5. 2019年3月21日(木)②
木造の簡素な建物が画面に現れた。それは丸多が事前に写真で確認したものに違いなく、またはるかに鮮明でもあった。
〈シルバ〉と〈東京スプレッド〉らが、その前庭をうろつきながら呑気に談笑している。〈シルバ〉の逆立てた金髪と日焼けした肌を見ると、丸多の胸に懐かしさと親しみがこみ上げた。
「これは現場の家に到着した頃ですか」丸多が訊いた。
「そうです。確か、夕方の5時前でした。車で到着した直後です」
「撮影してるのは、ナンバー4さんですか」
「はい、この日の撮影は大体僕が担当してました」
しばらくは参加者の和気藹々(あいあい)とした様子が流れた。〈シルバ〉、〈キャプテン〉、〈モジャ〉の三人は立ち話をし、〈ニック〉は〈モンブラン〉のキャップを奪おうとするなどして浮かれ騒いでいる。
丸多は鞄のクリアファイルから、おなじみの「建物図面」を出し、PCに並べて置いた。「今皆さんがいるのは、建物のこの付近ですね」
〈ナンバー4〉は、指差された紙面上の一点を見て答えた。「そうです。家の前の庭ですね。車道の脇に車を置いて、曲がりくねった小道を歩いてきたところです」
「ここで一旦、オープニング撮ろう」〈シルバ〉が言い、撮影者以外の五人が建物の前で横一列に並んだ。全員が、ブランド品らしい半袖Tシャツにハーフパンツという、いかにも若者らしい格好でいる。
ただし、〈キャプテン〉の白いシャツには「お化け上等」という、真剣さの対極にある意思の反映された文言がプリントされている。
彼らの姿がクローズアップされる中、一瞬、丸多によってそれまで意識されなかった物が画面上部に映った。
「今、家の屋根に何か四角い物が張り付いてませんでしたか」
「どれですか」〈ナンバー4〉が少し映像を戻し、該当する物が映るところで止めた。
「これです。この屋根についている」
「ああ、天窓です」
「あの家には天窓がついてたんですか」丸多はいかにも意外そうに、〈ナンバー4〉の顔へ視線を移した。
「はい、僕らが待機していた『真ん中の部屋』があったじゃないですか。そこに陽が差すように取り付けられてました」
丸多は建物図面を改めて眺めた。なるほど、確かに「真ん中の部屋」に窓はなく、日光を取り入れるためには、天井に天窓がついているべきである【図4】。丸多は図面とPCを交互に眺め、問題の家屋を三次元的にも捉えようとした。
「はい、こんちは」撮影を始めた〈シルバ〉の声が聞こえ、三人の注意は再び画面へと向いた。「スターになると言われているシルバです」
〈シルバ〉の半ば冗談めいた挨拶の後、〈東京スプレッド〉の面々が順に名乗る。もちろんここでも、彼ら特有のいい加減さは捨てられていない。
「皆さん、見てください」〈シルバ〉が後ろに体をひねり、片手で家屋を示した。枠内の四人はそれにつられて振り返り、「夜になったら怖そう」「これ、ガチじゃないっすか」「近くに他の家全然ないし」などと、各々似たような感想を述べた。
建物の上には、嫌味なほど澄んだ青空が広がっている。陽気なピクニックとしか釣り合わないであろうその空が、沈鬱さを助長するその家の哀れな性質を浮き彫りにしている。
「見てわかる通り、今日の企画は心霊スポット探索です」〈シルバ〉だけは特に平静を保っている。
「本当にここに一泊するんすか」〈キャプテン〉の顔に明らかに恐怖が浮かんでいる。しかし、それが本物の感情かただの芝居かは、映像だけでは判断できない。
「皆さん、『住めば都』という言葉をご存知ですか」〈シルバ〉は、あくまで表向きはふざけている。
「そりゃ、幽霊にとっては都でしょうけど」〈モジャ〉はむき出しのすねを手で掻いた。
「モジャくん」〈シルバ〉が彼に視線を向ける。「今何て言いました?」
「いや、『幽霊にとっては都』って」
「その通り。実はこの辺」
〈シルバ〉は一呼吸置いてから、囁くように言った。「自殺の名所です」
「はい、解散」〈キャプテン〉がそう言い、〈東京スプレッド〉が走って枠外に散らばっていった。
本来であれば、ここでカットが変わるのだろう。四人はだらだらと〈シルバ〉の周りに歩いて戻り、カメラを気にしない様子で雑談を始めた。
「オープニング、これでオッケーっすか?」〈キャプテン〉が〈シルバ〉に訊いた。
「うん。じゃあ全員、車から荷物持ってきて」
カメラは地面を映しながら、不規則に揺れ始めた。
「ここで」〈ナンバー4〉がキーボードに手を伸ばした。「僕も含めて、全員で家に荷物を運び入れます。長いんでちょっと飛ばしますね」
「あ」丸多が制止した。「すいません。もう一度、建物の外観がわかる部分で止めてもらえますか」
「ここで、いいですか」〈ナンバー4〉は、出演者が整列する直前の場面で動画を停止した。
「はい、ありがとうございます」丸多はそう言って、一分ほど画面を睨み続けた。従業員が天ぷらの盛り合わせを運んできたが、彼はそれに一目もくれなかった。
「ナンバー4さん」丸多は顔を上げ、訊いた。「家は一つの強固な建物だった、とみていいでしょうか」
「と、言いますと」〈ナンバー4〉が飲み込めない様子で訊き返した。
「例えば、どこかに取り外せる壁があったり」
「それは有り得ないです。ご覧の通り、この家は一つのしっかりとした建物でした。見た目はシンプルですけど、人の手でちょっと動かして穴が空いたりするような箇所はなかったと思います」
「そのようですね。建物の外部に裂け目のようなものも見当たりませんね」
「もう、いいですか」
「あ、どうぞ続きをお願いします」
映像の〈ナンバー4〉は玄関の扉を開け、床に足をかけた。そして靴を脱ぎ、湿っぽい板張りの廊下を数歩進んで、中央の部屋へと入った。床、壁も廊下同様、古びた材木から成っていて、家具などの調度品は一切見当たらない。当然、家主が出迎える様子もない。
「これ、もう17時過ぎですよね」丸多がぼつりと言った。
「そうですね」と〈ナンバー4〉。「もう外は暗くなりかけてましたね」
室内には先ほど確認した天窓から光が差し込んでいる。しかし〈ナンバー4〉の言う通り日没も近く、持ち込まれたキャンプ用ランタンによって光が補われている。
「暑いから窓開けよう」〈モンブラン〉の声がし、〈ナンバー4〉のカメラは開いたままの右の部屋の扉をくぐった。
「モンブラン」〈シルバ〉が忠告のように言う。「窓開けないで。蚊入るから」
「ここは、あの右の部屋ですよね」丸多が念を押すように、図面も指し示す。
「そうです。後でシルバさんがこもる部屋です」
部屋の隅には、中央の部屋のものと同型のランタンが置かれている。そして部屋の前方には、以前〈モジャ〉が書き込んだ通り、すりガラスの窓が設けられている。窓枠には茶色い錆びが目立ち、軽く引いても滑らかに開きそうにない。
〈シルバ〉は〈モンブラン〉が開けようとしていた窓に近づき、その鍵を閉めた。それは窓の内側に固定されている一般的なクレセント錠で、こちらも腐食甚だしく、指先に力を込めてもすぐには回せないらしかった。
「窓を開けるのは大変そうですね」丸多は言った。
「はい」〈ナンバー4〉が画面を見つめながら答える。「でも、開けても蚊が入ってくるんで、開きづらくても特に問題はありませんでした」〈ナンバー4〉は一つ一つを思い出すようにして言った。
それからカメラが中央の部屋へ戻ろうとした。ここでも丸多は「ちょっといいですか」と、映像を止めさせた。
「右の部屋にはいくつかダンボール箱が置いてありますけど、これらには何が入ってるんですか」
〈ナンバー4〉が一つ咳払いをした。「これらには人数分の布団とか扇風機とか、車で運び切れなかった物が入ってます。事前にシルバさんと僕で搬入しました」
「ナンバー4さん、事前にこの家に行ってたんですか」
「はい。シルバさんに言われて、彼と一緒にこれらのダンボール箱を車に詰めてここに行きました。シルバさんの運転で」
「いつ頃ですか」
「ええと」〈ナンバー4〉は腕を組んで少し考えた。「事件の日の三日前だったと思います」
「具体的にシルバさんは何と言って、あなたを連れ出したんですか」
「いや、ただ単に『新しい企画やるから、荷物運び手伝ってほしい』って言われました」
「箱の中身は確認しましたか」
「はい。ガムテープで閉じられたりしてなかったんで、中は確認しました。掛け布団と敷布団が六人分、充電式扇風機が一台、あと枕、ロープ、電池、ゴミ袋など細々とした物が入ってました。あと正確に何が入ってたかは、すいません、覚えてないです」
「そうですか、わかりました」
「お前ら、ちょっと集合」〈シルバ〉が合図をした。すると、それぞれの作業をしていたらしい残りの三人が、のろのろと部屋へ入ってきた。
「あの先が心霊スポットだから」〈シルバ〉は言いながら、クレセント錠を回し窓を開けた。
「シルバさんは平気で窓を開けますね【図4②】」丸多は白けた様子でいる。それに対し、〈ナンバー4〉が補足するように言った。「まあ、シルバさんは絶対的なリーダーでしたからね」
映像ではまだ〈シルバ〉が喋っている。「あれ見ろ。『立ち入り禁止』って書いてあるだろ」
〈東京スプレッド〉の〈ナンバー4〉を除く四人が一斉に窓から顔を出す。そして、カメラもそこに向けてズームした。
「あの『立ち入り禁止』の向こうが自殺の名所らしい。夜になったら、全員であの先に行くぞ。今から心の準備しとけよ」
「見るからに気持ち悪いところだな」〈ニック〉の声が枠外から聞こえた。
庭の先には、草木自らそこをどいてできたような筋が伸びている。それもやはり大きく曲がっていて、向こうを見通すことはできない。何事かを隠し持つ薄気味悪い林にはすでに、墨汁を混ぜたような仄暗い空が覆いかぶさっている。
その小径の入り口の両脇には一本ずつ朽木の杭が刺さっていて、それらに渡された鎖がだらんと懸垂線を描いている。そして、そのカーブの中央に、「立ち入り禁止」と書かれた木の札がぶら下がっているのである。これらは同質の腐敗によって互いに負の調和をなし、付近一帯の救いがたい荒廃に拍車をかけていた。
「この『立ち入り禁止』の看板を見ると」丸多がつぶやく。「少なくとも、公的な機関による最近の通行規制でないことはわかりますね」
「そうですね」〈ナンバー4〉にも異論はないようだった。「『立ち入り禁止』の文字も手書きですし、文字が書かれた板もかなり古ぼけてますよね」
「ナンバー4さん、この看板、誰が設置したかわかりますか。家主でしょうか」
「さあ、僕には全くわかりませんね。この看板も、僕が最初にここに来たときからありました」
「事件の三日前にも」
「はい、そのときにもありました。ちらっと見ただけですけど」
動画はさらに続く。部屋の窓は再び施錠され、企画の参加者は屋内に散っていった。〈シルバ〉を除く全員が、直前に見た「立ち入り禁止」の看板に対し、「気持ち悪い」などの否定的な感想を与えていた。しかし、全体としての雰囲気はまだ、旅館に着いたばかりの修学旅行生と変わらなかった。
次に〈ナンバー4〉は、手前に開きかけていた左の部屋の扉を引き、中へ入った。
「こっちは広いな」部屋に入るなり、〈ナンバー4〉がそう言った。それから〈キャプテン〉が手荷物を床に置きながら、通る声で言った。
「シルバさん、こっちの部屋、俺らで使っていいんですか」彼はすでに上半身裸でいて、汗で濡れた背中が隣室の光を照り返している。
「いいよ」カメラは、大声で答える〈シルバ〉の方を向いた。「お前らの荷物は、基本全部そっちに置いといて」
「左の部屋には何もありませんね」と丸多。
「この部屋は、僕らの荷物置き場に使われてました。夜には寝室としても使われる予定でした」
薄暗いその部屋の中で、カメラがぐるりと回った。丸多は無言で、部屋の形状や窓の位置が「図面」の通りであることを確認した。うまく身を隠せるような場所も無さそうであった。
荷物の搬入が完了し落ち着いた頃、陽は完全に沈んだ。〈ニック〉と〈モンブラン〉が相撲を取り、じゃれ合っている横で、三脚を持った〈シルバ〉が〈ナンバー4〉に声をかけた。
「4、カメラ貸して」カメラが〈シルバ〉の手に渡り、映像が固定された。
「ここは大事ですね」丸多が言った。「ナンバー4さん、ここでカメラをシルバさんに渡して、彼がカメラを三脚に固定しましたね」
「はい」
「位置は真ん中の部屋のここで間違いないですか【図4】」
丸多がボールペンで図面に書き入れ、〈ナンバー4〉がそれを覗く。
「はい、その位置で合ってます」
それ以降、カメラは部屋の端に置かれ、録画が続けられた。右の部屋の扉がしっかりと収まっているところに、丸多は何か作為的な意思を感じた。
「おい、お前ら。遊んでないで、ちゃんと仕事しろ」〈シルバ〉が歯切れ良く言うと、二人はそれぞれ「相手から仕掛けてきた」と、使い古された言い訳をした。しかし、すぐ後に奇襲のようにして〈シルバ〉は、〈ニック〉に下手な柔道技をかけた。それを見て〈東京スプレッド〉のメンバーらは「シルバさんも遊んでるじゃないですか」と、口を揃えて愉快そうに言った。
その中で〈ナンバー4〉が一人、無言で室外へと出ていった。丸多はこの場面も逃さずに質問を投げた。
「この場面では、ナンバー4さん、どちらに行かれたんですか」
「トイレです。廊下を曲がって突き当りの。カメラ持たなくて済むようになったんで。ずっとトイレに行きたかったんですよ。でも、すぐ戻ってきますよ」
言う通り、〈ナンバー4〉は二分ほどで室内に戻った。その際、誰にともなく「トイレ暗くて、めっちゃ怖いですね」と言い放った。ここで初めて彼の全身が画面に映った。軽装であることは他のメンバーと変わらないが、ここでも今日の黒縁眼鏡をかけている。
「じゃあ、お前らさあ」中央の部屋に立ち、〈シルバ〉が指揮をとる。「街まで行って、飯とか買ってきて、六人分」
「シルバさん、何がいいですか」〈キャプテン〉が訊いた。
「お前らのセンスに任せる。ああ、あと、水も買ってきて。飲む以外にも、手洗ったりするのに必要だから。一億リットルくらい」
一億リットルという現実離れした指示内容について、メンバーらは特段何らかの反応を示すことをしなかった。
「俺、こっちの部屋で編集してるから」〈シルバ〉は右の部屋のドアノブに手をかけた。丸多は音をたてずに、喉の奥で唾を飲んだ。「集中するために鍵かけとくから、勝手に開けんなよ」
「鶴の恩返しみたいですね」〈モジャ〉が揶揄し、〈シルバ〉が「恩返しして欲しいのは俺の方だけどね」と受け流すようにして返した。
〈シルバ〉は手にノートPCを持ち、部屋に入りかけた。すると〈ニック〉が、彼に声をかけながら後について行った。〈ニック〉の手にはスマートフォンが握られている。
「ニックさんが中に入りましたね」丸多は言った。
「すぐ出てきますよ」〈ナンバー4〉が答え、確かに一分も経たず〈ニック〉が出てきた。
彼がノブを押して扉を閉める際、中から「チーズメンチカツがなかったら、ハンバーグでいいや。あと唐揚げもよろしく」という〈シルバ〉の声が聞こえた。
「了解です」〈ニック〉がそう言ってから、扉は完全に閉じられた。
「ここでは」丸多は増えてきた料理の皿を脇にどけた。「ニックさんはやっぱり、シルバさんの好みを訊いていたんでしょうか」
「多分そうだと思います。あと、店の位置など確認しようとしたんじゃないですかね。電波の届かない場所だったんで、携帯はほぼ意味なかったと思いますけど」
「さてと」〈キャプテン〉が部屋の真ん中で大きく伸びをした。「俺らで買い出し行くか。4、お前は留守番ね」
「任せてください」画面内の〈ナンバー4〉が低い声で言う。敢えて気の利かないように話すところは、丸多とよく似ている。
〈ナンバー4〉以外のメンバーは、各々得意の冗舌をふるいながら、出かける準備を始めた。〈キャプテン〉も上に一枚Tシャツを着た。その中で〈モジャ〉は、言葉少なに早い段階で外へと出ていった。
「モジャさんは随分早く外へ出ましたね」丸多が言うと、〈ナンバー4〉は「車の中でスマートフォンのゲームでもしてたんじゃないですか」と諦めたように言い捨てた。それから〈キャプテン〉と〈ニック〉も出ていった。〈モンブラン〉も財布を取ってきて、二人を追うように出かけていった。




