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3 ダニエル・オールストン ~女伯爵の夫

本日3話分投稿しています。


ダニエル視線です。

「そろそろ、あなたに触れたい」


「ココ、それは僕のセリフだろう?」  


 ダニエルは、コーデリアにシャツを脱がされ、強引に腕を引かれてベッドの上でうつぶせになる。されるがままになりながら、これでは男女逆だろうと苦笑した。

 本来なら、男が女を横抱きにして優しく寝台に運ぶのがセオリーというものだ。

 抵抗する間もなく、ラベンダーの精油の香りが鼻孔をくすぐる。そのすぐ後に、コーデリアの癒し魔法を纏った温かい手が背中に触れた。

 じんわりとした心地良さに囚われて、ダニエルは考えることを放棄した。


「ううぅ……」


 思わず呻き声が漏れた。

 

「気持ちいい? 肩が硬くなってる。疲れてるのね」


 無詠唱で魔法陣も使わず術を発動できるのは、コーデリアの母方の遺伝らしい。

 通常、魔力の量が豊富であっても魔法陣なしでの発動は難しい。それを無詠唱で、しかも癒し系の魔法となると宮廷魔術師でも数人いるかどうかだ。

 本人は「弟妹と遊んでいるうちに上達したみたい」だと、あっけらかんと(のたま)う。

 自分の価値を知らない。その無垢さにつけ込まれて、そのうち誰かに騙されるのではないかとダニエルは心配になる。

 

「…………」


「後で起こすから、そのまま眠ってもいいわ」


 こんな背徳な場所に男を連れ込んでおいてそれはない、などと反論する気はとうに失せて、コーデリアの声に促されるように段々と瞼が重くなっていった。

 

 コーデリアとの時間はこうして過ぎてゆく。

 二人は何度も密会しているというのに、実は清いままであった。

 ダニエルに許されているのは、愛称で呼び合うことと手首へのキス、会った瞬間の抱擁(ハグ)、そしてこの癒し魔法による接触だけだ。


「いいの。わたくしが言いたいの」


 そう言って、コーデリアは愛を囁く。

 その行いには、ダニエルの妻への配慮のようなものが透けて見えた。

 いくら既婚者の恋愛が黙認されている風潮とは言え、良好な家庭で育った彼女にしてみれば、妻が夫の情人に対して心穏やかではいられないと考えるのは当然のことだった。

 すべて自分のせいなのだ、と。愛の言葉も、肌に触れるのもこちらが一方的にしているのだから、あなたは悪くないのだ。そう言いたげに、コーデリアはダニエルからセリフを奪い、癒しを施す。与えるだけで、自分は何も受け取ろうとしない。

 思惑が外れたなどと失望はしない。むしろ身持ちの固さに感心する気持ちの方が(まさ)った。

 彼女は情事を楽しむタイプではないし、そのつもりもなかった。

 あの時、ダニエルが声を掛けたのは、あまりに痛々しくて放っておけなかったからだ。


 ダニエルがコーデリアを初めて見たのは、三年前の宮廷舞踏会である。

 当時、マッカン侯爵の一人息子アレックスが六年連れ添った妻を見限り、社交デビュー直前の若い子爵令嬢をすぐさま娶ったという噂で持ちきりだった。

 同格の侯爵家の令嬢だった見目麗しい前妻の後釜は、一体どんな女性なのか。

 アレックスとはアカデミーの同窓であることから、ダニエルも興味を持った。

 純朴――――それが第一印象だ。

 奇異の目に晒されていたにもかかわらず、夫にエスコートされたコーデリアの足取りは軽やかで、幸せな結婚生活を夢見るようにふんわりと微笑んでいた。

 すれ違いざまにふと目が合った気がした。

 以来、見ているのか、見られているのか、あるいはその両方か。よく目が合う。

 社交場に出向くと、自然と彼女の姿を探すようになった。しかし、話したことはない。なんとなく気になる人、そういう存在だった。

 一年、二年と時が過ぎて、三年目の今年、コーデリアの表情が愁いを帯びたものへと変わった。

 これまでは、侯爵家の嫁という決して楽ではない役割を気丈にこなしていたように感じられたのに、明らかに覇気がない。

 ダニエルは、社交場でのアレックスの態度と囁かれ始めた噂で理由を知った。

 

「近々、アップルトン卿が、前回と同じ理由で離縁なさるとか」


「まあ、夫人もお気の毒に」


「今度は、ほら、あのご令嬢が候補らしいですわね」


 貴婦人の扇が指し示す先に、年若い令嬢と親しげに談笑するアレックスがいた。その間、コーデリアは一人ぼっちでいるのだった。夫人同士のお喋りに花を咲かせる様子もない。そうしたところで噂好きたちの格好の餌食になると知っているのだろう。

 同じような場面を目撃する度に、ダニエルの胸はぎゅっと締めつけられた。


 あの日の舞踏会は、特に酷かった。

 まだ着いたばかりなのに、主催者への挨拶もそこそこに、アレックスは妻を残して令嬢のもとへ急いだのである。

 おそらくこの令嬢に()()()()のだろう。

 しかし、情人のいる夫婦でさえ、これほどあからさまに相手を置き去りにすることはない。夫婦仲が良好とは言えないダニエルも、妻のエスコートは完璧だ。

 アレックスの後にマッカン侯爵夫妻が続き、話の輪に加わった。それから侯爵夫人に背中を押されるように二人はダンスを始めた。


(妻を差し置いて他の女とダンスだと? あの男は何をやってるんだ!)


 アレックスは、気弱で親に従順な男だ。ダニエルは、これは彼の意志ではなく、マッカン侯爵夫人の指示なのだと察した。

 悪質な嫁いびりだが、コーデリアの立場では抗えないだろう。

 刹那、腹から沸々と怒りが湧いた。

 遊び人――――自身に対する世間の評判は知っていた。迷惑かもしれないが、ダニエルは我慢できず、まっすぐコーデリアへ近づき声を掛けたのだった。

 

「あなた()いいのです」

 

 ダンスに誘ったダニエルに、コーデリアは言った。噂通りの人ではない、とも。

「あなた()いい」ではなく、「あなた()()いい」でもない。


 ――――あなたがいい。


 未だかつて、そう言われたことがあっただろうか。

 伯爵家の次男であったダニエルは、領地経営をどれだけ学ぼうが、所詮は後継()のスペアにすぎなかった。婿入りですら妻側の都合に合わせて調達された代替品のようなものだ。浮名を真に受けて近づく女性に至っては言わずもがなである。

 コーデリアの言葉と恥じらう顔が、矢のようにダニエルの胸を射抜いた。


「案外、噂通りかもしれませんよ。この後、夫人をテラスへお誘いするつもりなのですから」


 テラスは恋人たちの語らいの場だ。

 ダニエルは、一曲踊るだけのつもりが、気づけば口説いていたのだった。

 

 

「ダン」と呼ばれる声がして、ダニエルの意識が浮上した。

 コリがほぐれて体がすっかり軽くなっている。起き上がり、大きく伸びをした。


「ああ……幸せだ。ココ、僕はこのまま君を独り占めし……フガッ…………」


 突然、鼻を摘ままれる。

 ダニエルは、これまでに何度も愛を伝えようとしたが成功した試しがない。


「次はいつ、ダンを独り占めさせてくれるの?」


 コーデリアが悪戯っぽく笑う。

 ダニエルは、自分の鼻から彼女の指をどかすついでに、目の前にある手首に素早くキスする。ほわんとラベンダーの香りがした。


「四日後の午後はどうだい? もう一つ紹介したい物件があるんだ」 


 もうすぐこの関係は終わる。だが、終わらせたくない。

 一般的に馴染みのない手首へのキスは、相手への強い愛と欲望を表すことを彼女は知らない。

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