4 ダニエル・オールストン ~婿の事情
こちらもダニエル視点です。
王都は、存外に広い。
宮廷を中心に、貴族たちの邸宅が立ち並ぶ貴族街や一般的な労働者階級の住宅地、売れない芸術家たちが好んで集うフィーリー川の周辺、活気あふれる市場、治安の良くない貧民街など様々な顔がある。
四日後、ダニエルがコーデリアに紹介した物件は、小さな商店街の近くにある庶民的な単身者向けアパートメントの一室であった。
狭いワンルームだが小綺麗で住民共用の中庭に面したベランダがあり、窮屈さはあまり感じられない。これでも一般女性の独り住まいとしては恵まれている。女性労働者は賃金が低く、職も少ないのだ。
「うーん、やっぱりこの前の家の方がいいわね」
苦笑いしながら、申し訳なさそうに素直な感想を述べるコーデリアである。
それはそうだろうとダニエルは思う。
何だかんだ言っても、貴族として暮らしてきた女性なのだ。
実家のバーロウ家に金銭的余裕がないのは、あくまで貴族としての話であり、そこらの商家よりずっと豊かだ。
十分な持参金を確保するために費用がかさむ名門のアカデミーを断念したとあって、離婚後に返還されるのは、庶民であれば悠々自適の額である。
コーデリアは、そのお金で、実家に頼らず『貧乏生活』を試みようとしているわけだ。
ダニエルは、がっかりされるのを承知の上で、敢えて彼女をここへ連れて来た。現実を見せ、決断を促すためである。
「そうだろう? あれ以上の物件は滅多にないよ」
「そうね。決めたわ」
思惑通りに事が運び、ダニエルは心の中でニンマリとした。
家一軒くらい買い与えてやれないわけではない。だが、コーデリアは受け取らないだろう。
一計を案じたダニエルは、数年前に手に入れた高級住宅地の一軒家を密かに格安で譲ることにしたのだった。
(なんか危なっかしくて見てられないんだよなぁ)
ダニエルの心配をよそに「洋品店の売り子でもしようかしら」などと、のんびり呟いている。もう贅沢や社交界に未練はない、と。
「もしお金に困ったら、宮廷魔術師になるといい。高給だよ」
つい本気でアドバイスしてしまい後悔する。
あの癒しの時間を自分だけのものにしておきたいのに。
「それもいいわね。だけど、わたくしは、傷を治したりできないのよ? ほんの少し疲れを癒せるだけ。宮廷魔術師なんて身の程知らずじゃないかしら」
自分の魔法がどれだけ素晴らしいかも知らないで、コーデリアはふふふと笑う。
それを見たダニエルは、やっぱり放っておけないと思うのだった。
コーデリアと別れてタウンハウスに戻ったダニエルは、執事から数日後に妻のグレースが到着することを告げられた。
この国では女性の議会参加を認めていないため、女伯爵のグレースには貴族院の議席がない。
議会開催に間に合わせる必要のないグレースは、社交期の後半に差し掛かった頃にゆっくり王都へやって来て、国王夫妻への挨拶と義理でいくつかの舞踏会をこなしてからさっさと帰ってゆくのが常だった。
ほぼ領地で過ごす妻と領地に帰らない夫。
そろそろ、この不毛な関係に決着をつけるとしよう。
ダニエルは、前々から練っていた計画を実行するために、書斎の机の上にいくつかの書類を並べ丹念に読み始めた。
◇◇
ダニエルは、ヒックス伯爵の次男として生まれた。
将来、受け継ぐものは何もなかったが、跡継ぎのスペアとして兄と同じ教育を施された。
「万が一の備えに粗悪品を用意するなど愚かだ。いざという時、同じ能力を発揮できてこそ価値がある。でないと領民が苦しむことになるだろう」
父親はそんな持論を唱え、錚々たる貴族の令息たちが在籍するアカデミーにダニエルを入学させた。
長男を優遇したり、いずれ家を出る次男、三男には士官学校へ通わせる親もいる中、ヒックス家は兄弟平等だったと言えるだろう。
事あるごとに「お前でいい」「お前でもいい」と兄の代わりに手伝いを命じられたこと以外は。
しかし、いくら次男として完璧でも、出番がない限り生きるために職を得る必要がある。
仕官するか、武官になるか、法律家のような専門職に就くか。商才を発揮して実業家になる者もいた。世間では、いずれも社会的地位のあるエリートの部類に入る職業である。
ダニエルは弁護士になるつもりだった。
運よくアカデミーの先輩の紹介で、そういった紳士の集まる社交クラブに顔を出し親睦を深めることもできた。
すっかりその気になっていたダニエルに、急な縁談が持ち上がったのは、卒業直後の十八歳の時である。
オールストン伯爵夫妻とその長男が事故で急逝したのだ。
残されたのは、妹のグレースのみ。継承資格のある男子がいなかったため、弱冠十六歳にして襲爵することとなった。
領主としての心得がない旧友の娘を案じて、ヒックス伯爵は自分の息子との結婚を提案する。
こうしてダニエルの婿入りが決められたのだった。
父親にしてみれば、これまでの教育を活かすことができるし、あわよくば若い二人が支え合って暮らすうちに愛情が芽生えたらと期待したのだろう。
だが、上手くはいかなかった。
オールストン家の家令を始めとする使用人たちは、ダニエルを通じてヒックス家に家を乗っ取られるのではないかと警戒したのだ。
己が主人を守ろうと彼らは必死だった。
婿のいいようにさせてなるものかと一致団結して、領の統治や家政からダニエルを排除したのである。
「こちらは結構ですから、ダニエル様はお好きなようにお過ごしください」
「それはご当主様の仕事でございます」
「グレース様がお決めになることです」
一緒に家を盛り立てていこうと考えていたダニエルは、出鼻を挫かれた。
長年にわたり忠義を尽くしてきた家臣たちと新参者の婿では、グレースの信用がどちらにあるのか火を見るより明らかだ。
特に、執事見習いとして勤めていた乳兄弟のデリックとの結びつきは強かった。
「でも家令とデリックが口を揃えて言うのですもの、その通りだと思うの」
「デリックがそうしたほうがいいって――――」
ダニエルがいくら訴えても、グレースは夫よりも彼の言葉を信じ、従うのだ。
終いには、一枚の魔法契約書を渡される始末だった。
『二人の男子を儲けた後は、お互い好きな時に離縁できる』
その内容にダニエルは絶句した。
自分は子を儲ける道具でしかないのだ。
しかし、家族を喪ったグレースの哀しみは深く、家臣たちは疑心暗鬼になっている。それで安心できるのならばと、ダニエルは、強制力の伴うその契約書にサインした。
翌年に長男が、その二年後に次男が生まれた。
せめて父親として正しく在りたかったが、叶うことはなかった。
「貴族の子育ては乳母がするものでございます」と、一度も赤子を抱けないまま遠ざけられたからである。
接触を試みるもガードが固く、失望したダニエルは王都で暮らすようになった。
住まいが離れて家令が油断した隙に、養育係を送り込むことに成功した。息子たちの様子は、定期的に報告が届く。
社交場で人脈づくりをしながら、先輩の弁護士事務所を手伝う。
この頃から、遊び人の噂がついて回るようになった。
依頼人の女に言い寄られたのを袖にして、悪評をまき散らされたのだ。
それはタウンハウスの執事の前でボンクラ亭主を装うことに役立ったが、幸せとは言えない。
ダニエルは、いつか自分の人生を取り戻したいと願っていた。