5. 2019年3月21日(木)④
「これで終わりです」〈ナンバー4〉が長い息を吐いて、停止ボタンを押した。
酔いたい気分は塵一つ分もなかった。しかし、飲み物がぬるくなったビールしかなく、丸多は仕方なくそれを一口分だけ飲んだ。
「最後の場面で」丸多はグラスを置き、尋ねた。「お二人はその場を離れたんですか」
「はい。お恥ずかしい話ですけど、今見てもらった通り、あの家の上の方、空中で何か青い火が揺らめいているのが見えて」
「『立ち入り禁止』の林の上あたりですね」
「はい。それで、猛烈に怖くなって、モンブランと二人で逃げ出しました。もと来た小道を車道に向かって、無我夢中で走りました。シルバさんが気がかりでしたけど、どうしようもありませんでした。次に異変が起きるのは自分じゃないか、とさえ思えてきて」
「気に病む必要はないと思います」丸多は相手の目を見た。「同じ状況なら、命知らずでない限り誰もがそうしたでしょう。そして、その後、お二人は車道でキャプテンさんらの帰りを待った」
「そうです。僕たち二人は震えてました。二十分くらい経ったら、救急車と一緒にキャプテンたちの車が戻って来ました。あれほど長い時間を経験したのは人生で初めてでした」
「なるほど」
〈ナンバー4〉は映像を戻し、家屋が炎上する場面で再び止めた。そして、請うように訊いてきた。
「この映像の青い火、丸多さんは何だと思いますか」
丸多は画面を見つめてから、壁に寄りかかり、実直に思考を巡らせた。
「さっぱり、わかりません」
「やっぱり」〈ナンバー4〉は、なおもせがむように言った。「あの『自殺者の霊が出る』奥の林に何かがあった、ということですよね」
「そのようにも思えますし、何とも言えませんね。方向はそちらの方でしょう。ただ、その火が見えた箇所の高さが気にかかります」
〈ナンバー4〉は口をつぐみ、丸多の次の言葉を待った。
「最後の場面は、家屋の正面の庭から撮影されましたね。そこから建物の上方に火らしいものが見えたということは、その『自殺者の林』の木々の樹冠、つまり葉を生やす枝の辺りでそれが揺らめいていた、と思えます。今私に言えるのはそのくらいですね。力になれなくて申し訳ないですが」
〈ナンバー4〉の顔にうっすらと物足りなさが浮かび上がった。しかし、彼はそれを口に出さず、小さな声で「いえ」とだけ言った。
「ナンバー4さん」丸多はそれまでと同じ口調で尋ねた。「奇妙なことはもう一つありました」
「何ですか」
「シルバさんが遺体で発見される前、『指輪を紛失した』ということを言ってましたね」
「そうです」〈ナンバー4〉は掌に拳を置くしぐさをした。「あのとき、僕の指輪が無くなったんです」
「あれから見つかったんですか」
「いえ、見つからずじまいです」
「高価なものだったんでしょうか」
訊かれて〈ナンバー4〉はスマートフォンで素早くウェブページを表示させ、丸多に見せた。
「その画像に映ってるのと同じ物です」
通販サイトの画面に、百合の紋章をあしらったシルバーリングが掲載されている。値段は五万六千円。丸多はそれを見て、自分も中学生の頃であれば欲しがったかもしれない、などと考えた。
「相当高いですね」
「はい」〈ナンバー4〉はスマートフォンをしまった。「僕、シルバーアクセサリーが好きで、これ、ずっと欲しかったんです。東京スプレッドとして初めてもらった給料で買って、思い入れもありました。だから、無くしたのが今も惜しくて」
「動画内での同じ質問を繰り返すのもなんですが、トイレに置き忘れたんですよね」
「確かそうだったと思います。今になるとあんまり自信ないんですよね。もしかすると、あの家のどこかに置き忘れただけかもしれません」
丸多は考えたが、答えらしい答えが出る予感はなかった。指輪の行方が分かれば、すぐにでも知らせてあげたかった。彼が考えあぐねる最中、〈ナンバー4〉がさらに情報を加えた。
「キャプテンは腕時計を失ったんですよ」
「え」丸多の動作は、うたた寝から目を覚ますときのようであった。
「キャプテンのはもっと高くて、百万くらいする物だって聞きました」
「百万」丸多と北原は聞いて、文字通り口を開けながら、大いに呆れを示した。〈ナンバー4〉はそれに構わず続けた。
「キャプテンはあの家に置きっぱなしにしてたから、火事で燃えてしまったんだろう、って言ってます。それに他のメンバーのスマートフォンとか財布とか、あの家に置いてあった物は全部燃えちゃいました。可哀そうですよね」
丸多は口ごもりながら、「可哀そうですね」と気のない返事をした。直前に〈ナンバー4〉から聞かされた事柄に関して、衝撃を払拭できなかったのである。彼はたまらずに訊いた。
「動画クリエイターってそんなに儲かるんですか」
「いやあ、その月によります。大したことないですよ」
予想されたことだがやはり、〈ナンバー4〉は言葉を濁すだけで、それ以上の言及はしなかった。
動画を一通り観終えたところで、北原が消え入りそうな声で言った。
「あいつ、本当に密室で殺されたんだな」
〈ナンバー4〉は北原の顔を見据えた。それから、かける言葉を探すためか、指でテーブルを何度か叩いた。しかし、適切なそれを捻り出すことはできないようだった。
膠着する二人の横で、丸多はまだ動画の要所を眺め続けた。
「この動画データって、もらうことできないですよね」丸多が〈ナンバー4〉の顔を窺う。
「さすがにそれは無理ですね」〈ナンバー4〉は丸多に視線を移した。「それこそ、キャプテンに知られたら一大事です。これは絶対外部の人には見せるな、って言われてるんで」
「そうですよね」
丸多は動画を冒頭で止め、その画面を改めて見つめた。そこには現場に着いたばかりの五人が前庭で整列する姿が収められている。
「まだ何かありますか」〈ナンバー4〉が飽きているのは明らかであった。
「はい」丸多だけは倦怠的な空気に流されないでいる。「さっき言った、この屋根の天窓のことですけど」
丸多が画面を指さすと、〈ナンバー4〉は大儀そうに再び身を乗り出した。北原も疲れ切った顔をしながらも、再び画面に注意を向けた。そして、丸多はそれまでとほとんど変わらない熱意と共に言った。
「中にあった天窓の形状とは違う気がするんです」
言われた二人も、いくらか集中力を取り戻したようだった。
「本当ですか」〈ナンバー4〉の目に一転、光が復活した。
「ナンバー4さん、この家の屋根は明らかに三角屋根ですよね。でも内部を観察したところ、たしか内部の天井は、一般的な家と同じように床と平行だったと思うんです」
「そんな細かいところ全然覚えてないです」
「見てみましょう」
丸多が率先してPCを操作した。すでに彼は要領を得ていて、動画内の必要な箇所はすぐに表示された。カメラを持った〈ナンバー4〉が初めて中央の部屋に入った場面。
「やはり」丸多が言い、二人は無言で見守った。「天井は床と平行です。四角いすりガラスの窓が一枚、天井にはめ込まれています」
「つまり」〈ナンバー4〉も食い入るように画面を見つめた。「外から見た天窓と、中から見た天窓は別物ってことですか」
「そうなりますね。つまり、屋根と天井の間には空間があった、ということです。それが何を意味するのか、現段階ではわかりません。天窓がただ単に二重だったという、それだけのことかもしれませんし」
丸多はまだ考え足りないと感じた。しかし彼はここで初めて、テーブルに十皿以上の食事が届いていることに気付いた。それを見た丸多はようやく、動画以外の事柄に意識を向けた。
「一旦、気を取り直して食べませんか。もうすっかり冷めてしまいましたけど」丸多は難問を前に沈み込む二人に、一転して明るく声をかけた。
すると〈ナンバー4〉も「食べましょう、食べましょう」と言い、顔を緩ませた。
北原だけは箸を取らずに、しばらく黙っていた。友人の死を直に見せられ、食欲などわくはずもないだろうな、と丸多は彼を不憫に思った。この場合、「どうしたんですか」などと、無神経な言葉などかけられるはずもない。丸多はどのように振る舞うべきか迷いながら、ゆっくりと箸を進めた。