6. 2019年3月23日(土)①
東京駅前で北原を拾い、丸多は再びアクセルを踏んだ。駅舎前の広場では、思い出作りに余念のない人々が、スマートフォンに向けて思い思いのポーズを取っている。
「もうすぐで一年経ちますね」
「何がですか」北原はシートベルトをしながら訊いた。
「ここから歩いて十分くらいですよね。私がシルバさん、北原さんと初めて会ったところ」
「そういえば、そうですね。もう一年ですか、早いですね」
休日のオフィス街は人通りが少なく、よって穴場も多い。閉店間際のカフェは貸し切り状態になることもある。
時刻は13時。パジャマか普段着かわからないものを着ている北原に「今日この辺は空いています。良かったら今夜どこかに寄りませんか」とは、まず言わない。
丸多は代わりに、忌まわしいあの共通の話題を出すことにした。
「北原さん、おととい観た映像覚えてますよね」
「はい」
「殺害の機会は参加者全員にありました。シルバさん含めて」
「シルバも含めてですか」
「はい」
信号に差しかかり、硬いブレーキを踏む。「シルバさんが自殺をした場合も含めて、です」
それを聞いて北原は浮かない表情をした。北原がこの話を理解しないことを丸多は事前に心得ていた。彼は課題の発表でもするように、一つ一つの言葉を丁寧に吐き出した。
「あくまで可能性の一つにある、ということです。もちろん、まだ証拠なんか一つもありません」
車が走り出し、丸多がさらに言う。「最も早い段階で殺害機会を持ったのは、わかりますよね、ニックさんです。彼はシルバさんが部屋にこもる直前に、一緒に部屋に入りました」
「ニックは、シルバの部屋に一分も入ってなかったんじゃ」
「もちろん、事実はそうです。短時間ながら殺害の機会を得た、ということです」
「ニックが出た直後に、ドアのすき間からシルバの声がしませんでしたか」
「しました。大いにしました。もし、ニックさんが手際よく殺人をして、シルバさんの声を何らかの音響機器で再生した、という結末だとしたら、全くもって馬鹿げています。いや、馬鹿げているどころの騒ぎじゃないです」
「ニックがシルバの声をあらかじめ録音していた、ってことになりますね」
「あくまで可能性として置いておきましょう。おそらく置いた後、二度と取り上げる必要のない可能性でしょうけど」
「内側からどうやって扉の鍵をかけたか、説明がつきませんしね」
「その通りです。そして」
車はビル群の間を縫って進んだ。「次は誰だったか、覚えてますか」
北原が考えようとするところ、丸多が先に言った。「明らかであるのは、ナンバー4さんです」
「バッテリーを交換したときですか」
「仕方がないといえば仕方がないですが、それも当然可能性の一つです」
「本人は、映像が途切れた時間は相当短い、ということを言ってましたね」
「あくまで自己申告ですけどね。今は信用するしかありません。まあ映像では確かに、十分も二十分も途切れていたようには見えませんでした」
「その場合も、内側の鍵の説明がつきませんね」 「そうですね。シルバさんに鍵を開けさせて殺害したとしても、鍵を閉めてまた戻ることはできません」
「すると、次はキャプテンですね」北原も話の流れを理解し始めた。
「はい。シルバさんの部屋の扉を破り、最初に突入したのがキャプテンさんでした」
「あいつらが突入する直前までシルバは生きていて、部屋に最初に入ったキャプテンに絞め殺されたという可能性ですね」
「話としてかなり無理がありますけど、起こる可能性がゼロとも言い切れません」
「その場合、扉の鍵の問題はなくなりますね」
首都高に乗ってから、丸多は肩の力を抜いた。これで、しばらく歩行者や路上駐車の車に多くの注意を払わなくて済む。
「モンブランさんの機会は」丸多が言うと、北原がそれに被せて言った。
「人工呼吸をしていたときですね」
「はい。映像にはよく映ってませんでしたが、その息づかいがスピーカーからかすかに聞こえました」
「その場合、家から運び出されたときもシルバは生きていた、ということですか」
「この場合はそうなります。人工呼吸をするふりをして、彼の首に手をかけた、という可能性です」
「一瞬、映像にシルバの死体が映りましたけど、それが演技だったとしたら」
「映画祭の主演男優賞並ですね。なので、このケースも十分馬鹿げています」
「モジャはいつですか」北原は横を向いた。
「モジャさんの機会は、買い出しのために外に出たときです」
北原の疑問が、停止する空気としてそこに漂った。それが言葉になる前に丸多が言った。
「これも古典的な手段ですが、『窓枠ごと取り外し可能』であった場合です」
「右の部屋にあった窓を枠ごと外した、ということですか」
「そうです。そして、部屋の中で殺害を実行した後、再び出て、窓枠を元に戻した、ということです」
「それだと、シルバが部屋にこもっている間、外に出た人全員にも機会があった、と言えませんか」
「言えますね。実はこの場合、モジャさんに限らず、メンバー全員に殺害の機会があったことになります。彼らは、シルバさんが密室にいる間、最低一回は外、つまり撮影カメラの枠から出ましたからね」
「それも、かなり無理がありますね」
「北原さんもそう思いますか」
北原の口調は、答えを披露したがる子供のそれと同じだった。
「はい、家屋の一部は全焼せずに残っていたわけですから、もし『窓枠は取り外し可能』だったとしたら、残骸を調べた警察がとっくにそのトリックを見破っているはずです」
「何とも言えませんけどね。シルバさんがいた右の部屋はほとんど焼け落ちていましたから、窓枠が壁にはまった状態で焼けずに残っていたかは、今となってはわかりません。それと、キャプテンさんが扉をこじ開けて中に入った後、窓も含めて室内を隅々まで調べていました」
「キャプテンはそのとき調べるふりをしていた、とか」
「当然、それは考えられないことはないです」
丸多はそこで息を吸い、語気を強めた。
「以上が、単独犯である場合です。複数犯の場合、今北原さんが言ったように例えば、モジャさんが窓枠を外して殺害し、キャプテンさんが発見時、窓枠が固定されてあるように見せる演技をする、といったことが考えられます。ただ犯人が二人の場合、考えられる犯人の組み合わせは十五通り、三人の場合は二十通り[*1]、と切りがありません。なので、こういう型にはまった前時代的な推理は、この辺でやめておきましょう」
「丸多さん」北原は真面目な顔で言った。「ナンバー4が途中でバッテリー交換をしましたよね」
「はい」
「その前後の映像の撮影日が違う、ということも考えられないですか」
丸多は感心したように唸り、真っ直ぐ前を見ながら少し考えた。
「それは、東京スプレッド五人全員がグルだった場合ですね。その場合、バッテリー交換前の映像と後の映像が繋がるように、五人全員で芝居をする必要がありますから。でも、それによって新たな殺害方法が生まれるとも思えません」
「あとドラマでよくありますけど、凶器がどこにいったか、とかいう問題もありますよね」
話の落差に、丸多はつい噴き出した。「今回の事件では、凶器は問題にならないでしょうね。絞殺に使われたのは『ひも状のもの』ですからね。犯人が殺害に使ったあと、ポケットに入れて、後でどこかに捨てればそれで終わりです。二度と出てこなくても不思議はありません。もちろん、シルバさんが自殺した場合は別ですが。
それよりも『なくなった指輪』、『青い火』、『中央の部屋で唯一、最初から開かなかった扉』、これらの方がよっぽど不可解です。今のところ、それらを事件に結び付けて合理的に説明することができませんから。それに、他にもいくらか注目すべき点があった気がします。もっとも私はまだ、それらを整理し尽くしてはいませんけどね」
[*1]: シルバ、東京スプレッドの計六人から任意に二人を選ぶ場合の数は、(シルバ、キャプテン)(シルバ、ニック)(シルバ、モジャ)(シルバ、ナンバー4)(シルバ、モンブラン)(キャプテン、ニック)(キャプテン、モジャ)(キャプテン、ナンバー4)(キャプテン、モジャ)(ニック、モジャ)(ニック、ナンバー4)(ニック、モンブラン)(モジャ、ナンバー4)(モジャ、モンブラン)(ナンバー4、モンブラン)の十五通り。六人から三人を選ぶ場合も同様にして書き下すと二十通り。さらに、六人から四人選ぶ場合は十五通り。六人から五人選ぶ場合は六通り。六人から六人選ぶ場合は一通り。




