4. 2019年3月16日(土)⑦
川崎のマンションに戻ると、アナログ時計の針は10時を指していた。労働の余韻は両隣に分け与えたくなるほどあった。茹でたパスタにオリーブオイルを絡め、さらにバジルソースで味付け、といった技量が丸多にはなく、深夜まで開いている弁当屋の弁当で夕飯を済ませた。
チューナーを備えたPCの画面で、TV視聴ソフトを起動した。夜の番組では、非常に重大な事柄について、非常に重大な人たちが、非常に重大な顔をして話し合っていた。どのくらい重大かというと、食後にコーヒーを飲むか、それとも茶を飲むべきか、という選択にも匹敵した。
丸多はソフトを止め、動画サイトを開いた。その手の動きはすっかり染みついていて、もはや目をつむっていても行うことができる。ウィンドサーフィンなどの、もっと日常を彩る行為を体に染み込ませるべきなのだが、と自嘲気味に思いながら、出てきたサムネイルを順に見ていった。
〈東京スプレッド〉が最新の動画を上げていて、例に漏れずそれをクリックした。タイトルは「メントスコーラ[*1]をカリウムでやってみた」。再生回数はすでに八万回を超えている。
〈キャプテン〉、〈モジャ〉、〈モンブラン〉が横並びで座り、あの真面目さのかけらもない挨拶を口にする。丸多は連中の部屋に一度入ったことがあるため、カメラの位置や三人がいる箇所を、もはや厳格に把握することができる。
「皆さん、カリウムって知ってますか」〈キャプテン〉が遊び半分の口調で言う。
「知らない」「知る予定がないです」と、それぞれ〈モジャ〉と〈モンブラン〉。
「まずこれを観てください」
〈キャプテン〉が言った後、ワイプで〈東京スプレッド〉とは無関係の動画が流れる。同じ動画を二人が、脇に置かれたノートPCで観ているようである。
机の上に水が半分ほど入ったビーカーが置かれている。枠外から手袋をはめた手が出現し、ピンセットで挟んだ小さな個体を水に放り投げる。少し間が空いた後、猛烈な爆発が起き、ビーカーは粉々に砕け散った。爆発に合わせて、元の画面の〈モジャ〉と〈モンブラン〉は、驚きの声を上げ、体を激しく震わせた。
「やばいじゃないですか」〈モンブラン〉がわざとらしく抗議をする。「何ですか、これ」
「やるんだよ、俺たちが」
〈キャプテン〉は言うと、背後に隠しておいた水入りのビーカーと固体を取り、二人の目の前に置いた。そして間髪入れず固体を水に投げ入れた。
「ばかばかばか」〈モジャ〉が慌てふためき、枠外に飛んで逃げる。〈モンブラン〉も同様にそうした。
〈キャプテン〉はそれを見て、腹に両手を当てて笑い始めた。
「何」戻ってきた〈モジャ〉が言う。「何入れたの、お前」
ビーカーの水と固体は何の反応も起こさず、完全な原型をとどめていた。笑い終えた〈キャプテン〉が一言つぶやく。「ただのラムネ」
カットが次に移ったが、やはり部屋もメンツも直前と同じである。
「そういえば」と〈キャプテン〉。「今日は、あのデカ男がいませんね」
「ニックさん、どこ行ったんですか」〈モンブラン〉が首を左右に振る。
「ニックは外出中」〈キャプテン〉は答えた後、居ずまいを正した。「今の動画で水に入れられた物はカリウムといって、非常に危険な物質です。ご覧の通り、水に触れただけで激しく反応します。そんな危険な物を我々が買うことはできません。その辺のコンビニに、グミと一緒に売られているような物とは違うのです。そこで」
〈キャプテン〉は溜めを作った後、声をやや上げた。「ニックに今の動画を見せて、今みたいに水にそれっぽくただのラムネを入れて、そしてあいつの後ろですぐ風船を割る、こういうことをしていきましょう」
「いいねえ」〈モジャ〉が薄笑みと共に言い、さらにカットが変わった。
帰宅した〈ニック〉が何も知らされず、画面中央に座らされる。
「何何何」〈ニック〉の怯え方は演技には見えなかった。「良くないことが起きるのだけはわかる」
「ニック、これ観て」先ほどの爆発シーンが流れ、〈ニック〉が先ほどの二人と同じ反応をする。次に〈キャプテン〉が素早い動作で、コーラのペットボトルにラムネを入れた。そして、〈ニック〉の初動と同時に〈モンブラン〉が膨らんだ風船に針を刺した。
〈ニック〉が悲鳴を上げる様子がスローで流れ、丸多はそこで動画を停止した。
いつもと変わらない。事件に繋がる情報を期待し、首尾よく裏切られたのはこれで何度目か、数える気にもならない。
他のサムネイルも確認するが、一週間前撮影されたはずの、丸多らが訪問した場面を映す動画はまだ上げられていない。
ふと思いつき、〈美礼〉の事故が起きた2017年5月頃に上げられた〈シルバ〉の動画を探してみた。
良い考えだと思ったが、ちょうどその日に撮影されたと断定できる〈シルバ〉の動画はなかった。その時期の動画をいくつか確認してみたが、すべて屋内における彼単独での撮影で、ここでも事故に関わる情報は一切なかった。
それからザッピングのようにして、関連動画を目につくまま開いていった。野球投手の格好をした〈シルバ〉が、〈東京スプレッド〉の五人に「劇薬入り」とうそぶき、ただの水風船を投げつけるコラボ動画。これは、約一年前の投稿とある。そもそも、〈シルバ〉のチャンネルの動画は全て閲覧済みで、そこには新たな情報はおろか、ささやかな刺激さえ含まれていない。
同じような内容が続き退屈した丸多は、画面下部のコメント欄に目を移した。
「シルバなら、登録者百万人夢じゃなかったのになあ」
「生きてたら、今頃大物になってたかも」
「スターになって当然だった」
「スター性十分だったのに」
「何で死んじゃうかなあ」
「犯人がまだのうのうと生きてると考えると、許せん」……
〈シルバ〉の死後、彼へ送られる追悼句の数々。それらを読むと、彼がいかにファンから支持されていたかを実感する。
スマートフォンが鳴った。メッセンジャーアプリによって、北原からかけられた通話だった。
「もしもし、丸多さんですか」
「他の人が出ること、ほぼないだろ」と言いたくなったが、まだ知り合ったばかりであることを思い出し、代わりに「はい丸多です。今日はお世話になりました」と応じた。
「いえ、こちらこそ。今日はずっと運転していただいて、ありがとうございました」
「ええ、どうされました」
「先週僕ら、東京スプレッドの家に行ったじゃないですか」
「はいはい」
「ナンバー4っていう奴がいたの、覚えてますか」
「もちろん、覚えてます」
「そいつが、僕らと話をしたい、と言ってて」
背筋に寒気、そして脳に期待感、両方が同時に走った。丸多が一瞬考える間、北原がさらに話した。
「一旦切りますね。それですぐに、ナンバー4のIDを送信します。あいつ、今丸多さんと話したいみたいで」
北原の言葉通り、〈ナンバー4〉のアカウント情報が送られてきて、それをすぐに追加した。丸多は追加されたばかりの〈ナンバー4〉のアカウント名を確認した。それはシンプルに「N4」とされていて、本名はどこにも記載されていなかった。
ほどなくして着信音が響き、丸多は迷わず「通話」ボタンを押した。
「もしもし、東京スプレッドのナンバー4です」非常に丁寧な口調で、緊張と声の震えも多分に含まれていた。
「丸多です。先週はお忙しいところ、ありがとうございました」
「いえいえ」
「珍しいですね、何かありましたか」
〈ナンバー4〉は口ごもりながら言った。「来週のいつか、お会いできないでしょうか。ちょっと、お話ししたいことがありまして」
よく聞くと通話口の向こうで、〈ナンバー4〉の声が反響していた。どうやら、バスルームから一人でかけているらしかった。
[*1]: コーラにメントス(ペルフェティ・ファン・メレ社製のソフトキャンディ)を投入すると、気化した炭酸と共に中身が一気に吹き出す。その様子を映す動画が2000年代後半から大流行した。




