9 その後 ~ダニエルの結婚
ダニエル視点の最終話です。
コーデリアと結婚して新しい人生を歩み始めたダニエルは、自分の隣で寝息を立てる妻の顔を、満ち足りた気持ちで見つめていた。
やっと手に入れた。そう心の底から安堵して。
伯爵家の次男であり離婚歴のあるダニエルがコーデリアと結婚できるかどうかは、正直なところ、微妙だった。
貴族の間で結婚相手として人気が高いのは、何と言っても家と財産を継ぐ嫡男だ。娘に安定した生活を送らせたい親心である。
バーロウ子爵の考え次第では、爵位持ちとの縁談が進められてもおかしくはなかったのだ。
コーデリアは、意に沿わない結婚を警戒して家を出る準備をしていた。しかし、親の反対を押し切ってまで慣れない暮らしを続けられるとは、ダニエルには思えなかった。
彼女は親に大切に育てられていたし、市井で暮らすには世間を知らな過ぎた。
ダニエルがバーロウ子爵に受け入れられたのは、コーデリアを養うための資金が潤沢だったからだろう。
婚家では厄介者で父親の教育の成果を発揮できなかったが、その代わり、空いた時間で個人資産を大きく増やすことに成功したのだ。
将来有望な事業に投資し、いくつかの不動産を保有して不労所得を得られるまでになっていた。
今二人で暮らしている家は、いつか離婚した時のためにと自分用に購入しておいたものだ。
貴族街の豪邸とはいかないまでも、豪商や官僚などの富裕層が住む高級住宅地にある。家政婦を雇えるだけの余裕もあった。
爵位だけの貧乏貴族より、余程いい暮らしだ。
それを認められたのだと、ダニエルは考えている。
騙し打ちのような形で、家をコーデリアの名義にした。
彼女の暮らしは安泰のはずだ。
だがしかし――――
「おはよう、ココ」
「おはよう、ダン。あら、もうこんな時間? 急がないと遅刻しちゃうわ」
目覚めのキスもそこそこに起き上がり、ダニエルは少し寂しくなる。
コーデリアは、癒し魔法の適性が認められ、宮廷魔術師として回復薬作りの仕事に従事しているのだ。無理のない範囲で週三日ほど宮廷内の仕事場へ向かう。
今日は、その出仕日らしい。
(まったく、あの人たちは……!)
金には困っていない。
しばらくは二人きりで、のんびりと過ごすつもりだったのに。
こんなはずではなかったと、ダニエルは頭を抱えた。
それもこれもマーロー公爵領のホテルで芽生えた女の友情のせいである。
ダニエルの前妻グレース・オールストンと、アレックスの前妻セシリア・マーロー。
その親友たちの二日酔いを癒し魔法で回復させたコーデリアは、結婚後、ポーション作りの仕事を紹介されたのだった。
『宮廷魔術師』は、魔法の才に恵まれた者しか名乗ることを許されない国王に認められた名誉称号である。爵位ではないが、それに準ずる扱いを受ける。
その中でもポーションの作り手は、医療だけでなく軍事にも不可欠ということで優遇されているのだ。
当然、王家主催の舞踏会や晩餐会などの招待状が届くことになる。
お人好しなコーデリアは「わたくしの魔法が人の役に立つのなら」と出仕しているが、親友たちの狙いは、その舞踏会や晩餐会にコーデリアとその夫を引っ張り出して和気あいあいと楽しむことなのだ。
妻と前妻が仲良くすることで、オールストン家の円満離婚を世間にアピールする思惑もあるのだろう。
以前、コーデリアに宮廷魔術師になるよう助言した手前、ダニエルは反対できなかったのだ。
「まだ早いよ」
すっかり不貞腐れたダニエルが、コーデリアをベッドに引き止める。
「早く仕事を終わらせて、王都に着いたばかりのセシリア様とお茶会なの」
「もうそんな季節か」
また社交シーズンが始まるのだ。
◇◇
結局、ダニエルは、念願の夫婦水入らずを手に入れるのに二年かかった。
コーデリアが妊娠して産休に入ったのだ。
「お子様が生まれたら、賑やかになりますよぉ。静かに過ごせるのは今だけです」などと、家政婦のエリンが脅かす。先日、姉夫婦に子どもが産まれ「毎日が戦争」なのだという。当のエリンは、まだ独身である。
パブリック・スクールに入学した息子たちは、夏季休暇の間は領ではなく王都の屋敷に滞在している。時々、グレースと一緒に、この家にも遊びに来る。
やっとダニエルは、気兼ねなく自分の子どもと会えるようになったのだ。
「父上!」
「お父さま、お会いしたかったです」
まだ声変わりをしていないあどけない声で父と呼ばれた時、ダニエルは不覚にも涙を零した。彼らにしてみれば、養育係のマーサを通じて密かにプレゼントと手紙を送るだけの冷たい父親だったはずなのに、恨んではいなかったのだ。
息子たちは、コーデリアとも打ち解け「おねえさま」と呼んでいる。膨らんだお腹を撫でながら「妹がいいなぁ」などと言って、生まれるのを楽しみにしている。
「そう言えば、アップルトン伯爵の噂を聞きまして?」
遊びに来ていたグレースが、突然、思い出したように口を開いた。
「いいえ? アレックスがどうかしたんですか」
コーデリアが エリンの淹れたハーブティーを飲みながら答える。
アレックスは、未だ独り身だ。
妻の前夫の名など、耳にするのも虫唾が走るが、なんとなくダニエルも興味があった。
「女優チェルシー・アボットのパトロンになったらしいの。マッカン侯爵夫人は、もうカンカン。だけど、息子がちっとも言うことを聞かなくて、最近では寝込んでいるって話ですわ」
「へぇ~、あのアレックスがねぇ。なんだか意外ですわ」
あのマザコンが、と言いたいのだろう。
貴族が女優のパトロンになることはめずらしくない。要は、愛人契約である。『妻以外の女性を妊娠させない魔法』がなかった親の世代では、庶子を儲けることもよくあった。
とある公爵には、気に入った愛人との間に七人も子を儲けたという逸話まである。しかし、どれだけ子がいようと、身分違いでは公爵夫人にすることは叶わなかった。愛人だから割り切った関係とは限らないのである。
「……本気なのかもしれませんわね」
コーデリアも同じことを思ったのか、ポツリと呟いた。
そして、季節は巡ってゆく。
コーデリアは一男一女の母となり、宮廷魔術師として出仕を続けている。
ダニエルも弁護士として忙しい日々を送っていた。
育ち盛りの子どもたちは元気がよすぎて、二人でゆっくりできるのは夜眠る前のひと時だけだ。
この日の夜もダニエルは、マッサージをして妻を労わろうと両手をその肩に置いた。魔法は使えないけれど、意欲的な日々を過ごすコーデリアにも癒されて欲しいと願っているのだ。
その瞬間、くるりと体勢を入れ替えられベッドにうつぶせにされる。
「ココ、今日は僕が……」
「いいの、わたくしがしたいの」
柔らかく、けれど有無を言わさぬ口調で言われ、ダニエルは負けた。「次は僕の番だからね」と明日の勝ちを確定させて引き分けに持ち込む。
こんな攻防が毎晩続いている。
「ん~、腰がガチガチになってる。疲れてるのね」
「ううぅ……」
コーデリアの魔法に癒されながら、ダニエルは思わず唸り声を上げた。
癒し魔法と相性が良いというラベンダーの精油が、鼻先でほわんと香る。段々と瞼が重くなった。
「ココ……生まれ変わっても、また君と一緒になりたい」
意識を手放す前に、もう遮られることはない愛の言葉を囁く。
「ダン、わたくしもよ」
夢現でコーデリアの返事を聞き、ダニエルは、今日も幸せな気持ちで眠りにつくのだった。
最後まで読んでいただき、感謝します。
評価&誤字脱字報告、ありがとうございました。