全く、ざまぁないですよ。
ここ最近のことですが、私の婚約相手、第二王子エルリックの様子がおかしいのです。
数週間前までは義務感からでも文を送り合っていた仲だったのに、気づけば私からの一方通行になっています。別にたかが数週やりとりが無くなったところで普段なら気にしないのですが、今回ばかりは原因が思い当たる故に、そうも言っていられないかもしれません。
エルリックが私を見るたびに苦虫を噛み潰したような表情になる訳は、既に影の調査によって明らかになっています。
___新しく転入してきた平民の子、あの子に惹かれて……いや、誑かされて、と言った方がいいかな。それが理由みたいです。
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エルリックと私は、私の両親が王家に取り込むために利用された者同士で、子供の頃から婚約関係になっています。
彼は、整った容姿に鋭い碧眼、柔らかなウェーブの金髪、見上げないと顔を合わせられない身長、それでいて頭脳明晰な言葉遣い……何から何まで、私とは釣り合わないと感じるほどの王子です。そして、何よりも優しい方でした。だから、縁談が決まった時は、子供らしくはしゃぎ回ったのを覚えています。
しかし、そんな彼との関係も、いつの間にか変わり果て、今となっては目の敵にされるようになってしまいました。
入学したばかりの頃は同じ学校に通えることにワクワクして、彼と話しては事ある毎に一喜一憂していたというのに……
「君は黒い薬物の中毒者なんだろう? 僕と彼女の恋路を邪魔しないでくれるかな?」
もう彼と話していても、私の心が動くことはありません。現実を受け止められない私の防衛本能が、今の私の氷の無表情を作っているのでしょう。
「アリエル様がそういうことをしてるって見た子がいるのは事実でも、そんな言い方しなくてもいいでしょ! エルリック!」
そして始まる、学校の教室の中で幾度となく繰り返されている茶番。
根拠の無い言いがかりを真に受けたエルリックが私を拒絶し、それを平民の彼女、ユリアが窘める展開。芸が無いなと笑い飛ばしてやれればいいのでしょうが、私の恋心はそんなに軽く投げ捨てられるようなものではありませんでした。
この後は、二人が脈絡も無く見せつけるように愛を確かめ合うためにキスを____
「……っ!!」
だめだ。
無理、私には耐えられない。
私はいつも通り逃げ出しました。それを遠巻きに男子達が笑っています。でも、女子の皆は私の気持ちを分かってくれてるみたいで、同情的な目を向けてくれているみたいでした。
振り向き様に見た、何よりも好きだった彼の瞳は、晴れ間が曇ってしまったように、どんよりと暗い感じに見えて……ただ自分の視界が涙に滲んだだけだったと、冷静になって気がつきました。
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「お前との婚約を、破棄させてもらう」
そして、いつかくるだろうと思っていた日がついに来ました。
ダンスパーティの最中、大臣達も集まっている厳かなホールの中心で、私は謂れの無い罪を着せられ、大好きだった王子様に断罪されています。
「彼女は王国の裏ルートに出回っている違法な薬物に手を染め、その心までもを病に犯されてしまっている。立場を笠に着て、そのような行為に及ぶなんて、婚約者としての自覚は無いのか! 証拠の取引ルートは僕がこの世界で誰よりも信頼している彼女が既に確保している。言い訳は不要だぞ」
まるで物語のワンシーンのように、証拠の羊皮紙を全方位に見せつける彼を、私はただただぼーっと眺めました。
苦悶の表情に歪むエルリックのことを心配できる体力は私にはもうありません。
「君の行く先がどうなるかは知らない。それに、もう誰と婚姻を結んでも構わない。ただ、僕たちの邪魔をするのはもうやめてくれ」
周囲がざわつく中でも、彼の声は響きました。
でも、そんなものより____
「フフッ……」
ユリアのこちらを馬鹿にするような嘲笑だけが、私の頭の中を支配していました。
(ああ、そうですよ。これは嫉妬ですよ。
良かったですね、無事私という障害を突破してエルリックと関係を持てて)
ユリア、あなたは計画通りと内心でほくそ笑んでいることでしょう。それをエルリックの前ではおくびにも出そうとしないのが腹立たしくて仕方ありませんが。
でも……窮鼠猫を噛むということわざをご存じでしょうか?
「これら全てがそこの聖女、いや平民。ユリアの手のひらの上だったとしても、同じことを言いますか?」
「言い訳は聞かないと……」
「さっさとその偽造書類は捨ててください。こちらが本物のルートを書いた羊皮紙です」
影の者から、一枚の紙を受け取り、エルリックにまじまじと見せつける。
「……これは、本物の兄上の印鑑!? どうして二つの書類に印鑑が……」
「内容がまるで食い違ってる書類二つに印鑑がある理由は簡単ですよ。そちらが偽造されている、ただそれだけのことです。隠居されてもう長いですが、少し苦労して第一王子殿下に連絡を取りに行けばすぐにでも裏が取れるでしょう。もちろん、皆さん好きに調査して構いませんし、第一王子殿下に聞いて私の書類の方が偽物だと言われるようなことがあれば、私のことは不敬罪で処刑していただいて構いません」
私の強気な発言に、ユリアがわずかに口を弧にしたのが窺えた。ええ、そうでしょう。あなたにとっては想定内でしょうね。でも、
「ああ、それと第一王子殿下の洗脳は解除済みですよ?」
これで詰みです。
「洗脳……?」
エルリックが相変わらず私を蔑んだ目で見つめています。それが嫌で、ユリアの方に視線を移せば、蛇に睨まれたように目に見えて動揺しているのが分かりました。
「……っ!! なんで!?」
「ユリア……?」
「聖女の光魔法は、まさしく“目が眩む”魔法。心地よい気持ちにさせた上でなので気づかれづらいですが、その本質はただの洗脳。かなり古いですが、王国の文献にも残っています」
「そして解除の方法は……光を消すなら影を、陰魔法を使えばいい。落ちこぼれだと思っていた私の魔法適正がこんな形で役立つとは思いませんでしたよ―――」
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それからのことは、あまり思い出したくありません。
あの場では事の真偽はつきませんでしたが、大臣達の調査によって徐々に光魔法の真実が明らかになりました。その効果はまさしく洗脳で、今まではこの効果を悪用しようとする愚かな聖女がいなかったために、重視されることもなく、一般には知られてはいなかったようでした。
ユリアは色々あって投獄されたそうです。聖女であっても犯罪を犯す、という今までの常識を壊すような事例を作ったことは、まさしく歴代の聖女への冒涜です。恐らくかなり重い罰が課されることになるでしょう。ああ、そういえば、呪言のように私の名前を呟いていたそうですが、エルリックに一喝されてすぐに黙り込んだとか。歪んでいたとは言え、彼女がエルリックに向けていた恋心も、本物ではあったのかもしれません……それだけは認めてあげます。
私の方は慰謝料を渡され、大して何かをしたわけでもないのに少しだけ地位も上がりました。エルリックの王子としての体裁を保つ上でも、私にある程度の恩恵を与える措置が必要だったのでしょう。
「すまなかった……」
そして、エルリックの洗脳が無事解除された後、ようやく正式に謝罪される時が来ました。
でも、私は以前のような気持ちで彼を見ることはできません。
「謝罪なんて……」
今更謝罪されたところで、少なくとも私の中では何かが変わるとも思えません。
「ユリアの方が……好きだったんですよね? 良かったですね。いつでも抱きつけて、いつでもキスできて、その……まあ、私はそんなことさせてあげられなかったですし」
「いや、そんなことを俺は気にしな「私は気にします」……」
「目の前で嫌みったらしくいちゃいちゃして、好き好き言っちゃって……なんで私の時はそうしてくれなかったんですか! 私だってあなたのことが大好きでしたよ、それこそ周囲の目なんて気にならないくらい! あなたが言ってくれれば、私だって…………私だって!!」
「……っ」
話していて、自然と涙が出てきました。それでも、今までよりは気持ちがずっと楽に感じました。
同時に、私の中に溜まっていたものが一つこぼれ落ちてしまって、大きな穴がぽっかりと空いてしまったような感覚もありました。
「エルリック、好きでした……本当に初恋だったんですよ?」
こうして好きを口にしたのは今日が最初で最後でした。自分勝手な形になりましたが、それはお互い様でしょう。言葉にして気持ちを伝えられただけ、想像していたよりはマシな終わり方だったかもしれません。
「ま、待って……僕は……! 本当は君のことが……!!!」
「無理です、もう信じられません! さよなら!!」
談話室のドアを閉め、勢いで鍵まで閉めました。これじゃエルリックが出れなくなります、馬鹿ですか。すぐ開けました。
それからドアの前に立つと、ため込んでいた涙がボワッと溢れてきて、私はダンゴムシみたいにその場にうずくまりました。ドアの向こうでエルリックが気を遣って気づかないフリをしているのが分かってしまって、余計に涙が止まらなくなります。
「本当に…………本当に好きだったんですよぉ……」
ユリアさえいなければ……と言いたくなりますが、今現在罪を償っている彼女に恨み言を言うのも酷でしょう。
「エルリック……エルリックぅ……!!!」
でも、でも―――
☆☆☆☆
それから7年経って、私ももう立派な成人になりました。
当然既に学校も卒業しています。今では、主に領内の内政の方面で私も活躍しています。根暗気味な私には案外こっちの才能があったらみたいです。
そして――
「あの時のことを水に流せとは絶対に言わない。それでもッ……! 君のことがどうしても忘れられないんだ! 僕ともう一度……!!」
王宮に呼び出されたと思えば、懐かしい顔に愛の告白をされてしまいました。
男を上げたからもう一度自分のことを見て欲しい、ということなのでしょう。
第一王子が隠居を決め込んでいたこともあって、今ではエルリック様が王座を継ぎ、国王となっています。その上、彼の美丈夫にも磨きがかかっていて、私たちを囲んでいる令嬢達からは憧れの視線を向けられています。彼女らの気持ちは、それはもうすごく分かります。
「でも、お断りします」
「君のためなら、俺はどんなものでも差し出すから。この身に代えてでも、君を守り抜くし、君を幸せにしてみせる。だから…!!!!」
「うーん……だめです」
「…っ! そんなに昔のことが……っ!」
エルリック様が、あの時の私のように泣き崩れます。
彼の言葉に嘘偽りが無いことは、鈍感な私であっても流石に分かっています。彼ほどの男性が、私のことを忘れずに、あれから一度も女性と関係を持ってなかったことが、何よりもそれを物語っているのも伝わっていますよ。
でも、本当にごめんなさい。私はどうしてもあなたが全てを裏切るかもしれないってトラウマを克服出来ません。
「そうですよ。だから……どうか、私などではなく、他の方と幸せになってください」
でも、仮に私があの頃のことをどうしても許せなくても、あなたが幸せになっていけないわけではないから。
「……いや、無理だな」
「でしょうね」
だから、こんな距離感の掴みづらい関係がずっと続いてるんでしょうね。
「全く、ざまぁないですよ」