こぎつねカヤ
カヤは少し変わった色の子ぎつねだ。全体的にオレンジがかった毛色だが、耳と尻尾の先は色付いたもみじのように鮮やかに赤い。
「三匹の兄さまたちはみんな、母さまそっくりの出汁沁み沁みのお揚げ色なのに……なんでカヤだけ、赤いきつねなの?」
カヤはいつも巣穴の中で、自分だけが仲間外れのような気がしていた。
「母さま、カヤは変なきつねなの? 耳や尻尾が赤いと、立派なきつねになれないの?」
カヤは母さまの、大きなふさふさの尻尾に顔を埋めて言った。
「兄さまたちも母さまも、カヤの赤い耳と尻尾が大好きよ」
「でもカヤは枯れ草に隠れても、赤いからお空のトンビに見つかってしまうよ」
『きつねのお揚げ色の毛並みは、木の幹や枯れ草と良く似ているからな。巣穴の外へ出たら、隠れて身を守るんだぞ!』
時々巣穴に遊びに来る、もぐらの三吉さんが教えてくれたことだ。でもそれは、カヤには出来そうにない。
「トンビに拐われてしまったら、きっと立派なきつねにはなれないよ」
泣きべそをかくカヤの赤い耳を、母さまは優しくペロペロと舐めてくれた。
夏が来て、ずいぶん大きくなった巣穴の子ぎつねたちは、元気に外で遊ぶようになった。でもカヤは、怖くて外に出られない。
「カヤ! まんまる池のおたまじゃくしに足が生えて来たぞ! 面白いから見に行こう!」
「裏の小川に蛍が飛んでる。すごくキレイだよ。夜ならトンビも飛ばないから平気だろう?」
兄さまたちがいくら誘っても、カヤは首を横に振るばかり。
「外は怖いよ。それに、カヤはみっともない赤いきつねだから、一緒にいたら兄さまたちも笑われてしまうよ」
カヤは蒸し暑い巣穴に閉じこもり、だんだん元気がなくなっていった。
お山に実りの季節がやって来た。子ぎつねたちはそろそろ巣立ちの季節を迎える。カヤは怖くて仕方ない。もうすぐこの安全な巣穴から出て行かなくてはならないからだ。
「カヤ! カヤ! お山が赤く色づいたよ! 今ならカヤの隠れる場所がたくさんある。ほら、一緒に行こう!」
カヤが顔を上げると、カヤそっくりの赤い子ぎつねが三匹、巣穴の入り口から中を覗き込んでいた。
「兄さまたち……どうして? きつねは三回しか化けられないのに……!」
きつねは一生のうち三度だけ、何にでも好きな姿に化けることが出来る。兄さまたちは、その大切な一回分を使って、カヤと同じ赤いきつねに化けてくれたのだ。
「カヤは今の俺らを、みっともないと思うのか? 俺はイケてると思うぞ!」
力持ちの一番上の兄さまが言った。
「きつねは『好きな姿』に化ける。僕たちはカヤが好きだから、これは正しい選択だ」
口の達者な二番目の兄さまが言った。
「夏の間に赤くなりそうな場所を、たくさん探しておいたよ。全部教えてあげるから、一緒においでよ」
穏やかな三番目の兄さまが言った。
振り向くと、今まで決して無理強いしなかった母さまが、鼻先で優しくカヤの背中を押した。
「行く……! カヤも兄さまたちと一緒にお外で遊びたい!」
カヤは勇気を出して、巣穴から飛び出した。
秋真っ盛りのほっこりと色づいたお山を、四匹の赤い子ぎつねは、コロコロと転がるように駆けた。こぼれそうに口を開いた柘榴、甘い匂いの木苺、美しく山を彩る楓や紅葉、食べ頃のアケビ、南天の実……。
兄さまたちの言う通り、お山は赤いものであふれていた。
陽当たりの良い山の斜面や木々の切れた原っぱには、様々な秋の花も咲いていた。
ふわりと柔らかそうな百日草、甘い蜜を蓄えたヒゴロモソウ、群生する秋桜、荘厳に咲き誇る彼岸花。
カヤは、ずっと自分を異端足らしめる赤い色が、どうしても好きにはなれなかった。身を切ると出る血の色は、不吉や危険の色としか思えなかったのだ。
だが山を彩る『赤』は豊かな実りの色だった。厳しい冬の前に弾ける、暖かく力強い命の色だった。
夕方になり変身が解けると、兄ぎつねたちはカヤを見晴らしの良いススキ野原へと連れて行った。大きな夕陽に照らされた野原は、全体がカヤの色だった。お揚げ色に戻ったはずの兄さまも、ほんのりと色づいて見える。
ススキ野原のそこかしこで、たくさんの実を付けた鬼灯が、カサカサと風に揺れていた。空を見上げればトンビではなく、夕陽と同じ模様をつけた秋茜が群れ飛んでいる。
少し冷たくなった風が、ススキ野原を割って吹き抜けてゆく。風が通った跡をカヤは追いかけて走った。
もう、怖くない。ススキ野原は兄さまの色。鬼灯はカヤの色。風に揺れて、子ぎつねたちを全部まとめて隠してくれる。
例えば今、トンビがピーヒョロロロと鳴きながら、お空に輪を描いたとしても。
「上手に隠れて、逃げてみせる!」
もう、怖くない。例えばカヤを誰かが指差して『赤いきつねなんて、みっともない』と笑ったとしても。
「そんなの全然、怖くない!」
大好きな母さまと兄さまたちが、カヤの赤い耳と尻尾を好きだと言ってくれる。それだけでカヤは、どんなきつねにだって負けないと思った。
「それで? 母さま! それで、カヤはどうなったの?」
「カヤは外が怖くなくなって、自分の赤い耳と尻尾が好きになって、トンビに拐われることもなく、立派なきつねになったのよ」
「どうして母さまは、仙狐になったの? 人間の父さまとは、どこで出会ったの?」
「立派なきつねになったカヤは、仙人さまに弟子入りして、冒険の旅に出かけるの! でもそれは、また明日の晩のお話。もう寝る時間よ」
カヤは、お揚げ色の耳と尻尾を持つ愛しい娘の髪を撫で、そっと額に口づけた。
「美味しそうな、出汁沁み沁みのお揚げ色……」
(ふふふ。兄さまたちや母さまそっくり。この娘は私と同じ赤が良かったって言うけど……)
何色だって構わない。人間でも仙狐でも、普通のきつねでも構わない。何ものでも、どんな姿でも、愛おしさに違いはない。
カヤは毎年秋が来るたびに、初めて巣穴から飛び出した日のことを思い出す。あの日、兄さまたちが連れ出してくれなかったら、母さまが背中を押してくれなかったら、自分は巣穴の中で弱って死んでしまっただろう。
もうすぐ今年も秋がやって来る。故郷の山はどんなにか、豊かに色づいていることだろう。あのススキ野原で、赤い鬼灯の実は、今も風に揺れているだろうか。
今年も寒くなる前に、この娘を連れて、故郷の山へ帰ろう。
カヤは小さな声で、子守り唄を口ずさむ。いつか巣穴の中で聞いた唄だ。お揚げ色の兄さまたちと団子のように重なって、母さまの揺れる尻尾を目で追いながら、まどろみの中で聞いた唄。
今は、カヤが歌う番になった。
きつねの巣穴はどこにある
南の斜面の松の木の下
きつねの巣穴はどこにある
シロツメクサの野原の先
きつねの巣穴はどこにある
小川を越えて 丘越えて
一番星を目印にして
きつねの巣穴はどこにある
まつぼっくりを転がしてごらん
ほら、子ぎつねが飛び出した
おしまい