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6. 2019年3月23日(土)③

 テーブル付きのベンチを見つけ、三人は腰かけた。一方の長椅子に丸多と北原が並んで座り、テーブルを挟んだもう一方に〈ちょいす〉が一人で座った。


 丸多はテーブルの隅に先ほどの洗剤の箱を置いた。〈ちょいす〉は座席で縮こまったまま、(しかばね)のような目で卓上の一点を見つめていた。


「この辺に、ちょいすさんのアンチは来ないですよね」丸多は公園内を見渡した。三人から離れた広場では、少子化に淘汰(とうた)されずにいる子供たちが、安そうなビニールボールを蹴り回して遊んでいる。


「大丈夫だと思います。最近は落ち着きましたから」マスクで唇の動きは隠されていたが、〈ちょいす〉の声は聞き取りやすかった。泣き声に甘えるような響きを混ぜた話し方は、相手を軽んじているようである反面、媚びているようにも聞こえる。


「ちょいすさん、昔生放送配信されてましたよね」

 丸多は出来る限り無難な話題を探したが、この程度のことしか思いつかなかった。

「はい」〈ちょいす〉はまだうつむいている。タンポポでも渡せば、なくなるまで花びらを一枚一枚もぎそうな、そんな落ち込み方だった。


「今は行ってないんですか」丸多は根気よく訊いた。

「もう辞めました」

「動画で観ましたけど、非常に面白い内容でしたね。切れ味があるというか、ええと、何て言ったらいいんでしょう。私がちょいすさんを知ったのは最近なんですけど」

「銀について訊きたいんですよね」


 〈ちょいす〉の口調はまさに切り捨てるようであった。そして、丸多の返答も待たずに付け加えた。

「銀のことが訊きたいんなら、初めからそう言えばいいんじゃないですか」


 丸多は〈モジャ〉のあの突き放すような物の言い方を思い出した。下手に殺人事件に首を突っ込むから、望まない毒を受ける羽目になるのだろうか、と、ここ最近の自身の運命を恨んだ。


「それなら話は早いんですが」丸多はここでも負の感情を奥にしまった。「ちょいすさん、北原さんは覚えてますか」

「覚えてます」〈ちょいす〉は北原を見ずに言った。北原の代わりにぬいぐるみが置かれていても、同じ台詞が吐かれたかもしれない、と丸多は思った。彼はそれを気にせず、そのまま話を進めた。


「三年かそれ以上前に、シルバさんが北原さんと一緒にちょいすさんの家を訪ねたそうですが、正確にそれがいつだったか覚えていますか。そのときに二人は、ちょいすさんの持ち物を届けに来たそうです」


 ちょいすは黙っていた。答える気がないのか、考えているのかわからず、丸多らも無言でいるしかなかった。やがて、〈ちょいす〉が声を絞り出すように「覚えてないです」と言った。丸多が喋ろうとすると、一瞬早く北原が言った。

「確か2015年の冬じゃなかった?かなり寒い日だったはず。俺、ちょいすの荷物持って、家に上がったの覚えてるよ」


 北原が言うのを聞いて、〈ちょいす〉は何度か小刻みに頷いた。北原はさらに言った。

「それで別れ際、ちょいすがシルバと話してたら、奥からお前のお母さんの『あんた、もう夜の10時だよ』っていう声が聞こえて」

「いいよ、そんなことまで言わなくて」

 〈ちょいす〉は右手で髪をいじりながら、短く笑った。空気が少しほぐれてきたように思え、丸多の緊張も少し緩んだ。


「わかりました。すると、ちょいすさんが高校三年だった2015年の冬に、お二人と最後に会った、ということですね」

「そうです」〈ちょいす〉は自身の言葉を噛みしめるようにして、首を縦に振った。


「下世話な話で申し訳ないんですが」と丸多。「シルバさんと知り合ったきっかけは、やはり生放送配信だったんでしょうか」

「はい」〈ちょいす〉の声は少しずつ大きくなってきた。しかし、まだ下を向いたままで、目を合わせようとはしない。丸多は続けた。


「遅くとも、ちょいすさんは高校二年生のときには生放送配信を行っていましたね」

「中学三年からやってました」

 まるで、早ければ早いほど名誉である、とでも言いたげな〈ちょいす〉の口調であった。そして、このときは丸多に言葉を継がせず、さらに言い加えた。


「私から仕掛けたんじゃないですよ」

「仕掛けた?」

 急に話の方向を見失い、丸多は愚鈍の声を上げる。

「あの喧嘩凸を仕掛けたのはシルバの方、ってことだよね」北原が言い、〈ちょいす〉が「そうそう」と言った。その声には、丸多と会話をするときよりも若干多くの親しみがこめられていた。


「ネット上で」丸多が訊いた。「シルバさんから因縁をつけてきた、ということですか」

 二人のあの口喧嘩の発端(ほったん)など、丸多にとってはどうでも良かった。どんな話題でも良いので、ふさぎ込みがちな〈ちょいす〉の口を開かせたかった。


「私が雑談配信してたら、いきなりあいつから通話かけてきたんです。だから、喧嘩凸仕掛けたのは私じゃないです」

「最初に仕掛けたのが、ちょいすさんでないのはよくわかりました。ちなみに、それがいつ頃ですか」

「ええと」


 〈ちょいす〉は視線だけを左右に動かした。それは、卓上を這う仮想の虫を目で追っているように見えた。


「高二の冬だったと思います」〈ちょいす〉の顔がようやく持ち上がってきた。

「2014年の冬ですよね」

「はい」〈ちょいす〉はまた自己弁護するように話し出した。「別に本気で口喧嘩してたわけじゃないです。悪口言われてむかつくときもありましたけど、基本全部ネタとして言ってたんで。それは銀も一緒だったはずです」

「ええ」丸多は柔らかい物言いに努めた。「それもよくわかってます」


 どうやらこの時間、腫れ物に触るような感覚からは逃げられない。丸多はさらに慎重に言葉を選んだ。「その後、ちょいすさんはシルバさんから選ばれ(・・・)ましたね」

 〈ちょいす〉はこのとき丸多の顔を見た。表面上睨んではいたが、甘える表情を作れない野良猫のようでもあった。そして言った。「どういうことですか」


「シルバさんは、世間の数いる女性の中からちょいすさんを選び交際を始めた、ということです。間違っていますか」

 丸多が言うのを聞いて、〈ちょいす〉は首を大きく横に振った。否定するのではなく、言うべき言葉を決めかねているようだった。丸多は居住まいを正しながら、その時点で彼女の機嫌を損ねていないことを確かめた。


「まあ」〈ちょいす〉は言葉を、飲み込めない食べ物のようにして転がした。「選ばれた、というか、私が選んだというか」

 丸多にとって今の場合、「どっちが選んだか」も問題の外であった。それから、少しずつ論点をずらしていった。


「シルバさんから交際を求めた、と推察します。お二人の立場を考えた上で、個人的にそう思うだけなんですが」

「まあ、そうです」

「そうですよね。それから」

 丸多は話す速度を少し上げた。「一転して、お二人は親密になりましたね。どういう経緯で直接会うようになったかなんて、ここで訊くつもりはありません。野暮ですし、そんなことほじくり返されたくないでしょうし」

「喧嘩凸の後、あいついっつも『さっきはごめん』って通話かけてきて」

「ええ、ええ」


 丸多は〈ちょいす〉が「()()め」について語るのを遮ろうとしたが、すぐに考え直し、しばらく耳を傾けようと決めた。それは「何回かの喧嘩凸配信を経て、シルバから東京散策に誘った」という、誰にでも想像できる内容であった。


 丸多は相槌を打ちながら、気づかれないようにスマートフォンの画面を確認した。時刻は15時を回るところだった。


 それから〈ちょいす〉は、シルバと二人で行った「外配信」についても言及した。

「お二人の外配信は」と丸多。「どのくらいの間行われたんでしょうか。ちょいすさんが、高校三年生のときでしたよね」


「外配信は」〈ちょいす〉はそこで言いやめた。上がりかけていた彼女の勢いは目に見えてしぼんでいった。話が暗くなり始める予感が誰の胸にも降りた。丸多は、あと少し話を繋げることができれば、と残りの気力を振り絞った。


「ちょいすさんは、進路についても考えなければならなかったはずですし、かなりナイーブになってたんじゃないか、と勝手ながら思います。私にも高校三年生のときがありましたし、あの頃どんなことがあったとしても、ちょいすさんに全ての責任があったなんてことはありません」

「進路は関係ないです」〈ちょいす〉は再びうなだれて話した。その言葉の裏に強がりがあるかどうか、丸多にはわからなかった。


「その年の冬に、シルバさんが北原さんを連れておうちに来ましたね」

 丸多の指摘に〈ちょいす〉は「はい」とだけ答えた。そのあと待っても〈ちょいす〉は喋り出しそうになかったので、丸多は切り出した。

「2015年の冬にお二人の関係は終わってしまった」

 〈ちょいす〉は声を発しなかったが、首だけで小さく頷いた。丸多は続けた。


「シルバさんがそれを言い出したんでしょうか」

 丸多は唾をそっと飲み、返答を待った。すると〈ちょいす〉は彼の予想を超え、言葉を切りながらも明確に答えた。

「そうです。私、振られました。高三の12月に。銀は動画を撮りたい、って言って。それが原因じゃなかったんですけど、区切りつけたいから終わりにしよう、って」


 話に論理性のかけらもなかったが、丸多はそれ以上追求しなかった。そもそも色情に論理を伴う方がおかしい。代わりに彼は相手が答えやすそうな話題を選択した。

「シルバさんは常に優しかった、と聞いています。誰に訊いてもそう答えます。ちょいすさんに対しても、彼は思いやりの塊のような男性だったでしょうね」

「はい」

 丸多は、そう答える〈ちょいす〉と北原を順番に眺めた。北原の顔は平穏そのもので、依然小さくなっている彼女が無害な仔鹿であるように見つめていた。


 〈ちょいす〉からの補足はなかった。首を傾げたい思いで彼女の言葉を待ったが、やはりマスクの奥の口は開かれなかった。

「ちょいすさん」丸多はいよいよ、あの〈ちょいす〉の半裸動画について触れようとした。しかし、言葉は喉の直前で急に詰まった。いつまでも沈鬱な彼女の姿がそうさせたのだった。


「シルバさんの事件を知ってましたか」語彙(ごい)力のない子供が意図しないことを言うときのように、その言葉は尻すぼみになった。

「はい」生気のない〈ちょいす〉の声。

「いつ知りましたか」「二三ヶ月前くらいです」

「びっくりしましたよね」

「はい」


 三人の空気はそこで止まった。話が突如あらぬ方向へ行ってしまい、そのままどこかへと消えてしまった。丸多は場を見事に切り裂く明るい話題を探したが、うまく見つけられなかった。

「そういえば、半裸で呪いの言葉吐いてる動画上がってたけど、あれ何なの?」と気安く訊くために、どれくらい親密になれば良いか考えた。せいぜい二回会った程度ではまだ早いと思い、今日の締めにとりかかろうとすると、〈ちょいす〉が言った。


「なんで私のところに来たんですか」

 答えを持っているのが丸多しかいないのは明らかだった。顔を上げた〈ちょいす〉の視線は、丸多の両目に容赦なく突き刺さった。腹をくくった女の眼光はどんな刃物よりも鋭かった。彼は何事かを答えようとしたが、口は思うように動かなかった。


「どうせ」〈ちょいす〉はマスクをちぎる勢いでまくし立てた。「私が下着だけで怨念みたいなのを吐く動画観て、来たんじゃないですか。違いますか?馬鹿で頭のおかしい女だって思ってますよね。銀に振られて発狂した哀れな女だって思ってますよね。全然違いますから。そんなんじゃありませんから。男に振られたくらいで、あんなふうになると思いますか」

「落ち着いてください」丸多の言葉が、このときの〈ちょいす〉に届くはずはなかった。女は制御できない目覚まし時計のごとく、辺りかまわず(わめ)き散らした。


「やり捨てされたんです。それが聞きたかったんですよね。これで満足ですか?銀じゃないです。あなた達とは関係ない奴です。高三の3月に付き合った同学年の男子にやり逃げされたんです。卒業したら二度と会わないからどうでもいい、って思ったんでしょうね。男ってどこまで馬鹿なんですか?ねえ、教えてくれません?」


 〈ちょいす〉は立ち上がり、洗剤の箱を片手で掴んだ。そして、それを力の限り地面に叩き付けた。女の剣幕に、遠くで遊んでいた子供たちが一斉に目を向けた。

「馬鹿のガキども、苦労もしてないくせにただ飯(・・・)食ってんじゃねえ!」


「座ってください」丸多は暴走する女を抑え、再び椅子に収めた。

 その後〈ちょいす〉は泣き声を上げ、「死にたい」と連呼した。丸多らは女の後ろで何もできず、ただ直立した。罵声を浴びせられた子供たちが近寄ってきて、捨てられた洗剤の箱を卓上に戻した。それを見て北原と丸多はそれぞれ「ありがとう」、「ごめんね」と言った。

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