7 ただのコーデリア
コーデリア視点です。
コーデリアは、社交シーズンが終わる前に王都を離れた。
今は、マーロー公爵領にある海辺の観光地にいる。
婚家にないがしろにされて社交場に顔を出せなくなった娘を見かねて、父親のバーロウ子爵が重い腰を上げたのだ。
「後のことはこちらでやるから、おまえは、のんびり観光でもしておいで。ちょうど人気のホテルをリザーブできたんだ。窓から海が見える美しい場所だよ。きっと気に入るだろう」
ダニエルの妻であるオールストン女伯爵が王都入りしたのを機に、コーデリアは旅立った。
家の購入はダニエルを通じて、彼の友人の弁護士事務所に任せてある。王都に戻ったら、鍵を受け取りに行けばいい。
もうダニエルと会うことはあるまい。すべて終わったのだ。
コーデリアは、ただ、癒されるためにここにいる。
夏の終わりの潮風。
海に沈む夕日。
寄せては返す波の音。
ゆっくりと一日が過ぎ、心は不思議なくらい凪いでいる。
それでもホテルで彼と同じ葉巻の匂いとすれ違うと、つい振り返ってしまう。
『アモル・エテルノ No.2 』。小説の題名と同じ『永遠の愛』と名付けられたその葉巻は、チョコレートのようなほろ苦さの中にマスカットに似た甘い香りが入り混じる。
愛は甘いだけではなかったのだ。
「お嬢さまぁ~、探しましたよ……ああっ、そんなに砂まみれで、何をやっているんですかっ?」
人が少ないのをいいことに、コーデリアが裸足でペタペタと砂浜に足跡をつけていると、エリンが慌てた様子で走って来た。
エリンは、コーデリアの旅のお目付け役に任じられたバーロウ家の使用人である。コーデリアと年が近くまだ若いが、しっかり者なので母親のバーロウ夫人に気に入られているのだ。
「エリンもやってみたら? 気持ちいいわよ」
「勘弁してくださいよぉ、私が奥様に叱られますって。今、拭くものをお持ちしますからね。ここを動かないでくださいよ?」
ブツブツ言いながらもホテルに取って返す世話焼きなエリンをコーデリアは笑って見送る。
「ホント、お嬢様は、子どもみたいなんですから」
「えー、王都で独り暮らしなんて、お嬢様にはムリですよぉ」
「絶対に再婚したほうがいいですって!」
屋台のジュース一つ買うにも覚束ない世間知らずのコーデリアに対して、エリンはズバズバと言いたい放題であった。
しかし、エリンの物おじしない陽気な性格のお陰で、コーデリアは、何だかんだと楽しく過ごせたのである。
そうして秋になったある日の朝、コーデリアの二の腕に刻印された『夫以外の子どもを身ごもらない魔法』の魔法陣が消え、離婚が成立したことを知った。
◇◇
(ど、どうしてこうなったのかしら?)
アレックスの前妻セシリア・マーロー公爵夫人とダニエルの妻グレース・オールストン女伯爵を目の前にして、コーデリアは平静を装うのに必死である。
常識的に考えれば、二人とは相容れぬ関係であろう。
コーデリアの社交界入りと同時にセシリアが社交界を去り、グレースは社交場にほとんど顔を出さないため話したこともない。
コーデリアは、そろそろ王都へ戻ろうかと思案していた時、ホテルの支配人を通じてオーナーから茶会の招待を受けたのである。
ここがマーロー公爵領で、このホテルのがマーロー一族のものであり、その当主の妻がアレックスの前妻であることなど、すっかり頭から抜け落ちていた。尤も、子爵の娘に断る選択肢はない。
自領への帰り道だというグレースがわざわざ同席しているということは、ダニエルと密会していたことが発覚して、これから断罪されるのだろう。
自分が仕出かしたこととは言え、コーデリアは暗澹となった。
ホテルの一室を借し切った茶会の席には、お茶の代わりにビールとワインが、お菓子ではなくチーズやカナッペといったつまみの数々が置かれていた。
「…………と言うわけでぇ、ほーんと、スカッとしましたわぁ。人を出来損ないみたいに罵っておきながら、実は息子が不妊だと知ったあのババアの顔といったら! ヒック……コーデリア様もお辛かったでしょう。あんなマザコン男に女の若い時間を奪われるなんてお気の毒に……よよよ……」
セシリアが、べろんべろんに酔っぱらいながら、舞踏会でアップルトン家に仕返ししたことを報告した。ハンカチで涙を拭い、チーンと鼻をかむ。酒に弱いのか、酒癖が悪いのか。生憎、ここには彼女を止められる者は誰もいない。
(アレックスが原因で子ができなかっただなんて!)
コーデリアは驚いたが、肩の荷が下りたような気がした。自分に『産まず女』の傷がつくことで、妹の縁談に支障が出るのではないかと心配していたのだ。
「ありがとうございます。このままでは実家に迷惑をかけるところでした」
「わたくしはぁ、ただ、自分の復讐を果たしただけですわぁ。ヒック……たまたま夫がぁグレース様の婿君から……ヒック、アップルトン家の現状を聞いてぇ、これはチャンスだと社交界復帰を早めたのですぅ。急いで王都へ向かった甲斐がありましたぁ。オールストン家には、感謝してますわぁ」
コーデリアは、ダニエルがかかわっていたと知り、どぎまぎしながらグレースにも「ありがとうございます」と頭を下げる。
するとグレースが、グイッと赤ワインを呷った。
「もう婿ではありませんわ。離縁しましたから」
「えっ、あ、あの、それは…………」
自分のせいではないのか――――そう口に出しそうになって、コーデリアは慌てて言葉を呑み込んだ。
心臓がバクバクと音を立てている。
「誤解なさらないでね。もともと離縁する予定で魔法契約を交わしていたのです。どこの誰かは知らないけれど、元夫に好きな人ができたのは、ただの偶然ですわ」
「え……?」
あからさまな目こぼしをされて、コーデリアは拍子抜けする。
グレースは、もう一杯ワインを呷った。
「すべては私のせいですの」
グレースは、酒の力を借りてぽつりぽつりと語りだす。
オールストン家が婿に抱いた警戒心。
居場所を奪ったこと。
無理矢理交わした離婚の魔法契約書。
子どもを取り上げたこと。
幼馴染みの執事との愛。
この時、初めてコーデリアは、ダニエルがオールストン家でどんな暮らしを送ってきたのかを知った。
「そもそもぉ、女が爵位を継げないこの国の制度にも……ヒック、問題があるのですわぁ。異例だからぁ、必要以上に警戒されたのですよ。しかもぉ、跡継ぎを産むのは女で……ヒック……グレース様にばかり、あれもこれもと負担がかかりすぎてぇ……ムリですよぉ、ヒック……」
「わたくしも、そう思います」
セシリアがグレースをかばい、それも一理あるとコーデリアは同意した。
領を統治しながら家政をして、その上、妊娠出産をこなすなんて無茶だ。ダニエルの孤独を思うと胸が詰まる。だが、きっと、どうにもならなかったのだ。
「……ありがとうございます。息子たちも学校の寮に入ることになりましたし、これからは社交場にも積極的に参加しよう思っておりますの」
「そういうことなら、お任せくださいなっ。こう見えてわたくし、公爵夫人でしてよ? ……ヒック……コーデリア様もぉ、これを機に仲良くしてくださいませね……ヒック……新たな友情を祝してぇ、今日は、とことん飲みましょぉぉ!」
こうしてこの日、生涯に渡る女の友情が芽生えた。
ちなみに酒盛りは、帰りの遅い愛妻を心配したマーロー公爵が迎えに来るまで続いた。