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4. 2019年3月16日(土)⑤

 皆川に連れられ、二人は階段を上がった。いわくつきの場所であったが、それは直角に折れながら階上へとつながるごく一般的な階段であった。ただし、各段には確かに硬い木材が使用されていて、先の皆川の話と符合する点は多々あった。


「この部屋を美礼が使っていました」

 二階の端に位置する十二畳ほどの空間。PCが乗る作業用デスク、化粧台、薄紫のカバーに覆われたベッド、その他いかにも女性らしい生活用品が、過去の住人の存在を過剰なほどに示していた。


 丸多らは、まさに美術館の中を行くようなしぐさで、室内をおもむろに眺めていった。あまりにも遠慮深く振る舞う二人を見て優越感を覚えたのか、皆川はこの日初めて可笑しそうに微笑んだ。

「いいんですよ。元あった位置に戻してくれれば、その辺にある物を手に取ってもらっても構いません」


 二人も皆川につられ、つい表情を緩めた。せっかくの申し出に対し、空になった化粧水の小瓶など持ち上げようとしてみた。しかし、底に〈シルバ〉殺害犯の名が書いてあるとも思えず、丸多は逡巡(しゅんじゅん)した。


 オーガニックコスメのブランド名よりも丸多の目を引いたのは、背後の広い壁に油性ペンで書かれた落書きの数々だった。彼はそれらを指差して訊いた。

「これは、美礼さんの友人たちが書いたものですか」


 そこには「チャンネル登録者百万人突破おめでとう」というメッセージ、かろうじて読める他のクリエイターのサイン、抽象的で全く判読できないサインが、二流アートのごとく無秩序に描かれている。


「そうです。『百万人突破~』のメッセージは、その通り、美礼のチャンネル登録者数が百万人を超えたとき、UMOREの方々が来て書いてくれました。他のは、あの子と親しくしていた動画クリエイターさんが、ここに遊びに来たときに書き残したものです」


 よく見ると壁の下方に、「俺も早く美礼に追いつくぜ」という景気の良い文言と、それと同じ筆跡で書かれた〈シルバ〉のサインもあった。「2017.3.28」と日付まで添えられている。


「ここには」丸多は皆川の方を向いた。「ずっと美礼さんと二人で暮らしてたんですか」

「ええ、そうです。美礼が動画クリエイターとして有名になり始めたとき、確か2016年の秋くらいだったと思いますけど、私と妹で思い切ってお金を半分ずつ出し合って、ここを購入しました。申し遅れましたけど、私、家具のデザイナーをしてまして、実は私の収入の方があの子のよりも上だったんですよ」

 皆川は最後の一節だけ冗談めかして言い、また少しだけ笑った。

「才能あふれるご姉妹だったんですね。能力をちょっとでも分けてほしいです」

「でも、まだローンは残ってるんですけどね」


 この丸多と皆川とのやり取りから、三人の間を流れる空気は幾分柔らかくなった。続いて二人は隣の明日美の部屋も見学し、そこで彼女が自作だとする家具一つ一つに、その価値以上のお世辞を吐いた。


 三人がリビングに戻ると、裏庭と隔てるガラス戸の向こうに、暮れかけた都会の空が見えた。和やかな雰囲気の中、丸多はそこに立ち「お庭も広くて立派ですね」と言った。


「もう、そろそろ陽が沈みますね」皆川は丸多の前に無理やり体を入れるようにして、素早くカーテンを引いた。丸多はすぐに半歩退いたが、そのとき遮られる前の光景に不自然さがあることをはっきりと意識した。


 庭の隅に置かれた巨大な直方体の物体。あれは何だろう。

 人の身長よりもやや大きいそれにはグレーの幕がかけられ、その上から太いゴムバンドが何重にも巻かれていた。退出時刻は迫っていたので、丸多は即座に訊いてみた。


「あの大きな物置きみたいのって、あれですか。明日美さんのお仕事に関連するものですか」

「ええ」皆川は明るい笑顔を保っていた。「今度の展示会に出品するアイテムのモデルをしまってます。発表前なのでまだお見せすることはできないんですけど、よろしければ、来月に銀座でお披露目するんで、お二人もいらっしゃってください」

「はい、ぜひ楽しみにしています」丸多は言いながら家主の目を盗み、ソファーの下に自身のハンカチを一枚滑り込ませた。

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