4. 2019年3月16日(土)②
丸多は言葉通り車をさらに進ませた。そこは、先ほどの現場付近と比べてやや開けた印象を与えた。助手席の北原が窓外を見て、「この辺りなら夜空がきれいでしょうね」と呑気なことを口走る。
ぐるりと界隈を一周した後、手近な空き地を見つけそこに車を置くことにした。一応、あの怒りをまき散らしに来た老人が、まだその辺をうろついていないか確認した。しかし、その一帯において、歩く人一人の姿も目にすることはなかった。
丸多の後ろを北原が追う格好で、二人は家々の間を縫って歩いた。
「ここにしますか」丸多が立ち止まり、一軒のひなびた家を指差した。
「何がですか」
「何となく中に人が居る気がします」丸多の返した言葉は答えになっていなかったが、北原はそれ以上訊くことをしなかった。
丸多は控えめに二三度、ガラスの引き戸をノックした。そして応答を待つ間、首を回して玄関付近を観察した。
無造作に転がる植木鉢や箒、ダンボールなどは土埃をかぶり劣化しているが、家の脇に停めてある軽自動車だけは、よく手入れされているのか光沢を保っている。
一分ほど待つとガラスの向こうに人影が現れ、レールのきしむ音をたてながら戸が開いた。
現れたのはベージュのストレッチパンツにグレーのセーターを合わせ、その上からどてらを羽織った老婆だった。彼女は戸口に立つ二人に怪しむような視線を投げた。
「恐れ入ります」丸多は発揮できる最大の恭しさで相手に臨んだ。「この先にあった家に奥寺健男さんという方が住んでおられたはずですが、その方をご存知ですか」
「奥寺さんね」老婆は、ざらついてはいるが芯のある声で言った。「知ってるけど、あんたがたどこの人たち?」
丸多は取り出したスマートフォンで〈シルバ〉の画像を見せた。そして、〈シルバ〉が奥寺の所有であるはずの家屋で殺されたこと。また、二人が〈シルバ〉の友人であることを洗いざらい説明した。
すると老婆は、危ぶむ態度こそ変えなかったものの、丸多の口の動きに触発されてか、事件について少しずつ語り始めた。
「あんな物騒な事件が近くで起きるなんて、嫌だわね」
「お察しします。急に押しかけてしまい、申し訳なく思います」丸多が答える。
「奥寺さんはね、変わり者でね。私、もう十年以上あの人と喋ってないの」
「事件があったとき、奥寺さんがどこにいたかご存知ですか」
「知らないわよ、あの人と交流がないんだもの。世捨て人みたいでね、挨拶してもろくに返さないし、うちが野菜なんか届けてもね、全然知らない振りでね」
野菜と聞いて後ろの北原が失笑を漏らしたが、丸多は迷わず尋ね続けた。
「先ほどお見せした中田銀という人と、奥寺さんが接触しているところを見たことがありますか」
「そんな若い人と話してるとこは見たことないわね。あの人独り身になってから、ずっと一人であの家で生活していたみたい」
「奥寺さんはかなり前から、あの家に住んでたんですよね」
「そうね、もう五十年くらいになるんじゃないかしら。あの人が四十過ぎた頃に奥さんが病気で亡くなってね。それから一気に老けだして、それまで続けてた材木屋も辞めた後、蓄えだけで細々と暮らしてたみたいね。その前は元気だったのよ。挨拶すればちゃんと返してくれたし」
「ちなみに、奥寺さんは今おいくつなんですか」「今は八十超えてるんじゃないかしら」
「わかりました。ありがとうございます」
二人は辞去し、歩きながら主に丸多が感想を述べた。
「わかりきってはいましたけど、シルバさんと奥寺さんに親交があった可能性はほぼゼロですね。東京スプレッドが『シルバさんは知り合いからあの家をもらった』という意味のことを言ってましたが、きっとそれも嘘でしょう」
「確かに、シルバに山奥に住む八十歳の知り合いがいたとは考えられないですね」
車に戻った後、北原が訊いた。
「シルバたちは、どうやってあの家を手に入れたんでしょう」
「今はまだわかりませんね」
「付近に似たような家はないんですか」
「私もそれを考えましたけど、ありませんでした。さっきの航空写真の周囲をくまなく見てみましたが、少なくともここの峠に同様の家は他に一軒もありません」




