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5 グレース・オールストン ~女伯爵の過ち

本日2回目の投稿です。


ダニエルの妻の視点になります。

 グレースは、王都に到着した翌日、夫ダニエルの書斎に呼び出された。

 めずらしいこともあるものだ、と思う。

 次男のサイラスが生まれてからは、社交場に同伴する以外に二人きりになることはなく、改まった話をする機会などなかった。


「どうなさったの? 人払いまでして」


 いつもは穏やかに笑っているのに、今日のダニエルは真剣な表情をしている。

 何の話だろうかとグレースは緊張しながら応接用のソファに腰掛けた。


「僕たちのこれからのことだよ。離婚したいんだ。異論はないだろう?」


 ダニエルが、スーッとサイン済みの離婚届と魔法契約書をソファテーブルの上に滑らせた。

 グレースは、それがかつて自分が強引に契約を迫ったものであることを思い出して愕然とした。

 仮面夫婦だが、険悪な仲ではない。適度な距離を保ったまま、今後も婚姻関係が継続されていくものだと考えていたのだ。


「今更、ですか」


「今だからだよ」


 グレースは、意味がわからず首を傾げた。

 すると、地方にあるパブリック・スクールのパンフレットを渡される。

 そこは、七歳から十五歳までの貴族令息が在籍する全寮制の一流校だ。国内だけでなく、外国の貴族も多い。

 どれだけ裕福でも従僕を連れて行くことはできない。甘やかされて育った子息たちの自立訓練も兼ねているからだ。


「サイラスが七歳になったから、子どもたちを入学させることにした。ほとんど会えなかったけど、自分の血を分けた息子だからね。せめて、この年齢になるまではと離婚を待ったんだ」


 旧友の娘を慮ったのか、ヒックス家から提示された結婚契約は、グレースにとって有利なものだった。だが、一つだけ、魔法契約を用いた項目がある。

『子どもの学校は、父親であるダニエルに決定権がある』というもので、教育を重んじるヒックス伯爵からの要望であり、ダニエルが唯一手にしている子育ての権利だった。

 それを今、行使しようというのである。


「事前に相談もなく、急に決められても困るわ」


 グレースとしては、あと数年は親元に置いてから、王都の学校へ通わせるつもりだった。家庭教師の契約期間もまだ残っている。何より、子どもたちと遠く離れるのは寂しい。


「相談したら、また君の執事(デリック)がうるさいからね。悪いがもう入学手続きは済ませてある。彼は、子どもたちに自分のことを『お父さま』と呼ばせているだろう? そして君は、それを許しているわけだ。君たちが恋人同士なのは構わないけど、家族ごっこはダメだよ」


「そ、それはデリックが、あの子たちが寂しくないように良かれと思ってやっただけで、悪気はないのよ」


 グレースは、咄嗟に言い訳をしつつ、『家族ごっこ』がダニエルにバレていることに驚いていた。

 確かに執事のデリックとは恋仲で、たまに子どもたちと一緒に出掛ける時にそう呼ばせることもあった。使用人としての節度を越えているという自覚は、グレースにもある。

 しかし、屋敷の中で大っぴらに呼ばせたわけではない。ほんのたまにだ。冗談のような気安さで。

 それが筒抜けであるということは、報告した者(スパイ)がいるのだ。


「呆れたな。子どもたちから父親を取り上げたくせに。君は悪気さえなければ、我が子を奪われてもいいのか。メイドが『お母さま』と呼ばれて母親面しても笑って許すんだな?」


 グレースは、ダニエルに非難されて、夢から覚めたようにハッとした。

 息子たちが他の女性を「お母さま」と慕う姿を想像して、現実であればとても耐えられないと思ったのだ。

 冷静に考えれば、子どもの様子を知りたいと願うのも親なら当然の感情で、妻であるグレース自身が報告すべきことである。

 配慮に欠けていたのはこちらなのに、それを「スパイを送り込んだ」とは、まるで敵に向けた言葉ではないか。

 夫に対する警戒心が骨の髄まで染込んでいたのだ。

 離婚を切り出され、息子たちと離れ離れにされる段階になるまで、ダニエルを傷つけていたことに気づけないほど。


 思い返せば、ダニエルは「君の力になりたい」「親として愛情をかけて子どもを育てたい」「僕にできることはないか」と常に歩み寄ろうとしてくれていた。

 それを無視し、領主として忙しなく動き回っているうちに離れて暮らすようになった。

 ダニエルは絶望して出て行ったのだろう。なのに『適度な距離』『険悪な仲ではない』などとは、我ながら滑稽だとグレースは自嘲した。

 

「…………ごめんなさい。私が無神経だったわ。これは罰ね。私があなたから子どもを取り上げたように、今度は、私があの子たちに会えなくなるのね」

 

 グレースは、ただ謝るしかなかった。


「違うよ、君が憎くて決めたんじゃない。あそこは名門校だし、外国の貴族令息とも交流できる。これは子どもたちの将来のためだよ。わかってると思うけど、今のオールストン家は社交に消極的だ。当主の君が領に引きこもっていたのだから仕方がないが、これからは通用しないだろうからね」


「その、私、余裕がなくて社交は…………」


「わかってる。責めてるわけじゃない。十六歳で突然家族を喪ったんだ。それだけでも辛かっただろうに、婚約者と別れて女伯爵としての重責を背負うことになった。僕ならとても耐えられない。家臣を信頼するのは当然だし、器用に立ち回るには僕たちは若すぎた。君はよくやった。立派だよ」


 グレースの瞳からポロリと涙が零れた。


 この国では、女性の爵位継承は稀だ。現王の御代ではグレースだけ。

 爵位継承が許されたのは、オールストン家が貴族の中でも古い家柄で、叙爵時の特許状に、中継ぎとして一代に限り女性の襲爵を認める旨の記載があったからだ。それゆえに、貴族家として生き長らえることができた。

 当時のグレースは、嫡男を儲けることが喫緊の責務だった。


 異例の婿取りに家令をはじめとする使用人たちは慌てた。

 隙を見せれば、領地も家も好き勝手にされてしまうと色めき立った。国外にはそのような事例がいくつもあり、平常心を失ったのだ。

 グレースは、結婚当初から「婿に気を許してはいけない」と忠告されていた。

 誰が婿でも、家令たちの態度は変わらなかっただろう。

 他家に嫁入りする予定だったグレースは、領主として右も左もわからない中、がむしゃらに頑張った。


 執事見習いとして勤めていた乳兄弟のデリックとは、悩みを相談しているうちにお互い恋心を抱くようになった。

 本当ならば、それは夫のダニエルと築いていくべき関係だったはずだ。

 間違った選択をした。きちんと夫婦として向き合うべきだったのだ。

 あれほど酷い扱いをした妻に、今なお理解を示そうとしているダニエルを見て、グレースはそう思った。


「本当に、本当にごめんなさい。私は、ずっとあなたに悪いことをしてきたわ」


 頭を下げると、ダニエルが「別にいいさ」と初めて笑顔を見せた。

 

「実は、最近、好きな人ができたんだ」


「じゃあ、離婚後は、その人と一緒に?」


 夫にもようやく春が訪れるかもしれない。グレースは、幾分、ホッとした気持ちになった。


「そうなればいいと思うけど、まだわからない」


「そう……上手くいくといいわね」


 彼女に求婚したいのだと、はにかむダニエルを羨ましく思う。

 グレースは、デリックとは結婚できない。

 貴族の結婚は貴族同士が原則で、国王の許可が要る。平民(乳兄弟)と結ばれるには、家と身分を捨てるしかないのだ。

 二人には、あの冗談じみた『家族ごっこ』が精いっぱいだった――――。

 フゥと小さくため息を吐き、離婚届にサインする。


(さあ、これから忙しくなるわ)


 グレースは、息子たちの入寮準備に向けて、素早く頭を切り替えるのであった。


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