5. 2019年3月21日(木)③
〈ナンバー4〉は床にノートPCを置き、要領を得た様子で何やら作業に取りかかった。
「ここからは長いですよ」〈ナンバー4〉から言い出した。「あいつらが帰ってくるまで、全く何も起きないんで」
「何も起きない」という言い回しが、丸多の思考の途中で異物のように引っかかった。
「シルバさんは、部屋に入ってから発見される前までに殺されたんですよね」
「おそらく、そうだと思います」
「本当に『何も起きなかった』んですか」
「見ればわかります。映像では本当の本当に、何も起きません」
「このときは、大体何時頃だったんでしょうか」
「そうですね、夕方の6時過ぎだったと思います」
メンバーが戻るまでちょうど一時間ほどあると教えられ、ある程度映像を速めて再生するのはやむを得なかった。ふいに画面内の〈ナンバー4〉が立ち上がり、直後映像が途切れた。これについて、丸多が訊く前に〈ナンバー4〉が説明を加えた。
「バッテリーが切れそうだったんで交換しました。途切れた時間はほんの数十秒です。誓って言いますが、バッテリーを交換してる間、僕はそれ以外の行動は何一つしませんでした。シルバさんも相変わらず部屋から出て来ませんでしたし、誰かが戻って来ることもありませんでした」
〈ナンバー4〉は真っ直ぐ丸多の目を見ていた。そう言われて丸多は、その言葉を信じて頷くことしか出来なかった。
再び映像が流れた。状況は〈ナンバー4〉が「バッテリーを交換する」前と変わらない。
「見たらわかりますけど」と丸多。「ナンバー4さんも、このとき動画の編集作業をしてたんですよね」
「はい、そうです。シルバさんと同じで、僕も溜まってた編集をここで行ってました」
「シルバさんと一緒に作業する、という流れにはならなかったんですね」
これに対し、〈ナンバー4〉は若干言葉を詰まらせる素振りを見せた。
「まあ、必ずしも二人で作業する必要はないですからね。別々に動画を制作してますし」
「それはそうですよね」
「正直僕も、このときのシルバさんの行動がいまいち理解できないんですよ。こんな人里離れたところで一人作業してたら、普通寂しくなりますよ。実際僕は、メンバーが帰ってくるまで心細かったですし。もしかしたら、シルバさんは右の部屋で、何か他人に見られたくないようなことをやってたのかもしれません」
買い出し班四人が出かけてからは、単調な映像が続いた。〈ナンバー4〉の言葉通り、シルバの部屋の扉は一度も開かれなかった。四倍速の動画に丸多ら三人は目を凝らした。特に丸多は、ほんの些細な動きにも最大の注意を払うつもりでいた。しかし、彼が期待する「完全不可能犯罪のほつれ」はどこにも見当たらなかった。
三人が無言でいる中、画面内に再び姿を現したのは〈キャプテン〉だった。両手に弁当が入ったビニール袋をぶら下げている。〈ナンバー4〉はそこで映像を通常の速度に戻した。
「ただいま」〈キャプテン〉が入り口の扉を押し開け、入ってきた。床にあぐらをかいた〈ナンバー4〉が「おかえり」と返す。他の三人も大量の袋を抱えて、続々と部屋に入ってきた。どの袋にも見慣れたレストランやコンビニのロゴがプリントされている。
「ここで大体夜の7時くらいですか」と丸多。
「はい、確か7時過ぎだったはずです」
丸多はすかさずコンビニの袋を観察し、それがメンバーの目撃情報を寄越した店の名前と一致するのを確認した。レストラン名にも見覚えがあった。それは、先週、北原と共に昼食を取ったファミリーレストランに違いなかった。
「シルバさん」〈ニック〉が右の部屋に向けて言った。「ハンバーグと唐揚げ買ってきましたよ」
〈モンブラン〉も同じように報告する。「ライムソーダ買ってきたんですけど、シルバさん飲めますか」
部屋から応答はなく、いっとき家全体が静まり返った。
「寝てんのかな」〈モジャ〉が不思議そうな顔をした。
「シルバさん、中にいる?」〈キャプテン〉が編集中の〈ナンバー4〉の方を向いた。
「いますよ。僕ずっとここにいたんで、少なくともその間シルバさんは出てきませんでした」
〈ナンバー4〉が言い終わる前に、〈キャプテン〉は進み出て、〈シルバ〉の部屋の扉を軽く叩いた。「シルバさん。飯買って来ましたよ」
それでも応答はなかった。
「寝てんだろ」〈キャプテン〉は首をかしげながらも、引き下がった。「いいや、俺たちで先に食べてよう。そのうち出て来るだろ」
「シルバさん、先食べてますよ」〈ニック〉が大声で言い、〈東京スプレッド〉の五人は中央の部屋で円座して夕食を取り始めた。
食後、五人は弁当の殻をそのままにして、しばらく談笑を続けた。狭く密閉された室内にも関わらず、〈モジャ〉と〈ニック〉は煙草をふかしている。
「雨降ってました?」誰にともなく〈ナンバー4〉が訊いた。
「降ってないよ」〈モジャ〉がアルミ容器に灰を落とした。「そっちは?」
「いや、雨の音はしてないですけど、いきなり降ってきてもおかしくない、と思って」
「雨降ったらだるいな」二人の話を聞いて〈モンブラン〉が言った。
「確かに、山の天気は変わりやすいからな」〈キャプテン〉が言うと、〈ニック〉がポケットからスマートフォンを取り出した。「天気予報だと……ああ、やっぱ電波届かないから、わかんねえ」
「ちょっとトイレ行ってきます」〈ナンバー4〉が立ち上がった。
「あ、そのあと、俺も行こうかな」〈ニック〉が〈ナンバー4〉の背中を目で追った。「4、俺もその後行くから、臭くするなよ」
「それは無理です。何出しても臭くなりますよ」〈ナンバー4〉は笑顔を見せ、室外へ出て行った。
「っていうか、煙臭いから廊下の窓開けていい?」〈キャプテン〉が立ち上がった。
「シルバさんに怒られるんじゃない?」〈ニック〉が言いながら、煙草をもみ消す。
「いいや、俺がスプレーで蚊を退治する」〈キャプテン〉は開けっ放しの左の部屋の扉を通り、また戻ってきた。手には殺虫スプレーが握られている。
「シルバさん、ちょっとだけ廊下の窓開けますよ」
返事は全くなく、声をかけた〈キャプテン〉をはじめ、一同は顔を見合わせた。このときから、その場に少しずつ不穏な空気が混じり出した。
「それにしても、シルバさん遅いな」戻って来た〈キャプテン〉は、こまめにスプレーの噴霧を始めた。〈ニック〉は立ち上がり、新しい煙草に火をつけた。
「後で、あの『立ち入り禁止』の札の向こうに行くんだよな」〈ニック〉が言い、〈モジャ〉が「何、お前びびってんの?」と茶化す。
「そりゃ、びびるよ。あんな気持ち悪いところ。自殺者の霊がいるんだぞ」
その後〈モジャ〉も立ち上がり、一つの扉のノブに手をかけた。
「このドアだけ最初から開かないんだよな【図4①】」〈モジャ〉はノブを二三度回してから、諦めてまた床に座りなおした。
「何、お前もう行く気?」〈ニック〉が訊くと、〈モジャ〉も煙草を取り出して言った。「いや、まだだけど、開けたらまた『立ち入り禁止』の札が見えるかな、と思って」
「やめとけ。その辺のものをむやみにいじるな」〈キャプテン〉が鋭く言ったとき、ちょうど〈ナンバー4〉が戻ってきた。
彼の口から、この日初めて現場の奇妙さを具体的に表す言葉が吐き出された。
「俺の指輪がないんですよ」〈ナンバー4〉の顔には、その事態よりももっと大きな不安が貼り付いている。
「4の指輪ないの?」〈キャプテン〉が尋ねた。
「はい、さっき突き当りのトイレに忘れてきて、今取りに行ったんですよ。でも、見当たらないんです」
「暗いからじゃない?」〈モジャ〉が指摘する。
「いや、携帯で隈なく照らしましたけど、無かったです」
「本当にトイレに置いてきたの?」と〈キャプテン〉。
「はい、トイレットペーパーかけるところの上に小さなでっぱりがあって、さっき間違いなくそこに置いたんですよ。でも今見たら無くなってました」
「いつ頃?」今度は〈ニック〉が訊く。
「二時間くらい前です。シルバさんがそこにカメラをセットしたときです。そのタイミングで俺、ちょうどトイレに行ったんです」
静寂が降り、それまでの彼らの楽しげな旅行気分が一掃された。
「シルバさんを呼びません?」〈モンブラン〉の顔は緊張でこわばっている。
「シルバさん」〈キャプテン〉が右の部屋の扉に駆け寄り、強めに叩いた。「そろそろ起きてください」
部屋の雰囲気は一気に張り詰めた。
「シルバさん」〈キャプテン〉が拳で何度もノックをする。「いますよね。出てこないなら、こっちから無理やり開けますよ」
「ドッキリだとしても、長すぎじゃない?」〈モジャ〉が真顔で言った。それに〈ニック〉が同意する。
「俺もそう思う。何が起きてるのか、全然わかんない」
「シルバさん、どうしました?具合悪いですか」
〈キャプテン〉の最後の呼びかけも虚しく消え、それから十分ほど、五人はなす術なく、室内をさまよい歩いた。
「皆さん、なかなか扉を開けませんね」丸多はじれったい様子でいた。
「まだ、このときは」現実の〈ナンバー4〉は、動画内の自身と同様、微かに怯えた表情でいる。「シルバさんの悪ふざけだと思ってたんです。僕は、シルバさんがお化けの格好でもして、部屋から出てくるんじゃないか、と思ってました。むしろそうであってほしい、と願ってました。他のメンバーも同じように考えてたんだと思います。だから、企画を台無しにする可能性もまだあったんで、僕らからむやみに行動に移れませんでした」
「ダメだ」一旦外に出たらしい〈キャプテン〉が戻ってきた。「シルバさんの部屋の窓には鍵がかかってる。中の明かりも消えてる」
「電話かけたらどうですか?」〈モンブラン〉は言ったあと、すぐ渋い顔に切り替えた。「いや、ダメか。ここだと電波届かないしな」
「よし、ぶち破ろう」〈キャプテン〉が言い、五人は〈シルバ〉の部屋の前に集まった。
まず〈キャプテン〉が肩から扉にぶつかった。その振動で映像が縦に揺れた。
「俺がやる」〈ニック〉が代わり、同じように巨体を扉にぶつけた。四人は黙ってそのさまを眺めた。もはや軽口を叩く者は一人もいない。
「扉の鍵は誰も持ってなかったんですか」丸多が〈ナンバー4〉に訊く。
「はい。鍵は誰も持ってませんでした。扉は内側からサムターンを回して閉めるタイプで、逆側からは鍵がないと開けられませんでした。さっきモジャさんががちゃがちゃ回してた扉も多分同じだと思います。屋内の扉の見た目はどれも同じでしたから」
丸多は複雑な顔をしてから、また画面を覗き込んだ。
その間、〈ニック〉による体当たりが繰り返され、扉とドア枠の間に細いすき間が出来上がった。そして、〈キャプテン〉がそのすき間から扉をつかみ、全体重をかけて引き、ようやく扉が開いた。
「シルバさん、どうしました」真っ先に入った〈キャプテン〉が叫んだ。
映像では右の部屋の様子を詳しく観察できなかったが、事前に〈キャプテン〉が報告した通り部屋の明かりが消えていることは確認できた。彼は室内にかがみこみ、床に横たわっているらしい〈シルバ〉を素手で何度も叩いた。
四人も立て続けに入ろうとすると、〈キャプテン〉が厳しい口調で止めた。
「入るな。やばい、シルバさんの意識がない」
〈キャプテン〉は暗い室内で足音を響かせながら、何度もそこらを往復した。どうやら辺りを入念に調べているらしい。ドア枠から室内を覗く四人の背中が、尋常でなく切迫した事態を示していた。
「死んでる?」〈ニック〉が涙声で言う。
「シルバさん」〈モンブラン〉が声を震わせて言ったが、中から返答はなかった。
「裏、燃えてないですか?」〈ナンバー4〉が部屋の奥を指し示し、〈キャプテン〉以外の三人も一斉にそちらに顔を向けた。
「やばい、燃えてる、燃えてる」〈モジャ〉ががなり立て、まだ室内にいる〈キャプテン〉を派手な身振りで呼び戻した。
部屋から飛び出てきた〈キャプテン〉は、鬼気迫る様子で言った。「お前ら、出ろ。早く」
〈ナンバー4〉がすぐさまカメラをつかみ、それにより映像は観るに堪えないほど混濁した。
「そんなのいいから、早く逃げろ」〈キャプテン〉の絶叫、火のはぜる音、混乱した足音、それらが無秩序にスピーカーから流れる。丸多はノートPCに手を伸ばし、場にふさわしくないその音のボリュームを下げた。
「さっき」〈ナンバー4〉はここで映像を止めた。「『グロくない』って言いましたけど、実はここから少しだけ死体が映ります。どうしますか、続けますか」
丸多と北原は無言で頷いた。その三人の姿は、店内のあらゆるところから届く酒宴の声とは極めて対照的であった。
炎に包まれる家を背景に、完全に力の抜けた人体を、〈キャプテン〉と〈ニック〉が運んでいる。〈シルバ〉の首、腕、脚が、今にももげ落ちそうに胴体から垂れ下がっている。
映像の対象はすぐに、遺体から燃える建物へ移った。開け放たれた玄関の扉を通して、すでに室内を舐め尽くす炎が確認できる。それは慌てふためく人々の感情とは無関係に発達し、あたかも一切の慈悲を撥ね付ける地獄の意思であるようにも見えた。
「お前ら」両手を膝に当てて喘ぐ〈キャプテン〉の姿が、画面端にちらっと映る。「シルバさんのそばに付いてて。俺、街に下りて救急車呼んでくる。誰か携帯持ってる?」
「俺、持ってる」〈ニック〉がポケットから取り出し、〈キャプテン〉はそれを奪うように片手で取った。
「俺らはここにいるんですか」〈モンブラン〉は今にも泣きだしそうでいる。
「すまん」と〈キャプテン〉。「とにかく、すぐ戻ってくる。シルバさんを頼んだ」
丸多は少しの音声も聞き逃さないよう、スピーカーに耳を押し当てている。このときの〈ナンバー4〉はカメラをただ抱えているだけで、大幅に揺れ動く映像にもはや意味はなかった。
「シルバさん、シルバさん」〈モンブラン〉の声が断続的に聞こえる。
「このときは」丸多の視線だけが、〈ナンバー4〉に向く。「もしかして、モンブランさんが人工呼吸してますか」
「そうです。僕とモンブランがその場に残りました。何故か、ニックさんとモジャさんもキャプテンについて行きました」
丸多がノートPCから離れ、壁に寄りかかったとき、〈ナンバー4〉が呼び止めるようにして言った。
「丸多さん、まだ続きがあります。特にこの最後の場面を見て欲しいです」
今の場合に気を持たせるような言い方をされ、断る理由など思いつくはずもなかった。丸多は再び前のめりになり、画面を見つめた。
火勢はまだ衰えず、暗い空を執拗に炙っていた。〈シルバ〉の遺体が脇に転がっているようだが、このときの画面には収められていない。
「ここ、よく見て下さい」〈ナンバー4〉が浅黒い指で、画面中央を指した。「何かが小さく光ってるの、わかりますか」
燃えて崩れ落ちる建物のわずか上方、ちょうど「自殺者の霊が出る」と言われた奥の林で、不規則に点滅する青い光が見えた。
「確かに、建物の後ろの方で何かが光ってますね」言いながら丸多は、足下から怖気が這い上がってくるのを感じた。北原も画面に顔を近づける。三人の双眸がその一点に視線を注ぐ間も、その正体不明の火はその法則性を明かさないまま瞬いていた。
「向こうで、何か光ってる」〈ナンバー4〉が枠外の〈モンブラン〉に言った。
火に包まれた家の屋根が轟音と共に崩落した。このときから映像は再び振動を始め、証拠資料としての価値を低下させた。
「ここ、やばい。普通じゃない」取り乱す〈モンブラン〉の声。そして、荒い呼吸と、芝の上を駆け出す二人の足音。




