5. 2019年3月21日(木)①
「もっと人の少ないところにすれば良かったですね」
丸多は夜まで絶えることのない人込みを見て嘆息をもらした。
〈ナンバー4〉の連絡の後、集合場所は、三人ともアクセスしやすいという理由で上野に決まった。そのとき安易な発想で、「西郷隆盛像の前」と提案したことを、丸多は後悔していた。この混雑では、あの特徴のない〈ナンバー4〉が現れても簡単に発見できない。
「大丈夫ですよ」北原は随分リラックスしている。「あいつが来たら、僕が知らせます。顔は見慣れてるんで」
「そういえば」丸多は北原の方を向いた。「昨日、山梨県のコンビニからメッセージが届いたんですよ」
何事か把握できないでいる北原を見て、丸多は補足した。
「あれです。東京スプレッドの目撃情報です。私が先週の土曜、ファミレスとコンビニ何軒かで、名刺ばらまいたじゃないですか」
「えっ」北原は目を見開いた。「東京スプレッドを見た人から、連絡来たんですか」
「はい。昨日、山梨県のあるコンビニの従業員から、直接アプリにメッセージが届いて」
「丸多さんと一緒に昼食取った後に、回ったところですよね」
「はい。地元の男子高校生だそうで、だいぶ前、警察からも似たようなことを聞かれたそうです。その人は、『事件当日、モンブランさんが来店した』と言ってました」
「やっぱり、あの辺で買い物をしてたんですね」
「そうみたいです。夕方6時半くらいに、飲み物などを買っていったそうです。何でそんなに詳しく覚えていたかというと、事件の数日後に、そのコンビニに直接来た警官らから、防犯カメラの記録映像を見せるよう要請を受けたんだそうです。従業員の控え室でその視聴が行われ、その高校生もその場に立ち会ったのでよく覚えている、と言っていました」
「警察は、東京スプレッドの供述が事実と食い違わないか、確認しに来たんでしょうね」
「そうですね。確かモジャさんが、『ナンバー4さん以外の四人は、小屋に着いて撮影準備をした後、買い出しに行った』と言ってました。一応、昨日の証言と合致はしていますね。まあまだ、一部の事実についての確認しか取れていませんが」
周囲では何人かの外国人が、像に向けてスマートフォンのレンズをかざしている。二人は人の流れが変わるたび、立ち位置を器用に移さねばならなかった。
「花見の季節ですからね」北原の顔は観光客のそれと変わらなかった。
「今日は上野は混む、って教えてくれれば良かったのに」そう言われて、北原は八重歯を見せて笑った。
「決して、桜で思い出したわけじゃないですけど」丸多が続けて言った。「北原さん、ちょいすさんの持ち物って、何か持ってないですよね」
「ちょいすの持ち物ですか」
「はい。シルバさんが亡くなったとき、もしかしたら北原さんは彼の遺品のいくつかを受け取ったんじゃないかと思って。それで、その中にもし彼女の物があれば、一つ譲ってもらえないかと思いまして」
北原は腕を組んで考えた。「多分僕、ちょいすの持ち物は持ってないですね。確かに遺品整理のとき、シルバの服を何着か引き取りましたけど、ちょいすの物はなかったと思います。前にも言った通り、あいつとちょいすが別れたとき、ほとんど彼女の実家に返しちゃったんですよ」
「そうでしたよね」
「別れた後も、シルバの家にちょいすが使ってた歯ブラシとか残ってたと思いますけど、もう三年も前だからとっくに捨てられてるんじゃないですかね」
「そうですよね」
「丸多さん、そういえばあの後、ちょいすの家に行ったんですよね」
「ええ、行きました」
「どうでしたか」
「母子ともに、素晴らしい人格の持ち主でしたよ。話もまともに聞いてもらえないまま門前払いです」
丸多が言い終えた後、二人は大きく声に出して笑い合った。
〈ナンバー4〉を探す手間は省けた。約束の時刻17時の三分前に、彼は目ざとくも二人を見つけ声をかけてきた。
「こんちはっす」〈ナンバー4〉は黒いブルゾンのポケットに両手を突っ込んでいたが、中に短銃など握っているのでもなさそうだった。その日は黒縁の眼鏡をかけていて、前回会ったときと比べ、いくらか理知的に見えた。
丸多が「先々週以来ですね」とわかり切ったことを言ったが、〈ナンバー4〉はそれを軽々しくとらえず、「そうですね、お久しぶりです」と丁重に返した。
〈ナンバー4〉が事前に駅前の居酒屋を予約していて、三人は徒歩でそこへ向かった。
店内は、すでに出来上がった客たちの、耳をふさぎたくなるような喧騒であふれていた。丸多と北原は上がり框に靴下で上がり、脱いだ靴を備え付けのロッカーに入れた。その間、〈ナンバー4〉が店員に予約名を告げていて、丸多はそちらを見ずに聞き耳を立てた。しかし、彼が伝えたのは姓名でなく、団体名としての「東京スプレッド」であった。
三人が通されたのは、三方が分厚い壁で囲われた四人掛けの席だった。残る一辺の上方には丸めた簾が備わっていて、それを下ろせば、ほぼ完全な個室にすることができる。
「随分高級なところですね」丸多は率直な感想を漏らす。「こんなところ、会社の飲み会でも滅多に来ないです」
「僕もこんなところ滅多に来ません」〈ナンバー4〉は照れ隠しのように、少し笑みを浮かべた。「今日は個室でないと話ができないんで、無理にこういう高いところを選びました」
ひとまず三人は、現代の儀式とも言える乾杯をすることにした。丸多、北原はそれぞれ、生ビール、梅酒を注文した。〈ナンバー4〉は「酒を飲むと、肌がかゆくなる」として、ジンジャエールを頼んだ。
夕食も兼ねていて、続々と食事が運ばれる中、〈ナンバー4〉が切り出した。
「丸多さん、この前は失礼しました。僕も含めて、うちの連中はあの日、丸多さんを週刊誌の記者か何かだと勘違いしてました」
「いえ、全然気にしてないです」
「丸多さんは真剣に、シルバさんの事件について調べてるんですよね」
「ええ、完全な素人ですけどね。あの事件を知れば知るほど、何もしないでいることに我慢ができなくなってしまって」
〈ナンバー4〉はリュックサックから一台のノートPCを取り出し、テーブルに置いた。ある程度予想してはいたが、それを見て丸多の胸は急激に高鳴り始めた。
「キャプテンに知られたら、俺きっと殺されます」
〈ナンバー4〉のその発言が冗談か本気かわからなかったが、丸多は黙ってその先を促した。
「事件当日の映像データをこっそり持ってきました」
「見せていただけるんですか」
「はい。警察にはもうだいぶ前に提出したんですけど、いつまで経っても犯人は捕まりませんし、こうなったら事件を解決してくれそうな人に見せるしかないと思って。正直、僕も本当に悩んでるんです。事件が解決しないと、どうしても俺らが疑われますし」
「グロいとこ映ってる?」北原が横から訊いた。
「いや」〈ナンバー4〉は少し考えてから答えた。「グロくはない。ただ、最後の方は緊迫して、ちょっと怖いかも。そもそもグロかったら、こんな飯食うところで見せないよ」
「わかりました。ナンバー4さん、非常に助かります」
〈ナンバー4〉は画面の再生ボタンを押した。