日)①

 D通信 2019年3月24日 9時27分

 動画クリエイター「美礼」さんの姉、犯人隠匿(いんとく)の疑いで書類送検


 警視庁は24日、約二年前に、動画クリエイター皆川美礼さん(当時22才)が飲酒運転の上、物損事故を起こしたことを知りながらそれを隠蔽(いんぺい)したとして、姉の皆川明日美容疑者(29)を犯人隠匿の疑いで書類送検した。


 美礼さんは当時、チャンネル登録者百万人を獲得した有名クリエイターで、2017年5月に「階段から落ちた」という不可解な動画を残し、その一ヶ月後、腹腔内臓器損傷により死亡した。同庁は過去の事件と飲酒の関連も詳しく調べる方針。



 丸多の頭は休日の昼から忙しく回った。東武線O駅へ向かう電車内で、突然入った上のニュースを読んだ。少しずつ事件は氷解していく。事件の核心はまだ厚い氷の中だが、集めた情報との繋がりをいくつか見い出すことができた。


 前回と同じくO駅前で北原と合流した。会ってすぐ北原に明日美の話題を振ったが、北原は「驚きましたね」などと言うだけで、記事よりも広い情報を提供しようとはしなかった。


 今回は丸多が〈東京スプレッド〉の家のインターホンを押した。音がしてすぐに〈ナンバー4〉が扉を開けた。彼は丸多と目を合わすなり、「すいません」と小声で詫びた。


 丸多の決意は固まっていた。いざとなれば窓でも何でも破り、階下へ飛び下りるつもりでいた。

 その日、北原を呼んだ理由はそこにあった。男五人で羽交い絞めにされれば、格闘技経験者でもない限りひとたまりもない。しかし二人いれば、力づくで脱出できる可能性はいくらか高まる。


 リビングに既に五人はそろっていた。丸多の姿を見ると〈キャプテン〉が「お忙しいところ、すいません」と言った。

 意外にもそこに殺伐(さつばつ)とした空気はなく、青年たちのごく普通の日常があった。


「またお邪魔します」丸多が言うと、〈モンブラン〉が椅子を二脚勧めてきた。前回彼らが座ったのと同じものであった。丸多らは礼を言ってから、それらに腰かけた。


 〈ニック〉と〈モジャ〉は寝ぐせのまま、ソファーでカップラーメンを食べていた。緊張感はなく、目を上げて二人を見たものの挨拶はしなかった。


「これ見ましたか」丸多はスマートフォンで、先ほど見たニュースをメンバーに示した。本来、先に〈ナンバー4〉との会合について弁明すべきだった。しかし、ニュースの鮮烈さが物事の順序を見事に逆転させた。

「見ました」テーブルを挟んで〈キャプテン〉も椅子に落ち着いた。〈モンブラン〉と〈ナンバー4〉は床にあぐらをかいた。五人が落ち着いたところで丸多は、皆川邸への二度の訪問について語った。


「丸多さん」〈キャプテン〉が丸い目で彼を見据える。「やりますね。あの鉄格子を見て来たんですか」

「明日美さんに見つかりましたけどね」丸多は苦笑した。

「丸多さんは、ウェブライターや週刊誌の記者じゃないんですよね」〈キャプテン〉は三日前の〈ナンバー4〉と同じことを言った。

「違います。私は単なる会社員です。ジャーナリズムとは無縁の存在です」


「明日美のニュースもありますし」〈キャプテン〉は言いながら他の四人も見回した。「メンバー同士で話し合って、丸多さんにはある程度話した方がいいんじゃないか、という結論に達しまして」

「それはそれは、ありがとうございます」

 表面上怒りをあらわにしないメンバーを見て、丸多も表面上ほっとした素振りを見せた。


「もう美礼さんの事件についてはわかりましたか」〈キャプテン〉が訊き、丸多は「さっき、ようやくわかりました」と答えた。連中から言い出しそうになかったので、自分から話した。


「美礼さんは2017年の5月、おそらく自分の車で飲酒運転をして、ガードレールか電柱か、またはその他の物にぶつけましたね。そして、それによってエアバッグが作動したんでしょう。シートベルトをしておらず、顔と腹部を強打して、内臓に致命傷を負った。違いますか」

「その通りです」〈キャプテン〉は拍手するように手を二三度打った。「さすが、皆川家に忍び込んだだけありますね」

 褒められているのかわからず、丸多は黙っていた。北原は横で感心した視線を丸多に送っていた。


「もう想像がついているようなので」〈キャプテン〉は語調を整えた。「その件について僕から説明します。丸多さんのおっしゃる通り、17年の5月、美礼さんは『階段から落ちた』のではなく、飲酒運転の事故によって負傷しました。全てシルバさんから聞いた話です」

「シルバさんから口止めされてたんですか」丸多は言ったが、〈キャプテン〉は片手を突き出しながら、「まあ聞いてください」と制止した。


「当時、シルバさんは美礼さんと二人で新宿かどこかで飲んでたそうです。美礼さんは車で来ていて、かなり酔っていたらしく、車で帰ろうとしたんですが、それをシルバさんが止めようとしました」


 丸多は黙って聞きながら、一週間前に明日美から聞いた話を思い出していた。〈シルバ〉が止めた、などの細部は今となっては確かめようがない。とにかく、矛盾にだけ気を付けながら〈キャプテン〉の動く口を眺めた。


「都内を北上するだけの慣れた道だ、って思ってたのかどうかは知りません。美礼さんは北区の自宅近くで歩道のポールにぶつけました。そこで頭が真っ白になった、ってシルバさん本人が言ってました」


「すいません」丸多は丁寧に言葉を挟んだ。「シルバさんからその話を聞いたのは、いつ頃ですか」

「ええと」〈キャプテン〉は上を向いてから言った。「17年の夏くらいです。美礼さんが亡くなって、一二ヶ月経ったときです」

「わかりました。続けてください」


「それで、美礼さんがパニックになってしまって、何とか車を家の庭まで運んだそうです。知ってると思いますけど、美礼さんは業界では超がつく有名人でしたから、飲酒運転と物損事故が知られたら大ごとになるところでした。それに美礼さんには、事件を正直に話すほどの気構えもなかったんでしょう。若かったですし。

 だけど、幸か不幸か事故は誰にも目撃されていませんでした。事故が起きたところも、監視カメラのない街角でした。顔に大怪我を負った美礼さんを見て、明日美さんは当然絶句して、そこから三人で、どのようにするか協議を始めたんだそうです」


 話の整合性は取れていた。丸多は無言で頷いて、続きを促した。

「そこでまず、シルバさんが『自分が殴った』ことにするとぼつりと言ったんだそうです。

 もちろん美礼さんは躊躇したらしいですが、二人が賛成しないうちに明日美さんが二人を二階に連れていき、強引に『暴行する振り』をさせ、その様子を撮りました。撮影は明日美さんが本人の携帯で行ったということです。どこで撮ったかわからないようにするため、壁に真っ白いシーツをかけるほど念を入れていたそうです」


 丸多は他の四人を眺め見た。横槍を入れようとする者は誰もいなかった。北原も話に聞き入っている。丸多の頭にはすでにいくつかの疑問が萌芽(ほうが)していた。しかし話の切れ目は見当たらず、そのまま〈キャプテン〉に喋らせた。


「明日美さんが裏垢[*1]でそれをアップして、拡散させようとしました。そうしたら、それを発見したUMOREの社員が美礼さんの携帯に連絡を入れました。その連絡はアップから数分も経たないうちに来たそうです。

 そりゃ、美礼さんの事務所からすれば一大事ですよね。看板クリエイターの一人が暴行されてる動画を見たら、本人に事実確認しないわけにいきません。そこで美礼さんは怪我をした事実を報告しました。だけど、飲酒運転と事故についてと、『シルバさんから殴られた』ことは言いませんでした。おそらく言えなかったんでしょう。自分の過失を隠したい気持ちと、恋人に罪を着せたくない思いとが混ざって、とても混乱した状態にあったんだと思います。美礼さんはそのとき、怪我をした顔の写真だけ送って、咄嗟(とっさ)に『階段から落ちた』と嘘をついたんです。

 事務所の人は最初、それを信用しませんでした。だって、おかしいですよね。『階段から落ちた』事実を隠すために『暴行される振り』をした動画を上げるなんて。普通だったら逆ですよ。美礼さんが問い詰められるうちに、意を決したのかシルバさんが代わりに事務所の人と話をして、そこで『自分が暴行した』と、作り話を聞かせました。さらに明日美さんも代わって、『美礼が浮気をしていた』とか言って尾ひれを付けました。自分が『通報するようにして、暴行動画を上げてしまった』ことも説明しました。最後、聞いていた美礼さんも話を合わせました。事務所側はそれを信用したんだそうです。だって、『階段から落ちた』のか『暴行があった』のか明らかにしようとするとき、まさか裏で飲酒運転による物損事故が起きていた、なんて考えつきませんからね。

 結局、事務所は『当事者同士で和解が済んでいるのであれば、事件を公表する必要はない』という立場をとり、そして美礼さんには『怪我したこと』を速やかにファンに伝えるように指示を出しました。そのようにして、美礼さんのあの痛々しい動画が上げられたんです」


「明日美さんは、それからすぐに『暴行動画』を削除したんですよね」丸多が言葉を滑り込ませる。

「はい。でもすでに手遅れで、結果、あの動画はネット上に残ってしまいました。美礼さんが亡くなった後も」


 丸多は〈美礼〉に関する出来事を思い返していた。〈キャプテン〉の話と組み合わせるとき、北原が代弁するように「そうだったのか」と声を漏らした。




[*1]: 「裏アカウント」を表すネットスラング。本来のアカウントとは別に、広く周知せず用いるために作成される場合が多い。

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